哲学者が考えていること(3)

 

「チャラい政治哲学者」萱野稔人が考える硬派な国家論

 

 

津田塾大学の女子学生の間でひそかに回し読みされているファッション誌がある。

「AneCan」(小学館)の2013年7月号。特集のタイトルは「浴衣男子と浴衣デート」だ。俳優の斎藤工、小泉孝太郎らとともに、パリッとした浴衣姿でカメラ目線を決める短髪の男がグラビアに写っている。萱野稔人(49)。同大で教鞭(きょうべん)を執る哲学者である。

「昔から、はやりに乗っかる軽薄な人間なんですよ」。そううそぶくが、国家や戦争、暴力を考察する硬派の政治哲学者だ。

「チャラい」といわれることもあるが、担当編集者だった下河辺さやこ(46)は「実はマジメで研究熱心、少しシャイだが面倒見もいい」と評する。「打ち合わせでは理路整然としゃべり、哲学者の『沈思黙考』のイメージと全然違った。『本当に哲学者なの?』といぶかったほど」

 

国家と暴力

論理の学問である哲学は問題点を整理するのに役立つ。そう萱野は考えている。「物事を抽象化、概念化して理解しようとする試みは、すべて哲学といっていい。直感的な思いつきではなく、状況を見定めるのがその基本で、今の時代ますます大切になっている」

最初から哲学者を志していたわけではない。愛知県の高校時代はバンドを組んでいた。早稲田大学の文学部に進んだのも、なんとなくの憧れと思いつきだった。

入学した1989年は元号が平成に変わった年。周りの学生は象徴天皇制を議論し、ポストモダン思想の論者である浅田彰や柄谷行人に傾倒していた。流されるまま、学生運動にも連れて行かれた。デモ隊と機動隊の衝突も目の当たりにした。国家とは何か、暴力とは何か。そんなことを考えざるを得なかった。

卒業したとき、バブルの余韻が残っていた。自由に生きたいとフリーターに。警備員や事務職のバイトを転々とするうち、これは違うと気付く。「就職するにもキャリアがない。箔を付けようと大学院、しかも留学を思いついた。クズですよね」。フランスに赴き、博士号をとるまで計8年に及ぶ滞在が始まった。

当時フランスは欧州連合(EU)拡大の途上で、ナショナリズムとグローバリズムの間で揺らいでいた。「フランスでは国家や社会を論じるのも哲学科。哲学をやりたいと気付いた」。ナショナリズムや暴力になびく大衆の考察で知られる政治哲学者エティエンヌ・バリバールに師事した。

 

留学したパリでは、失業者らの政府批判デモが頻発していた(1998年)

 

私権制限を哲学する

自由意志を否定したスピノザ。権力と自我の関わりを探究したフーコー。その系譜を引くドゥルーズやガタリ――。パリ第10大学大学院で研究領域が広がった。「個人の意識によって人間が決まるのではなく、人間の置かれている状況が意識を決定するという考え方が彼らには共通している」。憧れの雑誌「現代思想」で論壇デビューした28歳のとき、哲学者として生きる道が視野に入った。

国家や社会など現実的なテーマを設定し、それを哲学のアプローチで考えるというスタイルを貫いてきた。

例えば「国家は戦争や暴力を引き起こすので必要ない」という主張があるとする。萱野はこう考える。国家がなければどうなるか。私刑などがはびこる社会になるだろう。私たちがちまたの暴力におびえずに生きられるのは、国家が暴力を独占するためである――。そうした考察をまとめたのが初の著書「国家とはなにか」(2005年)だ。

新型コロナウイルス流行による外出や営業の自粛、私権制限も政治哲学の対象になる。「大きく捉えれば政治哲学の原理は、個人の自由を重んじるリベラリズムと、集団の利益を大切にする功利主義の2つしかない。これが衝突したり、折り合ったりする」

リベラリズムは「誰でも他人に迷惑をかけない限り自由にふるまえる」という思想だ。だが他人に危害を及ぼすならば、自由の制限もやむを得ない。感染症の広がりを防ぐ私権制限は、リベラリズムで正当化できる。

一方の功利主義は英哲学者ベンサムが説いた「最大多数の最大幸福」という概念に象徴されるように、公共の利益の最大化をめざす。感染防止は社会全体の利益にかなうので、やはり私権制限を正当化しうるのだ。

 

国家は暴力を独占している存在といえる

 

「少し賢く」

「今回は功利主義と功利主義がぶつかった」と萱野。感染抑止の利益と、経済活動の利益が対立する構図だった。だが究極的には「何を重視するか」という価値観に行き着くので、この問題は解決が難しい。

現実は常に多面的で、世界はますます捉えがたくなっている。根源に立ち返り、原理的に考えるための言葉をどう人々に伝えるか、萱野は考え続けている。

「オバマ政権下でも同様の事件は起きていました。むしろ今回の事件をトランプ政権批判に結びつけるのは、問題の根深さを覆い隠します――」

午後11時台のニュース番組にリモート出演した萱野は、米国の白人警官による黒人暴行死事件について意見を求められ、こう答えた。10年にわたって出演しているテレビで心掛けているのは、短く、わかりやすく、そして「少し賢い」コメントをすること。グルメや旅に話が及んでもそつなく話す姿が「チャラい」といわれても、萱野は意に介さない。

「テレビ番組のコメントでも『言葉を大切にする』のは哲学と同じ」。国家を民主的にどうコントロールするか問い続けてきた萱野にとって、テレビはまさに自身の哲学を社会に応用する実践の場なのだ。

 

 

 

もどる