幻に終わった「ホンダ・日産」
官製再編案、反骨心に火
ホンダ創業者の本田宗一郎氏は、テレビカメラの前でインタビューを受けた際、最先端の二輪車エンジンから年代物の英国製スポーツカーまで、さまざまな話題について情熱的に語った。彼の熱弁は日本政府に対してはさらに火がついた。いわく政府は、ホンダを成功に導く上で土台となった夢を抑えつけるだけの、「お門違い」で想像力を欠く存在でしかなかった。
イラスト Ingram Pinn/Financial Times
実際、1960年代初頭、日本の政治家と官僚は世界市場に進出しようとするホンダの成長戦略をあざ笑い、同社の自動車市場への参入、そして政府のお気に入りであるトヨタ自動車、日産自動車との競争をも阻もうとした。63年に発売されたホンダ初の四輪乗用車「S500」は、シックなロードスターであると同時に、「政府の命令で俺は動かない」と言い切った男がみせた、猛烈な反抗の象徴でもあった。
先週、日本政府の幹部がホンダ、そしてその宿敵である日産を経営統合に向けて交渉させようとしていたことがわかった。本田氏が今も生きていたとしたら、これにどう反応したであろうかを想像するのは難くない。
両社ともまったく興味を示さず、合併案が今のところは立ち消えになっている点は、この際、重要ではない。失敗することがわかりきっていた合併案は昨年末、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の少し前に浮上したものだ。しかし、極めて重要な局面で明るみに出た。
■日本政府、企業活動に介入する機運
多くの業界では、新型コロナ危機を短期的に乗り切るだけでも、大々的なリストラが必要になってくるかもしれない。あるベテラン投資家によると、それに伴う再編の中には、日産・ホンダ合併案のように、企業文化が相いれない、国内ライバル企業同士によるものもあるかもしれないという。
M&A(合併・買収)専門のバンカーや著名経営者によれば、日本ではコロナ禍により、政府が企業活動に介入しようとする機運が再び盛り上がっているという。政府の大物や省庁は、危機にある産業界の強化・再編で自分たちに果たすべき積極的な役割があると考えるようになっているのだ。
同じ事業分野に企業が乱立している日本はとりわけ、企業再編の機は熟しているようにみえるが、他国でも似たような動きはあるかもしれない。企業が似たような圧力を受けるかもしれない国として、ドイツと韓国が挙げられる。
欠点は多いものの、表向きは企業を守ることを目標にした、国内企業同士を合併させる案が政府による干渉の大きな軸になりそうだ。パンデミックにより企業は海外の買収候補の十分なデューデリジェンス(資産査定)ができない。そこで国内で実現できる防衛的M&Aに目を向ける企業が増えれば、この流れに拍車がかかるかもしれない、とM&A専門の弁護士らは話している。
■日本企業同士の合併、海外との合併より難しい場合も
失敗した日産・ホンダ合併案はよい教訓となるだろう。政府から出てきたビジョンは短絡的で、今後も似たようなことが起きる可能性は高い。合併案が最初に浮上した昨年12月末には、20年続く日産と仏ルノーの連合のもろさとピリピリした関係が、もはや隠せなくなっていた。両者の関係がさらに悪化すれば、日産は弱い立場に置かれるとの懸念があり、政府関係者の間では、そうした事態にどう備えるかについてパニックが起きていた。
そこで国内チャンピオン企業の誕生を目指すべく、日本政府はお節介な仲人役を務めようとした。見合い相手は、まだ経営の独立を保っているが、やはり脆弱に見え始めていたホンダだった。
実際問題として合併を実現するのが不可能だったにせよ、日産とホンダが業務提携する理由が成り立つ分野があると指摘する人もいる。アナリストのミオ・カトウ氏は金融情報サイト「スマートカルマ」への投稿で、電気自動車やハイブリッド車、燃料電池車について両社が協力できる可能性を挙げている。
だが、国内合併を経験したことがある日本のメガバンクや鉄鋼メーカー、石油精製会社などの経営トップは口をそろえて、現実にいざ統合を始めても、相手との相性がよくないことがわかると、合併作業はたちまち困難を極める、と話す。
銀行業界のある最高経営責任者(CEO)は、意外に思えるかもしれないが、国内合併は外国企業との大規模な経営統合よりも難しいかもしれないと指摘する。相手が外国企業の場合、異なる国同士の文化が衝突することを想定し、それを克服する決意が起点になるからだ。
日産とホンダを合併交渉させようとする考えは、論理を欠いており、荒唐無稽に等しい。日本有数の企業である両社の事業構造をいかに理解していないかも浮き彫りになった。
交渉にさえ至る見込みが薄かった理由はいくらでもある。日産株の43%をルノーが握っていること、世界を見渡すと両社の事業展開している地域が重複していること、元会長のカルロス・ゴーン被告が去った大混乱の後、日産のかじ取りに経営陣が恐ろしく気を取られていること、ホンダ車のエンジニアリングの設計が独特で標準化されたサプライチェーン(供給網)の構築が困難になることなどだ。
だが、これらと比べても格段にお粗末だったのが、過去に国が出してきた「提案」に対して、ホンダがどのように反応してきたかを政府が忘れていたことだ。ホンダの自動車事業は、成り立ちからして、政府の経済政策の立案者が振りかざす権威に対する反骨心を体現しているからだ。
■「再編できない」予備軍、数多く
本田氏の死去から30年近くたつが、彼の情熱と「(政府は)自動車を造ることができなかったが、私にはできた」という気骨は社内に脈々と受け継がれている。危機を受けてホンダがこうした視点を変えるだろう、と考えるのは見通しが甘いとしか言いようがない。
もし日本政府が、今後も企業同士の見合いを増やしていったら、日本の産業界にはホンダのような価値観を持つ企業が数多く存在するという現実に突き当たるだろう。いずれも、新型コロナで危機に直面していても、自社の企業文化を何としてでも守ろうとしている。そして、自分たちの業界がなぜ、なぜ再編できていないかもよく理解しているのだ。