[社説]

 

戦争の何を語り継ぐべきなのか

 

 

玉音放送の夏から75年がすぎ、今年も終戦の日が巡ってきた。戦禍を被った国内外の多くの犠牲者に哀悼の意を表し、平和への誓いを新たにしたい。

戦後70年談話を報じる日本経済新聞

新型コロナウイルスの感染拡大に翻弄されているさなかである。8月15日を巡る報道も、全国戦没者追悼式の参列者が昨年の1割に縮小されたなど、コロナ絡みのものが多いようだ。コロナ禍を第2次世界大戦以来の国難と位置付ける向きもあり、そうした話題に傾くのは当然ではある。

 

70年談話を読み返そう

とはいえ、過去の戦争の反省を踏まえ、これからの日本が歩む針路をどう考えるのかという本筋がおろそかになってはなるまい。終戦の日の新聞やテレビを「8月ジャーナリズム」と冷笑する人がいるが、この日にも口の端に上らなくなれば、戦争の記憶はいよいよ風化していく。

日本の新聞の終戦の日の社説を振り返ると、「戦争を語り継ごう」と書かれていることが多い。では、いったい何を語り継げばよいのだろうか。

先の大戦で亡くなった日本人は約310万人とされる。空襲、沖縄戦、原爆。軍人のみならず、一般国民までが犠牲となった。その悲惨な姿を伝えることは、戦争を抑止する一助となろう。

では、自国の犠牲のみを強調すればよいのだろうか。勝てるいくさならばやってよかったとの発想につながりかねない。アジア諸国に多大の損害を与えたことは、率直に認めなければならない。

ここ数年、大戦の際の日本の行動を「アジアを白人の植民地支配から解放しようとした聖戦」などと美化する出版物がよく売れている。戦争にはさまざまな側面があることは否定しないが、若い世代に偏った歴史観を植え付けることにならないかが心配である。

ぜひ読み返してほしい文章がある。安倍晋三首相が5年前に発表した戦後70年談話である。村山富市首相の戦後50年談話と比べ、おわびの表現が弱いのではないかと批判されたが、ひとつ明確にしたことがあった。

明治の日本が世界の列強に屈しまいと立ち上がった日露戦争のような戦いは「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と肯定的に捉えた。他方、昭和の戦争は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みた」と断罪した。

では、ふたつの時代の境目はどこにあるのか。第1次世界大戦の惨禍を教訓にして1928年に主要国が締結した不戦条約である。談話は「戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれた」と位置付けている。

この新しい国際秩序を最初に壊したのが、日本が引き起こした満州事変である。ナチス・ドイツの周辺国への侵略よりも早く、ある意味で日本が次の大戦の火蓋を切ったとも言える。

「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた」「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」。談話は聖戦論を否定している。首相官邸のホームページにいまも掲載されており、誰でも読むことができる。

 

戦争責任に向き合おう

今年は欧米諸国で歴史の見直しを求める声が広がった。米国で黒人男性が白人警察官による暴行で亡くなったのをきっかけに、南北戦争当時の南軍の将軍の銅像を壊そうとする動きが広がった。触発されてか、英国ではかつての奴隷商人の銅像が倒された。

いまの基準で過去の常識を問い直すのは行き過ぎではないかとの声もあるようだ。歴史問題はどこの国にとっても簡単に答えの出せない難題である。

だからといって、目を背けてよいはずがない。同じ敗戦国でも、ドイツはアドルフ・ヒトラーが国家運営を誤ったことを認め、ナチズムを非合法化するなど戦争責任を問い続けてきた。

戦後日本における戦争責任の追及が手ぬるかったことは、東条英機元首相ら戦争指導者が靖国神社に「昭和殉難者」として合祀(ごうし)されていることによく表れている。無謀な戦争へと駆り立てた側といや応なく死地に送られた側が一緒にされたことで、戦没者追悼という当たり前の営みまでぎくしゃくすることになった。

戦争を体験した世代は程なく去って行く。忘れられてしまう事柄は多いだろう。だが、歴史のひとこまとなることで冷静に論議しやすくなる面もある。何を語り継ぐのか、そこから始めたい。

 

 

 

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