インドへgo
佐々木閑
生まれて初めての海外旅行は25歳の時だった。かなりの晩稲(おくて)である。1ドル240円の頃だから飛行機代も滞在費も若者にとっては負担の大きい時代で、行きたくても行けなかったのである。せっせとアルバイトで貯(た)めた金をはたいて、向かった先はあこがれのインド。「カルチャーショック体験」「精神世界の旅」「世界観の転換」といった、格好よくて魅惑的な誘い言葉に惹(ひ)かれて、巨大なリュックに大量の荷物を詰め込んで、意気揚々と夏のカルカッタ(現コルカタ)へ旅立ったのである。
よく知らなかったのだが、夏のカルカッタはインドでもとびきり過酷な場所である。暑くて湿度は100パーセント、大雨が降って洪水になる。そんなところに人と牛とその他もろもろがぎゅうぎゅう詰めでひしめき合って、強烈な生存競争にしのぎを削る。そこへ、のほほん呑気(のんき)な世間知らずのジャパニーズが、巨大なリュックで「こんにちは。どうぞよろしく」ってな顔をして降り立ったのである。
人が渦を巻くような空港の混雑を抜けて外に出たが、そこから市内まで行く方法がない。人に聞いたら「そこのバスに乗れ」と言う。そのおんぼろバスは、天井にも外側の窓枠にも、鈴なりに人が乗っている。乗っているのではなく、外にぶら下がっているのである。仕方なく私もぶら下がったが、リュックが重い。「ああ、こんなに沢山(たくさん)持ってこなければよかった」と早速の後悔。渋滞で少しも進まず、窓枠をつかむ手がしびれたころ、スコールの大雨が来た。ずぶ濡(ぬ)れでますます荷物が重くなる。「ああ、こんなところ、来なければよかった」といよいよの後悔。
このあといろいろありまして、汚い安宿にたどりついたら、ベッド一つの小部屋の、そのベッドのシーツには、前の人の汗が人の形で残ったまま。その人型にそっと身体を沿わせて横になりながら、「俺はなんて馬鹿(ばか)な人間なんだ」と、とうとう自己嫌悪まで登場。
そのあともいろいろありまして、熱病にはなるわ、だまされてぼったくられるわ、警官から「なんでもいいから日本の物をくれ」としつこく迫られるわ、そんなこんながあって気がついてみると、嫌悪感さえ、疲れ果てたのか次第に影を薄め、段々(だんだん)そんな日常に慣れてくる。「こんなんでいいんじゃないの」という気になってくるのである。
そして不思議なことに、災難がふりかかると、必ずそれを助けてくれるインド人がどこからか現れて、なんとなく物事がうまくいくようになるのである。そして私は分かった。「おお、ついに私も、インド社会の内側に足を踏み入れたのだ。インド人と心が通じるようになったのだ」と(あくまで本人の感想です)。
2カ月して日本に戻った時には、リュックから何から、一切合切すべてをインド人に「日本製の最高級品だ」と言って高く売りつけ、身ひとつ、サンダル履きの髭(ひげ)ぼうぼうになっていた。そんな私を見た母親は悲鳴を上げ、「家に入らないで」と言って息子の帰還を拒否するありさまであった。
だから私は言いたい。「インドはいい国です。仏教の故郷インドへ、皆さんも是非おいでなさい。価値観変わりますよ」。コロナ禍の今だからこそ、終息後の平穏な世界を祈念して、インド旅行案内を書いてみた。hope to go toキャンペーンである。
(仏教学者)