論座
百田尚樹現象に敗れたメディアへの対し方を探る
石戸諭 記者、ノンフィクションライター
本稿の結論をあらかじめ書いておこう。一つの条件を持って、8月ジャーナリズムは必要である。8月にアジア・太平洋戦争に関する記事が集中的に出てくる。これは「そんなに大切ならば、8月以外も報道するべきだ」と揶揄される対象だったが、私は8月だけであっても、考える時間が形成されている事実を重く見ている。
自身で気づいていない鉱脈
拡広島原爆の日、平和記念式典で献花をする学生たち=2019年8月6日、広島市中区
条件を探るにあたって、この論考を個人的な経験から始めてみたい。毎日新聞を経て、2016年1月にインターネットメディア「BuzzFeed Japan」に移籍した時のことだ。PV数やSNS上のシェア数などのデータを分析して驚いた。爆発的とは言えないが、8月あるいは何か節目の時に、私が書いたアジア・太平洋戦争に関する記事は読まれ、拡散されている。それも普段から熱心に政治を語り、社会運動にも関わっているような人たちだけではない。普段は生活の話題が多く、むしろ政治的な話題を避けるような人々が「あまり戦争の話はしませんが……」という枕詞をつけて、記事をシェアする。それも決して少なくない人がそうする。1年前の8月に公開された記事であっても、数字が伸びていくこともある。一体なぜ?
今なら、こう指摘することができる。2011年3月の東日本大震災、福島第一原発事故もそうだが、「8月だから」というだけで、シェアするエクスキューズと文脈が存在している。ここに、多くのマスメディア関係者も気づいていない得難い財産がある。私がかつて書いた記事―2016年8月6日に公開した「広島への原爆投下を悔やんだ米兵、哲学者がみつけた『人間の良心』」という記事の書き出しはこうだ。
今から、約60年前のことである。
広島の原爆投下作戦に加わり、「英雄」と呼ばれたアメリカ軍パイロットがいた。彼は帰国後、原爆で亡くなった人たちの幻影に怯え、苦悩する。
やがて「原爆投下は間違いだった」と口にするようになった、彼、クロード・イーザリーは精神が錯乱したとみなされ、精神病院に入院させられた。
イーザリーの苦悩を、精神錯乱で片付けていいのか。
こう考えたのが、ユダヤ人哲学者ギュンター・アンダースだ。1902年ドイツ・ブレスラウ(現在のポーランド)生まれ。核をテーマにした著作で知られ、近年、再評価が進む哲学者である。
1958年、来日したアンダースは広島や長崎を訪問し、被爆者と対話を重ねている。アンダースはイーザリーとの往復書簡を始め、社会に問いかけた。あの惨劇を知り、巨大な組織の中で『ただ命令に従っただけだ』と言い切るのと、組織の歯車でありながら苦悩すること。
一体、どちらに良心があるのか、と。
新聞の慢心とネットの限界
私は、そのときインターネットメディアの可能性と限界について考えていることが多かった。新聞における8月ジャーナリズムの基本的なパターンは過去の模倣であり、変化はあまりにも些細なことにしかなかった。かつて私も経験したことがあるが、8月に掲載される特集向けの取材は、2カ月ほど日々の仕事から外れ、それだけに邁進することが許される。だが、結果として掲載されるのは――これは私の力不足もあったが――どこかで読んだ話になってしまう。「平和は大事である。だから伝えるのだ」という姿勢さえあれば、多少つまらない記事でも許され、評価する側も「大切なこと」を理由にマンネリ化された伝え方を肯定しているように思えた。一体、誰がこのような伝え方で読むのかと悩まされることが多かった。
では、新聞の「次」を期待され続けてきたインターネットメディアはどうか。軽い気持ちで読めるニュース、表層的かつ感情を揺さぶる言葉を使ったニュースばかりが数字(PV、シェアなど)を取っていく。明確に可視化される様々な数字を効率よく稼ぐには、タイミングを合わせ、数を出し、「刺さる」見出しをつけることに尽きる。これもまた、あまりにも一面的な姿勢だ。
言い換えれば、新聞記者は取材や記事の執筆にかける贅沢な時間の使い方が許されているが、読者に届けようという意識が決定的に欠けており、そこには数字に追われないことからくる慢心がある。かたやネットは数字が大量に出回ることで、常に数字にとらわれる危険性と隣り合わせになっている。
小さな引っかかりから
この二つのどちらでもない、今、この時に読んでもらわないといけないという即時性はなくても、社会に広がっている空気についてアプローチできるような方法はないか。私は、インターネットメディアで、インターネットには無いものを書きたいと思った。その頃書いていた、いくつかの記事は自分なりの模索である。
先に紹介した記事も模索の一つだ。その時、偶然にも広島市内の歴史ある古書店で、哲学者、ギュンター・アンダースの日本滞在記『橋の上の男』を手に入れることができ、これで記事の方向性ががらりと変わっていった。
その本の見返しには、手書きで書かれた詩の一節があった。調べてみると、戦後の広島に住み、原爆に関係する書物を熱心に集めていた前の持ち主が記したものだ。1960年8月20日に『橋の上の男』を買った前の持ち主は、すでに亡くなっていて、遺品整理をしていた家族がなじみの古書店に持ち込んだことはわかった。
書かれていた詩は自作ではなく、ある海外の詩人の作品だった。私はこの一節に小さな引っかかりを覚えた。
此の男こそは、混乱の道のあなたこなたに立つ不動の正義者かもしれぬ。
表面ばかりの時代に地下に通じるくらい入口かも知れぬ……
往々にして取材は小さなきっかけから動き出す。1960年に買った人も、本に刻み込むくらい、表層的な言葉に違和感があったのではないか。まさに今の自分と同じだ、と感じた私はアンダースの本や、彼が交流を続けていた米兵クロード・イーザリーについて、当時の資料や文献、報じられた新聞などを集められる限り集めた。その上で専門家の取材なども重ね、事実を積み上げながら原爆投下を苦悩し続けて、精神を病んだ米兵と哲学者との間に生まれた小さな交流を読み物として書いた。
システムに抗う「一本のネジ」
アンダースもイーザリーも日本で一般的な知名度はまったくない人物だ。有名人ならば強い言葉をかぎかっこで抜いて見出しにすればシェアが広がる。無名の人物で同じ方法はとれない。ではどうするか。私は一つの言葉を手がかりに、読者たちを彼らの誠実な問いに接続させようと思った。それが巨大なシステムの中に組み込まれた「一本のネジ」という言葉だ。巨大なシステムの中で生きている、というのは今もあの戦争もシチュエーションこそ違うが、構造は変わらない。
アンダースは、苦悩するイーザリーという人間にこそ、希望を見出すのだが、それは今の社会を生きる人たちにとっても同じように希望となるのではないか、と考えたのだ。
かたや「命令されただけで拒否できなかった」「私は戦時の命令に従っただけであり、まったく悪くない」と言い張る人間がいるなかで、アンダースは巨大なメカニズムがあることは認めるが、大事なのは、メカニズムのせいにして自分の行為を免罪することではなく、メカニズムの中で「いかなる場合に、どの範囲まで」協力すべきなのかを問うことにあると考えていた。ネジならネジとして、自分の行為として苦悩し、考える責任を負うことが人間にとっての希望なのだ、と。直接は書かなかったが、行間に込めたのはこういうことだった。現代社会も昔と同じで、自分の良心と相容れないことをシステムの中でやらなければいけないかもしれない。その時に抵抗できないまでも、命令されただけだと開き直るか、それとも苦悩するか。もたらされる結果は同じでも、そこには大きな違いがある。イーザリーの苦悩と今の社会でも起こりうることは、繋がる部分があるのではないか?
広島の原爆死没者慰霊碑の前で線香に火を付ける人たち=2019年8月6日、広島市中区
ネット時代のニュース概念
この記事は私に思わぬ驚きをもたらした。記事は発表直後からそれなりにシェアされて話題になっていたが、1年後の8月6日にも、私が全く知らないツイッターユーザーのシェアを機に前年と同じように感想が集まり、多くの読者に広がり、新たに読まれていったからだ。
新聞で言えば1年前に話題になった記事が同じ日に再び話題になるということはまずない。あったとしても非常に稀なケースだ。8月、特に広島・長崎の原爆投下をめぐる記事は、今なお多く書かれ、毎年のように各社から力が入った「8月ジャーナリズム」記事が出てくる。読者が1年前の記事をシェアして、広がっているということは、そこに何らかの「ニュース」があると嗅ぎ取ったからではないかと私は考えた。読者は1年前の記事だから「新しくない」と考えたのではなく、自分が知らなかったこと、それまでになかった視点があればいつの記事でも「新しい」ものとして読んでくれる。つまり「新しい=速報のアップデート」ではなく、「知らないこと=新しいこと」として捉えている。
ここにはインターネット時代の「新しい」という考えが表れている。インターネット以前は「新しさ」の意味は自明のもので、新聞なら直前の朝夕刊、雑誌なら直近の発売号に掲載されていないもの、テレビやラジオなら直近のニュース番組で伝えられていないニュースと定義できた。翻って、インターネットではどうか。読んでいた記事の日付を読むと、数年前に掲載されているものだったり、1年前、3年前の同じ日に流れたりした特集記事があらためてシェアされていることは決して珍しいことではない。
この新しさを理解するために、フローとストックという言葉を補助線に引いてみよう。速報を流し続けるというのは、インターネット上の情報空間にニュースを流すことでできる、つまり「フロー」の力に着目したものだ。私の体験はインターネットにニュースを「ストック」することによって、過去記事であっても読者が接した瞬間が「今」であり「新しい」ものが生まれるということを示唆している。これはニュースにとって劇的な変化である。
新聞に印刷されて終わり、テレビに流れて終わり、時事的なものを報じて終わりだったニュースは、インターネットによって情報空間にストックされるようになり、新しい気づきを与えるものとしてのニュースという意味合いが付与されるようになった。簡単に古びない記事もまた本質的な新しさを持つニュースなのだ。これは書籍の考え方と近い。時代を超えて読まれるようなもの、新しい何かをいかにして生み出すか。問われているのはここだ。問うことで、なぜ、「新しい条件」が必要になるのか。その理由が明らかになる。
百田尚樹の新しい伝え方
戦争の伝え方について、ジャーナリズムの世界よりもいち早く手法を洗練させていったのは、平成右派運動だったというのが私の見方だ。詳しくは私の新刊『ルポ 百田尚樹現象?愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)に譲るが、あの戦争の語り方、捉え方を常に「新しく」してきたのは小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』であり、百田尚樹の『永遠の0』や『日本国紀』だった。
両氏にはリベラル派や左派から、右派的な歴史観を中心に激しい批判が寄せられている。私は、あらためて彼らに直接取材する中で当時の状況を事細かに調べた。ファクトを中心にしたリベラル派の批判の多くは当たっていると判断している。だが、批判する側には決定的に捉えきれていないことがあった。彼らの読者にとっては、批判以上に大切だったのは、先の大戦について「新しい」伝え方を提示したことにある。さしあたり、百田の作品に絞って考えてみよう。
平成右派運動を分析した『ルポ 百田尚樹現象〜愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)
この間、計5時間半にわたるインタビューでよくわかったが、放送作家出身の彼は、インテリ──右派、左派を問わず──がどこかで持っている、「大衆への軽蔑心」を徹底して軽蔑している。マス=大衆(=「普通の人々」)への信頼を絶対に崩さない。読者や視聴率について、徹底的に考え、数字が取れるものを追求している。常にマスを相手に仕事してきた彼は、特攻隊をテーマに、映画も大ヒットした『永遠の0』において、戦争体験者の声をテレビのナレーション原稿のように書くという手法で読者を感動させ、ベストセラー作家へと駆け上がっていった。先の大戦をテーマにした作品で、百田以上に広範な読者を獲得したというリベラル派の作品はない。
無論、これは百田あるいは百田を取り巻く現象に問題がないということを意味しない。文芸批評家の加藤典洋が『世界をわからないものに育てること』(岩波書店、2016年)の中で、2011年3月11日からの社会を「感動社会」と呼び、その代表的な作品として『永遠の0』を取り上げ、仔細に論じている。
加藤は、百田が朝日新聞デジタル(2013年12月30日)で同作の映画監督、山崎貴と対談した際に語ったある一言に「百田尚樹」という作家の「新しさ」を見て取る。 「イデオロギーをこの作品(筆者注:『永遠の0』)の中に入れると、宮部の生き方が誤解されるんですよ。だから、僕はこの原作にできるだけイデオロギーを入れなかったんです。本当に個人として、あらがえない状況の中、この状況の中で彼はいかに生きたのかということだけを書いたんですよ」(百田)
加藤は、まずもってこの発言は言葉通りに受け止めるべきだと語り、その上で「感動」の調達方法に注意を向けている。
「人を感動させるために『反戦小説』仕立てのほうが都合が良いとなったら、『イデオロギー』抜きで、というか(自分のものではない)『イデオロギー』までを(作品用に仮構して)読者を『感動させる』ための道具とする新しい種類の作家たちが現れてきているからです。百田氏はそうした新しい小説家の一人なのです」(加藤前掲書)
キーワードは感動
百田の作品を貫くキーワードを一つ挙げるならば、それは加藤も指摘するように「感動」である。高校生のボクシング部を取り上げても、時代小説を書いても、『日本国紀』のように日本の歴史をテーマにしても、すべてにおいて彼は多くの人を感動させる物語を書くことができる。百田の物語を読み、感動できる人は世の中では多数派である。「こんなのは小説ではない」「取るに足らない」「感動できるなんておかしい」と論じるのは、一部の文芸ファンやインテリだけだろう。加藤はさらに百田尚樹と宮崎駿を比較して論じている。その要点はこうだ。
反戦的=戦後のリベラル的価値観を強く支持する宮崎は、百田作品を認めていない。というよりも、宮崎にとって、百田の右派イデオロギーは批判の対象でしかない。しかし、百田は宮崎が戦争を正面から描いた映画『風立ちぬ』を自身のツイッターで「先日、アニメ『風立ちぬ』の試写を観た。ラストで零戦が現れたとき、思わず声が出てしまった。そのあとの主人公のセリフに涙が出た。素晴らしいアニメだった」(2013年7月11日)と大絶賛している。異論への寛容を是とするリベラル派の宮崎はいかにも不寛容であり、むしろ右派である百田の方が寛容に見える。
この問題に対する加藤の見解と私の見解が合致する部分を抜き出しておこう。宮崎が不寛容に見えることは真に論じる問題ではなく、いってみれば偽の問題である。ポイントは、百田は宮崎の平和主義に賛同しているのではなく、ただただ「感動」に正直なことだ。作家の背景やイデオロギーは百田にとっては関係がない。彼は自分の考え、受け取り方が何より大事なのであって、それ以上の意味はない。要するに「その時々の自分」、もっと踏み込むならば「その時々の自分の感覚」に正直なのだ。
イデオロギーを「着脱」する
「全体としてその作品を作り上げているイデオロギー、さらに作者の思想傾向が自分のそれを真っ向から否定するものであろうと、そのような文脈は、容易に着脱可能な様態に置かれ、いまは自分の『感動』に正直でありたいと思えば、それを素朴に吐露できる。後で、困れば、いくらでもそのようなものは、撤回、削除できるのである」(加藤前掲書)
百田にも右派的なイデオロギーがあることはあるが、より広く人を感動させるためならば彼は洋服を脱ぎ着するようにイデオロギーを「着脱」して、小説を書くことができる。自身の政治信条があったとしても、「入れない」ほうが良いと判断したら百田はそれを外すことができる。私はインタビューである言葉を、彼から聞いて、衝撃を受けた。それはこんな言葉だ。
「『大東亜戦争』という言葉を使うことで拒否感を持つような方もおられますので、こだわりがマイナスになります。用語はもちろん大事ですが、多くの観客にとってはどうでもいいことです」
「着脱可能」なイデオロギーはここに確かに存在している。加藤はそこに─無論、彼自身は百田に批判的だが─「新しさ」を見るのだ。「新しい作家」にとって、思想信条とは簡単に着脱できるもので、読者の「感動」がより「上位」に置かれる。新しい作家は「感動させる物語、そういう物語にふさわしいイデオロギー」を選んで書く。そして、物語は「ごく普通の人たち」に届き、感動は共有されていく。
感動vs.届かない記事
私は百田尚樹のイデオロギーをよく知っているので、彼の戦争の伝え方を全面的に肯定する考えはないが、それをもって既存の8月ジャーナリズムを肯定することもない。8月ジャーナリズムは、まずもって「百田尚樹現象」に完敗を喫していることをまず認めるべきだろう。彼が繰り出す「感動」の物語を前に、ほぼ読者に届かない記事の量産で終わってはいないだろうか。常に繰り返され、手垢のついた伝え方にとどまってはいないだろうか。あっという間に古くなってしまうような記事の書き方になっていないだろうか。私には時代から問われている課題が、残されたまま放置され続けているように思えてならない。
ではどうしたらいいのか。いま一度、立ち返るべきはこの日本社会に生まれた以上、先の戦争について8月だけでも考えたいという読者が、潜在的に多くいるという事実だ。「百田尚樹現象」を特集した「ニューズウィーク日本版」(2019年6月4日号)は、大きな反響だけでなく、同誌としても高いセールスを記録し、「第26回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞した。セールスの理由はよくわかる。インターネットに無い、新しい何かが詰まった、強い特集になったからだ。
終戦記念日の出来事を伝える昨年8月16日付の朝日新聞朝刊
ここに8月ジャーナリズムが続ける条件は、出そろった。新しく8月ジャーナリズムに付け加える一つの条件とは、過去の模倣でも、繰り返されてきたことでもなく、新しい何かを提示すること、これである。「大事なものは大事だ」「数字を出すことが大事」では思考停止であり、バランスを欠いている。読者がいて、動機はなんであれ、あの戦争を「知りたい」というニーズはある。私も含めて、読者と誠実に向き合い、強い原稿を出し続け、届けることでしか希望は開けない。
※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』8月号から収録しています。同号の特集は「8月ジャーナリズム」です。