視聴率は上がったが 記者の感じたコロナ禍の報道と批判

 

 

 知人の店がニュースになり、バッシングされる――。コロナ禍でそんな経験をした。ステイホームのこの時期、ニュースの視聴率は軒並み上がっていた。

 「NHKニュース7」「報道ステーション」。4月27日からの週、視聴率の上位には報道番組が食い込んだ(ビデオリサーチの関東地区)。関西では報ステが20・5%(27日)でエール(5月1日)を超えた。

 「自分を律している人ほど観光や遊びに出ている人を腹立たしく思うかもしれません」。アナウンサーが番組で話す言葉の数々も評判になった。ネットは「救いの言葉」「今日の御言葉はしみた」と賛同の波。この番組の視聴率は18・5%(5月6日)と平時より伸びた。

 

「モザイクなしで映せ」

 知人のパチンコ店が「自粛していない」として行政に公表されたのもこの頃。ニュースになると、ネットでは「モザイクなしでテレビで映せ」「圧力をかけてつぶせ。民意が味方する」。国籍などコロナと無関係の情報も飛び交った。

 怖くなった。同時に、自分は何を見ていたのかと自問した。刻々と変わる感染者数のテロップを視界の端に入れつつ、テレビで本当に見ようとしていたのは、数字に表れない「空気」。今どんな外出なら許されるか、この行動は不要不急か。感染予防を訴えるアナウンサーの口調や表情から無意識に読み取ろうとしていた。自分の行動は世間とちゃんと横並びしているのか、確かめて安心したかった。

 

空気を読む

 コロナ禍で報道の視聴率が伸びた根底には、社会不安があったように思う。テレビをつけていたのは、正しい情報を求めるため。でも私たちは空気を読み、一人一人違うはずの判断を丸投げしてはいなかったか。テレビと大衆の空気が同一化して固まった時、排除が起きる。繁華街にいる人や営業中の店が映るだけで、事情を知らないのに「正しくない側」と線引きする。

 「わざわざ正しいって言わなくちゃならないのはたいして正しくないからね。まちがいだって言わなくちゃいけないのもたいしたまちがいじゃないからよ」。漫画「ののちゃん」(2000年2月3日朝刊)の学校の藤原先生が、模範解答に頼る生徒に言っていた。緊急事態宣言が解かれ、視聴率が平時に戻りつつある今も、正しさとは何か、もやもやしている。

 

 

 

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