グローバルオピニオン

 

ニュースが示す民主主義の成熟度

 

 ジャック・アタリ氏

 

Jacques Attali 仏国立行政学院卒。経済学者。1981〜91年、同国のミッテラン大統領の特別顧問。91〜93年、欧州復興開発銀行(EBRD)の初代総裁を務めた。

 

民主国家では今後、暗いニュースを優先するメディアと、明るいニュースを優先するメディアが二極化すると考える。暗いニュースを優先するメディアは、まじめで厳格な報道機関と見なされる。単純化すれば、現体制を批判するメディアが該当する。もちろん権力に近いメディアも深刻で暗いニュースを流すことはあるが、こうしたメディアが扱うのは、自国以外や自国政府には責任のない問題に関する暗いニュースということになるかもしれない。

一般的に、明るいニュースを流すメディアとしては映画や有名人、スポーツ、ペットといった娯楽をテーマとする雑誌が挙げられる。娯楽的な紙媒体には、写真やイラストが満載されていることが多い。紙以外の媒体も明るいニュースを流す。ラジオよりもテレビのほうが明るいニュースを扱う傾向が強いように感じるのは、明るいニュースには、映像が重要だからだろうか。

暗いニュースを流す理由はたくさんある。1つめの理由は、暗いニュースの役割は迫りくる脅威を周知させることで、我々は自分たちを脅かす物事の正体を把握する必要があるからだ。人間は行動するため、自分たちを待ち受ける危険を察知しなければならない。人間は行動を先延ばしにしたがる習性もあるため、暗いニュースに触れたからといって即座に行動に移すことはあまりない。ところが今は、我々を待ち受ける脅威が数多くある。

次に、人間には他人の不幸を知りたいという傾向があるからだ。自分自身に降りかかった不幸を慰めたいからか、あるいは他人の不幸をあざ笑うためだろうか。明るいニュースは、日常会話の話題になりにくいからかもしれない。暗いニュースを知っておくのは、周りの人々との関係を維持するための準備にもなるということだ。

受け手の関心をひこうと、民主国家の様々なメディアは、騒動や惨事などの暗いニュースであふれかえっている。実際、気候変動から安全保障、経済成長などについて事態が悪化すると言及されることがほとんどだ。一方、検閲のある独裁国家のメディアでは、(都合の良くない)暗いニュースは流れない。

メディアでの暗いニュースの位置づけは、それぞれの国の民主主義の成熟度を示す便利な指標だといえる。民主主義の成熟度が高まるにつれ、人々は暗いニュースに強い関心を示すことになる。だが民主主義の存在意義といえる批判力が高まりすぎれば、民主主義自体を弱体化させる恐れもある。

結果、逆に我々が目の当たりにするのは、映画スターらに関する明るいニュースかもしれない。SNS(交流サイト)では、自分自身に焦点を当て、自己についてのみ語る傾向がみられる。写真・動画共有アプリや動画投稿アプリは、自己の魅力的な姿を披露する場になりがちで、誰もが世界で唯一の明るいニュースになろうとしているかのようだ。

何が明るいのかという捉え方にもよるが、我々が前面に押し出す必要があるのは、世界をポジティブに改革するという種類の明るいニュースだろう。例を挙げれば、女性や子どもに対する暴力をなくす運動の高まり、新型コロナウイルスの感染拡大を実際に食い止めた対策などだ。本格的なワクチンの開発が間近というニュースもある。我々の労働を変革するイノベーション(技術革新)を生み出す科学者や企業は、称賛に値する。動物の苦痛に対処するのも、喜ばしいことだ。

危機にさらされているとしても、民主主義という政治形態は卓越している。民主主義が機能してこそ、人間はいつの日か、生命の権利を守るために自由に集結できるようになるだろう。

 

 

背景知る努力を

民主制はいつも試されている。自由と平等を基本に、投票によって政治のあり方を選ぶ。このしくみは、人々の判断次第で危機も招く。多数意見が危険な指導者を選ぶ恐れもある。世界ではこのところ、民主国家の中から、いつのまにか権威主義や全体主義的な政権が相次いで現れている。

確かに、ニュースの位置づけは民主制の成熟度を示す。何が問題か。民意はどこへ向かうのか。重要ニュースから政治・経済の現状も、危うさも見えてくる。世界を改革する前向きな報道に注目したいという提言にもうなずける。

しかし、ニュースに頼るだけでは、世界は変わらない。フェイク情報は要注意だ。行動するには、情報の確かさ、背景を知る努力も欠かせない。ほぼ100年前、米ジャーナリスト、W・リップマンは、民主制の危機に警鐘をならした。人は外に出て事実を見つけ、知識を増やせ。そうしないと、視野が内向きになり、偏見を育む(「世論」掛川トミ子訳)。この忠告は、今も生きている。

 

 

 

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