時論・創論・複眼
菅政権に望む 三村明夫氏/久保文明氏/岩田喜美枝氏
16日に就任した菅義偉首相は新型コロナウイルス対策と経済再生の両立という難題に直面する。女性活躍を含めた構造改革も喫緊の課題だ。11月の米大統領選を踏まえ、対中国などの外交手腕にも注目が集まる。新政権はどんな問題を重視すべきか、識者に聞いた。
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■経済止めずコロナ克服 日本商工会議所会頭 三村明夫氏
みむら・あきお 新日本製鉄(現日本製鉄)社長、会長を務めた。経団連副会長、中央教育審議会会長、政府の経済財政諮問会議議員などを歴任。2013年から現職。
新政権には新型コロナウイルスとの闘いで、経済活動を止めずにすむよう期待している。感染防止のための経済抑制と再開は「ハンマー&ダンス」と呼ばれるが、ハンマーを繰り返すたびに景気を冷やしてしまう。特に中小企業には深刻で、政府が緊急事態宣言を再び発令しないことが最大の支援策といえる。
前提として医療現場への支援が必要で、国家予算を重点的に配分してほしい。経済にとっても医療は重要インフラだと分かった。円滑なビジネスのためにもコロナの検査数は増やす必要があり、体制の整備を望む。
国は2020年度に160兆円規模の歳出を予定している。豊かな国でないと、国民を守れないことが鮮明になった。日本の4〜6月期の国内総生産(GDP)は、物価変動を除いた実質の年率換算で前期比28.1%減(改定値)だった。コロナ関連の倒産は約500件に達したが、どうにか被害の拡大を食い止めてきた。政策的なつなぎ融資や各種の給付金によって廃業を免れた企業は少なくない。
経済的な豊かさを維持するには、縦割り行政の打破が欠かせない。コロナ危機で日本はデジタル化の遅れが浮き彫りとなった。国民や企業にとって連続した手続きでも、政府にとっては省庁ごとの権限が分断されて連携できていないケースも多い。
デジタル庁の創設は、省庁の縦割りを乗り越える一例となり得る。国や地方自治体の手続きが統一様式でデジタル化されれば、非効率な作業を省ける。各地の中小企業も対応が必要だ。都内ではコロナ下で67%の企業がテレワークに取り組んだ。通信技術の活用で民間の作業能率も上がっていく。
中小企業対策では、最低賃金を上げるための条件整備をお願いしたい。20年度はコロナの影響で国が目安の提示を見送った。来年度から3%台の引き上げだけを政策的に再開すれば、原資の限られる企業には打撃となる。
必要なのは企業間の取引価格の適正化だ。景気低迷で大企業に赤字が生じると、中小企業からの購買価格を下げることが多々あった。付加価値をどれだけ給与などに回したかを示す労働分配率は、大企業が48%なのに中小は75%だ。まず取引価格を上げないと(働き手に)分配できる原資がない。
東京五輪・パラリンピックも重要な経済政策だ。21年に開催できないと思う国民が多ければ、様々な活動も停滞する。大会を成立させる条件を明示し、そうなるようにリードする必要がある。
想定どおりワクチンが21年に普及すれば、世界は「ウィズコロナ」から「アフターコロナ」に移る。ただ、いち早くコロナを抑制した中国の存在感が拡大し、米国との対立が深まるのは懸念事項だ。
日本は経済安全保障で米国と協調しつつも、中国市場は無視できない。サプライチェーンの見直しで国内回帰の動向もあるが、全て国内生産できるわけではない。日本は世界3位の経済力を維持して発言力を保つ必要がある。
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■米中「等距離外交」あり得ず 東大教授 久保文明氏
くぼ・ふみあき 1979年東大卒、89年東大博士。専門は米国政治。慶大教授を経て2003年より現職。20年6月から有識者でつくる内閣府の「国際政治経済懇談会」で座長を務める。
自民党総裁選に出馬した3候補のうち、米国が最も期待したのは菅義偉氏だった。石破茂氏は防衛の専門家としては評価が高いが、日米地位協定の見直しを打ち出して米側を困惑させる要素がある。岸田文雄氏は少々ハト派の印象を与えたかもしれない。
菅首相の外交ビジョンは未知数とはいえ、米側には「これまで有能な黒子に徹して安倍政権を支えた人物」と映っている。安倍晋三前首相の路線継承を訴える菅首相の就任に、トランプ政権もひとまず安心しているのではないか。
とはいえ総裁選の期間中、米国からすれば不安が残る場面もあった。12日の候補者討論会で米中との関係は「二者択一ではない」と発言した。かつて有力な首相候補だった自民党の故加藤紘一元幹事長は「日本は米中と等距離の外交を展開すべきだ」と主張、米側に不信感を広げた。米国100対中国0はあり得ないが50対50もあり得ない。
沖縄県の尖閣諸島を巡る中国の挑発は日本の主権に関わる問題だ。南シナ海やサイバーセキュリティーなどでも、中国は世界秩序を脅かしている。日本が中国に過度に好意的な姿勢を見せれば「中国による数々の主権侵害を許容している」と受け取られかねない。習近平(シー・ジンピン)国家主席との首脳会談をためらう必要はないが、習氏の国賓来日は再延期を含めて検討すべきではないだろうか。
日本にとって最悪なのは米国が中国との協調を模索するあまり、米中が共同の盟主として世界を率いていく路線に転じる展開だ。11月の米大統領選で民主党のバイデン前副大統領が当選すれば、オバマ政権で外交・安保政策を担ったブリンケン元国務副長官やライス元大統領補佐官なども政権メンバーに戻るだろう。
東アジアをめぐる安保環境は17年に米民主党が下野した時より緊迫している。今の民主党は軍事面で中国への対抗意識が薄い党内左派と、中国に厳しい認識を持ち始めた穏健派の対立が増している。
菅首相は仮にバイデン氏が大統領に就任した暁には「オバマ政権の延長では中国の行動を抑制できない」と直接説得すべきだ。米国から「尖閣の主権は日本にある」との見解を引き出すことも重要だ。
トランプ氏が大統領選の直前に新型コロナウイルス対策や外交で意表を突く政策を打ち出して再選する可能性もある。2期目のトランプ氏は在日米軍の駐留経費の日本側負担(思いやり予算)増額を求めることも想定される。
日本側は筋を通さなければならない。半面、トランプ氏は個人的な信頼を重視する。トランプ氏と親密な関係を築いた安倍氏が公式、非公式に日米外交に関わり続けるのも一つの手だ。
菅氏は他国からのミサイル抑止のあり方を巡り「与党の議論を見ながら対応する」と述べるにとどめた。米国は近い将来、トランプ流の孤立主義がすっかり外交の本流となり、日米同盟が根本的な危機を迎えるかもしれない。「敵基地攻撃」という呼び方はともかく、日本がミサイルの脅威を広い意味で抑止する能力を高めることが必要だ。
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■女性活躍、手綱緩めず 津田塾大学理事 岩田喜美枝氏
いわた・きみえ 厚生労働省雇用均等・児童家庭局長や資生堂副社長などを経て2013年から現職。住友商事やりそなホールディングス、味の素の社外取締役も務める。
安倍前政権は女性活躍推進を経済政策に位置付け、成長戦略の柱に据えた。その功績は大きい。女性の問題は長らく女性の地位向上といった限られた範囲でとらえられがちだった。日本が今、女性活躍を進めなくてはいけない理由はほかにもあった。生産年齢人口が減っているなか、女性に潜在能力を存分に発揮してもらわないと経済活性化が危ういからだ。
「女性活躍は成長戦略である」とする安倍政権のメッセージは企業経営者に届き、ここ数年で意識を変えた。ただ、実質的な効果はまだ不十分で、国際的に見ても日本の女性活躍度はボトムラインだ。菅義偉首相は手綱を緩めずに女性活躍を次のステージに進めてほしい。
2012年以降、働く女性は増えた。出産しても働き続けることが当たり前にもなってきた。ただ管理職や役員に就く女性はまだ少ないし、出産が就業継続のハードルにならないのも主に正社員だ。非正規社員は今も働きづらさを抱えている。
16年に本格施行された女性活躍推進法は従業員301人以上の企業に登用計画づくりを義務付けた。企業社会の女性活躍を進める原動力になったが、まだ足りない。
具体的な数値目標を計画に盛り込むように求めているが、必ずしも女性管理職比率や女性役員の数を目標にしなくても構わない。女性登用を進めるにはこれらを義務付けるべきだろう。目標値も各社が自由に定めてよいとしているが、例えば業種内の平均値を下回る目標値は禁ずるなどハードルを高く設定する工夫が必要だ。菅政権での法改正を期待する。
少子化も早急に手を打たなくてはいけない。安倍政権は希望出生率1.80を目標に掲げた。だが国の合計特殊出生率(1人の女性が生涯産むと推計される子どもの数)は12年の1.41から19年の1.36へと悪化した。昨年の出生数は過去最低の86万人にとどまる。今年は新型コロナウイルスの影響で若い世代に経済不安が高まっており、さらなる落ち込みが心配だ。
菅首相は自民党総裁選で不妊治療への保険適用に言及した。大切な施策だが、少子化の根本的な解決には至らない。安心して結婚して子どもを持てるように雇用の安定を図るなど経済支援が第一に必要だ。さらに子育て負担が女性に偏らないように男性の家事・育児参画を進める施策にも取り組んでほしい。
菅内閣の顔ぶれを見て残念なのは女性閣僚が2人にとどまったことだ。国の男女平等度を示すジェンダーギャップ指数で日本は153カ国中、121位。低迷する要因は政治分野の遅れだ。女性活躍を継続する意思があるなら、まず形で示してほしかった。
女性活躍が今、必要な理由にダイバーシティー(人材の多様化)実現がある。画一的な組織から新しい価値は生まれづらい。多様な意見がイノベーションの源になる。いきなり男女半々は難しいが、政策決定現場に女性を増やす努力を怠らないでほしい。
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<アンカー>改革と継承を両輪に
菅義偉首相の政策と3氏の主張はおおむね同じ方向である。三村氏は新型コロナウイルスの克服と経済活動の両立が欠かせないと力説。縦割り行政を乗り越えるためにデジタル政策を一元化して推進するデジタル庁の創設を評価した。
デジタル化の加速は国と地方の協力を進めやすくし、企業の作業効率も上げる。大胆な規制改革と合わせた看板政策であり、この改革路線の成否は政権の推進力と直結する。岩田氏が訴える女性活躍や少子化対策も目に見える成果を上げる段階だ。
久保氏の米中への「等距離外交はあり得ない」という指摘は国際政治の現実である。米中対立のはざまで、日米同盟が外交の基軸という路線の継承と実践が求められる。首相は改革と継承を両輪に山積する難題に取り組んでほしい。