時論・創論・複眼

 

 

戦後75年、歴史と向き合う(複眼)

 

佐藤卓己氏/クラウス・シュレーダー氏/田所智子氏

 

 

第2次世界大戦の終戦から75年が過ぎた。日本では戦後生まれが人口の8割を超え、体験者が「昭和の戦争」を語る時代は終わりつつある。欧米でも記憶の風化が進み、ポピュリズムの台頭などを許している。我々は歴史とどう向き合い、語り継げばいいのか、専門家に聞いた。

 

 

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■「異なる終戦」問い直しを 京都大学教授 佐藤卓己氏

 

さとう・たくみ 京都大大学院修了後、東京大新聞研究所助手などを経て現職。専門はメディア史。歴史学の観点からマスメディアや情報文化の研究を進める。59歳

75年を迎え、戦争を経験した世代が一段と減り、アジア・太平洋戦争は人々の「記憶」ではなく「歴史」に変わりつつある。戦後生まれが8割を超える中、日本だけで300万人以上の死者を出した先の大戦になぜ突き進んだのか、アジア諸国の植民地支配とは何だったのか。日本人がこうした歴史にきちんと向き合えているとは言い難い。

象徴的なのは「終戦の日」を巡る国際社会との認識のずれだ。日本人は昭和天皇の玉音放送が流れた1945年8月15日を終戦とみなし、全国戦没者追悼式など関連の行事もこの時期に集中する。8月に祖霊が戻るとされるお盆の伝統も影響したと言える。

しかし本来は米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日を終戦と考えるのが国際標準だ。米仏はこの日を「対日戦勝記念日」、翌3日をロシアは「第2次世界大戦終結記念日」、中国は「抗日戦争勝利記念日」としている。

終戦は相手国のある外交事項だ。大本営が陸海軍に停戦を命じたのは8月16日であり、8月15日はどの前線でも戦闘が続いていた。国民統合の共通体験として玉音放送が重視されているのかもしれないが、内向きの論理と言える。

そこで終戦の日を2つに分けて考えることを提案したい。終戦の日の正式名称は82年に閣議決定された「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。8月15日は「戦没者を追悼する日」として今まで通り戦没者を悼み、戦争経験者や遺族の声に誠実に耳を傾ける。9月2日に「平和を祈念する日」を新設し、政治家や有識者のほか、一般市民も理性的に戦争責任や国際平和を議論する日にしてはどうか。

当時の国際情勢における政治判断や作戦計画の無謀さなど、敗戦の責任について考える一方、アジア諸国を植民地にした加害責任も議論する。8月29日(日韓併合)や9月18日(満州事変)に関しても理解を深めればいい。歴史認識をアジア諸国と冷静に議論することは重要だ。しかし、こうした作業を戦没者に祈りをささげる8月15日にするのは心情的に難しいだろう。

9月2日は忘れられがちな歴史的事実に目を向ける好機にもなる。例えば北方領土へのソ連軍の侵攻は45年8月末から始まった。ソ連の侵攻やシベリア抑留の経験からすれば、満州に住んでいた人々にとっても8月15日が終戦とは現実には言い難い。

モノやカネが自由に国境を越えるグローバル社会では、国家が国民を統合する枠組みとして歴史はますます重要になる。事実より感情を優先し、自国に都合の良いように歴史を利用することを「歴史のメディア(広告媒体)化」と呼んでいるが、世界的にこうした風潮は強まっている。歴史を学ぶ意味は目の前の利害だけにとらわれず、長期的な視点で政治や国の未来を考えられるようになるためだ。

「8月15日=終戦の日」は、新聞やテレビが戦争に関する特集をこの時期に集中させる「8月ジャーナリズム」の影響も大きい。75年の節目に「9月ジャーナリズム」を改めて提唱したい。

 

 

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■負の連鎖、極右の温床に ベルリン自由大学教授 クラウス・シュレーダー氏

 

Klaus Schroeder ドイツを代表する政治学者で専門は戦後ドイツ史。極右・極左の研究でも知られ、ベルリン自由大付設の研究所を率いる。独メディアへの登壇も多い。

 

コロナ禍が与党の追い風となり、足元では右派ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」はやや勢いを欠く。(1980〜90年代に支持を集めた)過激な共和党は内部分裂で衰えた。将来、AfDも同じ道を歩むかもしれないが、すぐに消えることはないだろう。2021年秋の連邦議会(下院)選では8〜10%の得票率で再び議会進出を果たすとみている。

旧東独地域がAfDの票田だ。30年前のドイツ再統一で旧東独が貧しくなったという被害者意識と、自らは「二等市民」という劣等感が支持の原動力になっている。統一を主導した旧西独への妬みとルサンチマン(恨み)があるから旧西独を基盤とする穏健政党を拒否する。そうした有権者はポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を軽んじる。だからポピュリストに票を投じることにためらいがない。

歴史認識も影響している。反ナチスを戦後の出発点にしたのは西も東も同じだが、その後の歩みが違った。西独は民主主義が定着し、福祉国家になった。政治的にも経済的にも「戦後は成功した」と誇ることができる。一方、東独は社会主義となり、再び独裁国家に転落した。失敗続きの歴史で市民は自信を失い、敗北感と劣等感が社会を支配するようになった。

負の歴史にどう向き合うか東西で温度差もあった。西独が加害者としての歴史検証を始めたのは1958年、ナチス親衛隊の蛮行を裁判で有罪にしてからだ。つまり10年余りも見て見ぬふりをした。だが東独はもっとひどい。「反ファシズム」という国是のもとで蛮行の真摯な反省より、反帝国主義・反資本主義の宣伝に力を入れた。そのゆがみが残るのではないか。

豊かになればポピュリズムが弱まるという意見もあるが、これを経済問題とみるのは誤りだ。もはや旧東独地域の所得は物価水準を考慮すれば、旧西独をやや下回る程度にすぎない。旧西独のなかでの格差のほうが東西の地域差よりもはるかに大きい。この事実を無視し、「貧しいからカネをよこせ」と叫ぶ人たちは、私には子供のわがままのようにみえる。

とはいえAfDやその支持者を無視するのはよくない。さらに被害者意識が強まる。これは心理的な問題なのだ。AfDの主張をファクトに基づいてひとつひとつ論破し、支持者を粘り強く説得するしかない。

歴史をみるうえで公文書など一次史料に基づいた研究が極めて大切だ。記録を示すことで白黒をはっきりさせることができる。公文書の管理・開示が自らの過去を知る基礎になるのは言うまでもない。幸いにもナチス時代は調査が進み、学術面での空白はかなり解消された。だが東独の独裁体制の検証は道半ばで、植民地支配の研究は緒に就いたばかりだ。

今後は負の歴史を次世代に継承する「記憶の文化」が大切になる。記念碑や博物館を設け、生き証人の言葉を記録し、自らが歩んだ歴史として残さないといけない。

 

 

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■無名の記憶、無色で残す 戦場体験放映保存の会事務局次長 田所智子氏

 

たどころ・さとこ 大阪大医学部卒、医学博士。内科医として勤務する一方で、2004年から市民団体「戦場体験放映保存の会」設立に関わり、事務局次長を務める。54歳

 

消えゆく戦場体験の記憶を後世に残さなくては。そんな思いを共にした仲間とともに、2004年から先の大戦を生き延びた元兵士や戦争体験者の証言を記録する活動に取り組んできた。これまでに約2800人の証言を動画や手記の形で収録し、一部をホームページやイベントなどを通じて順次公開している。

活動の原則は「無色・無償・無名」。先の戦争を振り返る時、一部分だけを見たり、美化したりされがちだ。だが、ありのままの戦争の記憶を後世に残すには、その語り継ぎは色を付けず、世代も価値観も思想信条も異なる人たちが一緒にやるべきだ。

戦争の姿は体験者によってそれぞれ異なる。作戦を立案・遂行した有名な軍人の記録は発掘されて戦争研究が進められても、戦争に巻き込まれた圧倒的多数の名も無き人々の記憶の多くは語り継がれることなく消えつつある。歴史の教訓に学ぶためには、こうした人々の証言にこそ戦争の実相に触れるヒントがある。

部隊長の命令で中国の現地人を刺殺する場面に居合わせた人、南洋の小さな島で上官をリンチで死なせたという証言……。耳を塞ぎたくなるような加害体験であっても、証言者にはそうした立場に置かれたことへの不条理さ、怒り、語り残さずには死ねない、という思いがある。

会では戦争体験者の証言を直接伝える活動の一つとして、定期的に各地で茶話会を開いてきた。新型コロナウイルスの感染拡大で、今年はテレビ会議システム「Zoom(ズーム)」を活用した試みも実施中だ。

茶話会には老若男女、中には「ミリオタ(ミリタリーオタク)」と呼ばれる軍事マニアの人など、様々な立場の人が数多く参加してくれる。彼らはそれぞれの関心に沿って自由に質問を体験者に投げかけるが、大抵は期待したところにボールが返ってこない。

ある若い参加者は沖縄戦の体験者に「どういうことに気を付けて、生き残ることができたのですか」と問うた。戦場でのサバイバル能力を質問したかったのだろうが、返ってきた答えはたった一言、「運です」。

そもそも戦場にそんな分かりやすいハウツーなどあろうはずがないのだが、主催者として戦争に対する考え方を用意しているわけではない。それぞれの参加者が体験者との交流を通じて、自分で答えを見つけてもらえればと願う。

同じことは一部メディアにも言える。毎年、この時期になると「今年初めて体験を語り始めた人はいませんか」「特攻に参加した人を紹介してください」といった問い合わせが相次ぐ。だが体験の語り継ぎによる気付きは、膨大なキャッチボールの中で得られるのであり、待ち構えた所に簡単に答えは見つからない。

戦後75年がたち、元兵士の多くが世を去り、生で得られる証言は残りわずかだ。時間との闘いなのは言うまでもないが、歴史を未来へとつないでいくために、私たちが今問われているのは、より多くの声に耳を傾け、歴史と真摯に向き合う姿勢ではないだろうか。

 

 

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<アンカー>記憶継承は我々の責務

戦争の記憶は戦争体験者の減少とともに歴史となる。先の大戦で軍部の暴走を許した背景にはポピュリスト政治家が高揚する世論に乗じて影響を広げ、メディアも偏狭なナショナリズムをあおる報道を展開した。こうした過去の反省を踏まえ、日本が歩む針路を考える必要がある。

一方向から歴史に光を当てても、戦争の実像は浮かび上がってこない。先の大戦では自国だけでなく他の国々、特にアジア太平洋諸国に多大な損害と苦痛を与えた。ドイツのシュレーダー氏は「負の歴史」を継承する大切さを強調する。

佐藤氏が自国に都合の良いように歴史を利用する「歴史のメディア化」が世界的に広がりつつあると指摘する中、田所氏のように戦争の記憶の継承作業を続けていくことが次世代への我々の責務だと考える

 

 

 

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