本音みえない米大統領選
人種問題、有権者を問う
ギデオン・ラックマン
8月17〜20日に開かれた米民主党の全国党大会では、ある種の不安が広がっていた。その懸念は、11月の大統領選挙で共和党の現職のトランプ氏が勝利することではなく、同氏が投票を妨害したり敗北を認めなかったりして、不正に勝利を奪うのではないかという不安だった。
イラスト James Ferguson/Financial Times
米コメディアンのサラ・クーパー氏が言う「トランプ氏は、自分がまっとうには勝てないことを知っている」というコメントは、一般に広まっているこの懸念を端的に表している。
■トランプ氏が投票で勝利する可能性過小評価するな
実際トランプ氏は、選挙結果を受け入れると約束することを拒否した。だが民主党は、選挙結果を奪い取られるリスクばかりに目を向けていると、本来のリスク、つまりトランプ氏が不正をせずとも選挙で勝つ可能性を過小評価する危険がある。
世論調査の支持率では確かに民主党の大統領候補バイデン氏が何カ月もトランプ氏を大きく上回っている。2016年の大統領選の世論調査でもクリントン候補の勝利が予想されていた。にもかかわらずクリントン氏が敗れたことを懸念する向きは、バイデン氏の支持率が対立候補より平均して9ポイントと、クリントン候補のときより高いことから今回は勝てると考えている。
しかし、バイデン氏と同じく支持率で上回っていても逆転された例はある。1988年の大統領選で民主党のマイケル・デュカキス候補は党大会後、支持率で対立候補を17ポイントも引き離していたが、11月の本選では敗れた。選挙人(編集注、人口に応じて州ごとに配分される)団を選ぶというシステムが構造的に共和党に有利に働いているのも一因だ。バイデン氏が全米の選挙人の過半数を確保して確実に勝利するには、4ポイントのリードが必要だろう。
ブックメーカー(賭け屋)は、トランプ氏勝利の可能性を決して軽視していない。最新の確率としては、再選の可能性は36〜43%となっている。
■57%が周囲にトランプ氏にひそかに投票する人がいると回答
バイデン氏が支持率で大幅に上回る世論調査の中にさえ、詳細にみるとトランプ氏をひそかに支持する人々が存在する可能性がわかる。8月中旬のある調査ではバイデン氏が支持率で7ポイント上回っていたが、「隣人は誰を支持していると思うか」との質問ではトランプ氏という回答が5ポイント上回った。これは世論調査では自分がトランプ支持だとは言わない「隠れ」支持者がいる可能性を示している。7月に実施された別の調査では「昨今の政治情勢のせいで自分の信念を口に出せない」と感じている人が62%いた。共和党員に限ると、その数は77%に達する。
米モンマス大学が7月、選挙結果を左右する激戦州の一つであるペンシルベニア州で実施した世論調査では、バイデン氏が支持率で13ポイント上回った。だが同州でどちらが勝つと思うかという質問では、46対45の僅差でトランプ氏が上回り、57%の回答者がトランプ氏に「ひそかに投票する人が自分の周囲にいる」と考えていた。
両党の勢力が拮抗する州の一部の民主党ベテラン政治家は警戒感を募らせている。ミシガン州選出のデビー・ディンゲル下院議員は7月に米誌「ジ・アトランティック」に、ミシガン州でバイデン氏の支持率が16ポイント上回っているとの結果を示した世論調査を「あてにならない」と断言した。ディンゲル氏も指摘するように、ミシガン州の世論調査は16年にもクリントン氏の勝利を予測していた。だが実際にはトランプ氏が僅差で勝利した。同州で共和党候補が勝ったのは88年以来のことだった。
ディンゲル氏は、地元の選挙区で「ブルー・ライブズ・マター」の看板をよく目にするのが気になると言う。これは「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)」運動に対抗し、(青い制服の)警官への支持を表明する標語だ。
同議員は、有権者の間に広まるこうした動きについて、ソーシャルメディア上で拡散したある投稿を引用し、そこに自分の懸念が凝縮されているとした。「私はかつて自分をごく普通の人間だと思っていた。しかし両親がそろった白人家庭に生まれ育ってきた。そのために今では人種差別主義者で、奴隷制への責任がある特権階級だというレッテルが貼られている」
民主党内ではこうした文章を引用することさえ論争になる。人種差別的な考えに理解を示し、それを暗黙に支持することになると考える党員がいるからだ。
■人種問題が争点になればトランプ氏の思うつぼ
16年の大統領選敗北を受け、民主党は当初、白人労働者層の苦悩に真剣に取り組むことを決めていた。だがその決意はトランプ氏の振る舞いへの怒りへと変わり、人種差別問題こそ強く取り組むべき課題となった。枕元に置かれる本は「ヒルビリー・エレジー」(編集注、白人労働者の窮状を描いたノンフィクション)から「ホワイト・フラジリティ」(同、人種差別問題に対する白人の意識の脆弱性を指摘した書籍)に変わった。
だが、この変化がトランプ氏にチャンスをもたらす可能性がある。同氏の選挙戦略は、まさに白人有権者の怒りと敵意をかき立てるのが狙いだからだ。人種問題が争点となれば彼の思うつぼだろう。
だとしても、トランプ氏の前には越え難い壁が立ちはだかる。その多くは自身が築いたものだ。新型コロナウイルスのパンデミックと米国の死亡率の高さは、同氏の統治能力不足を冷酷なまでに浮き彫りにした。医療や有給休暇など民主党が得意とする問題の重要性も際立たせた。トランプ氏は好景気を強みに選挙戦を戦うつもりだったが、コロナ禍で当てが外れた。
大統領補佐官(国家安全保障担当)だったジョン・ボルトン氏など、トランプ氏の元側近もトランプ氏を公然と非難するようになった。16年の大統領選の選挙参謀だったスティーブ・バノン氏は20日、詐欺罪で起訴された(当人は無罪を主張している)。
多くの民主党員は、なぜトランプ氏に投票する人がいるのか理解できずにいる。同氏に投票する人は人種差別主義者か何か精神的な問題を抱えている人に違いないと考えている。しかし、トランプ氏への投票を考えている人に深く共感しようとすることができない、あるいは理解しようとすることができない、そのことこそが民主党の最大の弱点かもしれない。
トランプ陣営は選挙運動を通じて中心的な支持層、つまりクリントン氏がかつて「嘆かわしい人々」と呼んだ虐げられ、見下されている層に対し、民主党は今も彼らをそう見ているのだと確信させることに全力を傾けるだろう。彼らの怒りをかき立てるこの戦略は、前回は成功した。今回もまた、それがトランプ氏に勝つチャンスを与えている。