経済教室

 

共感と分断を同時に加速 SNSと現代社会

 

 

前嶋和弘 上智大学教授

 

 

ポイント

○トランプ政権はSNSが育てた初の政権

○必要だが厄介なツールとして利用しよう

○提示される意見ではなく自ら情報を探せ

 

 

SNS(交流サイト)が米国政治を大きく変貌させている。ツイッター、フェイスブックなどの各種プラットフォームが普及し出してから10年強にすぎないと考えると、変化の大きさには改めて驚く。これは、ちょうど米国政治の中で保守とリベラルが大きく分かれていく「政治的分極化(両極化)」が進展した時代とも重なっている。

トランプ大統領はSNSを巧みに操り、党派性を徹底的にあおりながら自分の主張を展開し、支持固めに直結させている。同氏のツイッターのアカウントは2020年7月下旬現在、8371万人超のフォロワー(登録者)を持つ。

自ら発しているとされる一つひとつのツイートは、極めて平易な文章でまとめられている。就任以後の2年半、今や米国だけでなく世界中の政府やビジネス関係者が発信を待ち受けている。文字通り、「指先で瞬時に世界が動く」といっても過言ではない。

ただ、内容は極めて特異だ。「敵と味方」をしゅん別し、敵を徹底的に否定し、味方をほめちぎるのが基本姿勢だ。この姿勢は16年の大統領選挙のころから全く変わっていない。そう考えると、トランプ政権はSNSが生み、育てている初めての政権と言ってもいいのかもしれない。

 

◇   ◇

米紙ニューヨーク・タイムズの調べによると、就任から19年10月15日までの大統領のツイートは計1万1千以上。その半数以上は他者への攻撃である(表参照)。民主党との対立などが表面化すると、反論や批判などのツイートが激増する傾向もある。標的には外国の要人も含まれる。

大統領はリベラル色が強い報道機関のニュースを、自分に否定的であるとして「フェイク」だと書き込んできた。明快で敵を一刀両断に切り捨てるツイートに対して支持者は拍手喝采だが、誇張も多く、真実かどうか怪しい情報も含まれている。そのツイートに対して、場を提供しているだけであるという立場から、ツイッター社はできる限り規制を行わなかった。しかし、度重なる大統領の誇張や嘘に対して5月、「郵便投票は不正がはびこる」という誤解を招きかねない大統領の投稿に「根拠がない」という注釈をつける措置を行った。

これに大統領が激怒したのは想像に難くない。「言論の自由を守る」として、すぐにSNS運営会社が投稿を規制することを阻止する大統領令に署名した。編集行為を行うなら、通信品位法で守られているSNS各社の免責特権をはく奪するというものだ。

実際にSNSを規制するとしても、政府機関にどこまでチェック能力があるのかは疑問である。規制する意思を見せることで、ツイッター社の自重を促し、警告措置が慎重になれば、大統領としては十分なのだろう。これまでのツイートと同じように敵をくじけさせる政権運営の戦術だ。

とはいえ、走りながらルールを模索するという新興メディアの特性から、種々の問題が顕在化しているのは事実だ。SNS各社にとっては受難の時代ともいえる。そもそも、表現の自由を守る立場で、どこまで投稿内容を検閲していいのかは微妙である。たとえ人工知能(AI)を利用したとしても、アルゴリズムと呼ばれるコンピューターの計算処理方法を組む行為そのものが恣意的だという批判も出てくるだろう。それでも「偽情報を見逃すのは問題だ」という堂々巡りの議論が続いている。

 

◇   ◇

ここで、SNSというメディアの特徴について立ち戻ってみたい。論点は3つある。

まず第1に、SNSは基本的に共感を呼ぶメディアである。米国で一気に拡散した人種差別反対運動については、残忍な白人警官のやり方に対して、写真や映像とともに憤りの言葉がSNS上に拡散し、参加の渦が広がっていった。運動のピークとみられる6月半ばに2600万人もの人々が参加する、過去最大といわれる社会運動に広がっていく(数字はカイザー家族財団の推計、6月8日から14日調査)。

SNSが自分と似た考えの人たちとの連帯のペースを速めていることが、この運動でも明らかだ。約30年前のロサンゼルス暴動の時に比べて、運動拡大のスピードは隔世の感がある。SNS初期のオバマ前大統領の選挙運動も、今から思えばかなり牧歌的だった。

第2の性質は、自分と違う立場の意見とは没交渉になる点だ。SNSや検索サイトでは、アルゴリズムで利用者の関心が高いとみられる情報が優先表示される。見えないフィルターがかかり、まるで泡の中にいるように自分と反対の立場や不都合な情報が見えなくなってしまう。共感できるものと共感できないものが分かれ、見えない壁ができる「フィルターバブル」現象が目立っていく。そのため、SNSは社会の分断をさらに加速化させている、という見方も少なくない。

コロナ禍という国家的一大事にあっても国民世論の分断が目立つ。例えばマスク着用についても、保守派の中では懐疑的な意見が多い。これは、マスク着用の重要性をSNSで否定し続けてきた大統領にも責任の一端はあろう。

これだけの分断は米国の政治史を見ても、ほとんど例がない。世論調査がない南北戦争時の議会は、党派性によって法案投票が割れた。いまの議会も同じだ。そして南北戦争では国民は銃を取って殺し合った。今はSNSで相手を罵倒し合っている。特定の政策に対する世論が妥協できないほど割れてしまえば、合議によって落とし込まれるはずの政策が生まれにくい。「動かない政治」「決まらない政治」が固定化する。

3番目は、技術的な脆弱性である。7月15日には、11月の次期大統領選で民主党の指名獲得を確実にしたバイデン前副大統領や、オバマ前大統領などの複数のツイッターアカウントが何者かに一時的に乗っ取られた。被害はなかったというが、トランプ大統領のアカウントも当然、狙われていたと推測される。

これまでの傾向から、かなり大胆な内容の大統領のツイートがあっても、本物だと受け取る人がいるかもしれない。もしアカウントが乗っ取られ、例えば「イランを今から1週間以内に核攻撃する」と書き込まれた場合、真に受ける人は少なくないだろう。大混乱の中、偶発的な衝突が起きるかもしれない。ツイートの乗っ取りが歴史を変えてしまうという想像を、果たして杞憂(きゆう)だと言い切れるだろうか。

ただし、SNSという「パンドラの箱」は開いてしまった。今後の政治や社会は誇張や分断、セキュリティー上の脆弱さから逃れられない。それでも我々は、このSNSという厄介な道具と付き合っていかなければならない。むろん、アルゴリズムが示す情報の泡の中で、都合のよい意見だけにとらわれてしまう危険性を改めて認識し、多様な情報源を探していく必要があるのはいうまでもない。

 

 

 

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