哲学者が考えていること
「手紙の誤配」で変わる社会 東浩紀の理想
「ちょっとくらくらしてきた。いいよー、今回」。エネルギッシュに話し続けていたTシャツ姿の男はワインをグッと飲み干した。そして一息つくとまたしゃべる、しゃべる、しゃべる――。
5月27日夜、イベントスペースのゲンロンカフェ(東京・品川)。東浩紀(49)が写真家、アニメ脚本家と鼎談(ていだん)するイベントが開かれた。ネット配信されたこの番組は午後7時に始まり、終わったのは午前3時だった。
東は1990年代以降、ポストモダン(脱近代化)思想の論者として第一線を走り続けている、哲学界のスーパースターだ。難解な現代思想を明快に論じ、サブカルチャーやネット文化にも精通。話に興が乗れば、猛烈に回転する頭脳とマシンガントークが止まらない。重戦車のような哲学者だ。
だが27日のトークをよく聴くと、実は盛り上げ役に回っていたことがわかる。自分の解釈を交えながら相手の話を整理し、話題を広げていた。
「僕の歩みには『誤配』が満ちていた」と話す東氏
■デリダが出発点
「ハイデガーやフロイトを持ち出して、どうこう言うのが哲学者ではない。話を聞き出すことに集中している」。相手から新しい認識を引き出したソクラテスの「産婆術」さながら、議論を知の生まれる場にしていくのが、東のスタイルだ。
出発点は「脱構築」を掲げて従来の西洋哲学を批判した現代フランスの思想家デリダの研究だった。東はデリダから「誤配」という概念を抽出した。手紙が誤った先に届けられれば、思いもかけぬことが起こりうる。偶然のなりゆきを評価する考え方だ。
「僕自身の歩みにも『誤配』が満ちていた」。そう東は振り返る。
東大生だった1992年、批評家の柄谷行人の講演会で質問したのをきっかけに、この論壇の実力者の知己を得た。「感想をもらう形にすれば、柄谷さんと深い話ができる」と手渡した文章が、批評誌に掲載された。
「それまでまとまった文章を書いたこともなかったし、評論家を志したこともなかった。あのびっくりからすべてが始まっている」。小さな誤配が21歳の若者を日の当たる場所へ押し出した。
生っ白いインテリではなかった。両親や親戚に大学人はいない。デリダを研究したのは「インテリの言葉の謎を解き明かすため」だったという。「大学人の言葉は、すごく変に聞こえた。彼らが読んでいるものの中で一番難しいものに挑戦した」
■「オタク」の世界へ
98年、デリダを論じた初の著書「存在論的、郵便的」で、学術界の登竜門であるサントリー学芸賞を受賞した。華々しいデビュー。だが正統派の論客登場をもてはやす声を尻目に、東が次に向かったのは、「オタク」たちの世界だった。
2001年に発表した「動物化するポストモダン」では、記号的な「萌(も)え要素」を消費し、簡便に欲求を満たすオタクの生態から、現代社会のポストモダン状況を解き明かした。「動物化」「データベース消費」といった概念を次々に繰り出しながら論述した本書は、今も東の代表作の一つだ。
だが、なぜ「オタク」だったのか。「まったく漫画を読んだことがないと話す学生が平気でいた。別にオタク批評がやりたかったわけではないが、社会や時代を論じるために、この分野を扱わないのはおかしいと思った」
旺盛な言論活動を続けていた東の大きな転機は10年。コンテクチュアズ(現ゲンロン)という出版社を自ら設立した。冒頭のゲンロンカフェもこの会社が運営している。情熱を注ぐようになった契機は、翌年の東日本大震災だった。
震災直後、ネットでは建設的ではないやりとりが繰り返された。「SNS(交流サイト)上で不毛な論争が起き、リベラルは力を失って焦るあまり攻撃的に変わってしまった。議論の無力さをこの10年間感じている。議論が機能するためにはその根本に『対話』が必要なのではないか」
新しい言論プラットフォームをつくったのは、そんな「場」の重要性を痛感したからだ。ゲンロンカフェでのイベントに積極的に登壇し、様々なゲストと語り合う東の言葉は平易だ。「難しい言葉でない方が気づきを与えてくれる。いろんなところにある哲学を、哲学として再発見したい」
■「知識はどうでもいい」
11年に発表した「一般意志2.0」では、ネットを使い議会制民主主義を補完することを構想した。SNSで「人民」(=社会全体)の意志の総体が可視化されつつあるとして、それを参照することが政治空間の再建につながると説いた。
それから9年。東の理想の実現は道半ばだ。
「現在のネットは、ユーザーが自分と同じ意見を発見するための装置という面ばかりが増幅されている。政治的な発言も『みんなが自分と同じハッシュタグを使っているから安心』という状態だ。ツイッターで集まるのはただの数でしかない」。多様な考えに接する「誤配」を体感してもらうため「ゲンロンをオルタナティブなメディアとして運営していきたい」。
東氏(右)が司会役を務めた5月27日のトークイベントは午前3時まで続いた(東京都品川区)
東氏(右)が司会役を務めた5月27日のトークイベントは午前3時まで続いた(東京都品川区)
目下関心が向いているのが「観光」だ。17年に出版した「ゲンロン0 観光客の哲学」で東は、気ままな観光客は旅先での偶発的コミュニケーションを通じて、連帯を生み出しうる存在だと喝破した。「新型コロナの影響で観光はほとんどテロと同じ扱いになってしまった。今だからこそ、観光客の権利や観光とはそもそも何だったのか、考え直す必要がある」
今は「哲学の細かい知識はどうでもいい」と考えている。「哲学とは、対話の中にどこにカギがあるのか発見する力を養うこと」。現在進行形のポストモダンを見つめながら、新たな言葉を探っている。
哲学者が考えていること(2)「手紙の誤配」 偶発が開く社会
オタク・ネット…議論が生む「知」 東浩紀
5月27日夜、イベントスペースのゲンロンカフェ(東京・品川)。東浩紀(49)が写真家、アニメ脚本家と鼎談(ていだん)するイベントが開かれた。ネット配信されたこの番組は午後7時に始まり、終わったのは午前3時だった。
東は1990年代以降、ポストモダン(脱近代化)思想の論者として第一線を走り続けている。難解な哲学を明快に論じ、サブカルチャーやネット文化にも精通。話に興が乗れば、マシンガントークが止まらない。
だが27日のトークをよく聴くと、実は盛り上げ役に回っていたことがわかる。自分の解釈を交えながら相手の話を整理し、話題を広げていた。
「ハイデガーやフロイトを持ち出して、どうこう言うのが哲学者ではない。話を聞き出すことに集中している」。議論を新しい知が生まれる場にしようとしている。
出発点は「脱構築」を掲げて従来の西洋哲学を批判した現代フランスの思想家デリダの研究。東はデリダから「誤配」という概念を抽出した。手紙が誤った先に届けられれば、思いがけないことが起こる。偶然のなりゆきを評価する考え方だ。
「僕自身の歩みにも『誤配』が満ちていた」。そう東は振り返る。
東大生だった1992年、批評家の柄谷行人の講演会で質問したのをきっかけに、この論壇の実力者の知己を得た。「感想をもらう形にすれば、柄谷さんと深い話ができる」と手渡した文章が、批評誌に掲載された。「それまでまとまった文章を書いたこともなかった。あのびっくりからすべてが始まっている」
生っ白いインテリではなかった。両親や親戚に大学人はいない。デリダを研究したのは「インテリの言葉の謎を解き明かすため」だったという。
98年、デリダを論じた初の著書「存在論的、郵便的」で、学術界の登竜門であるサントリー学芸賞を受賞した。
東が次に向かったのは、意外にも「オタク」たちの世界だった。2001年に発表した「動物化するポストモダン」では、記号的な「萌(も)え要素」を消費するオタクの生態から、現代社会のポストモダン状況を解き明かした。「動物化」「データベース消費」といった概念を繰り出しながら論述した本書は、東の代表作の一つだ。
だが、なぜ「オタク」だったのか。「別にオタク批評がやりたかったわけではないが、社会や時代を論じるために、この分野を扱わないのはおかしいと思った」
大きな転機は10年。コンテクチュアズ(現ゲンロン)という出版社を自ら設立した。冒頭のカフェもこの会社が運営している。ここを拠点にした活動に情熱を注ぐようになった契機は、翌年の東日本大震災だった。
震災直後、ネットでは建設的ではない議論が繰り返された。「議論の無力さをこの10年間感じている。議論が機能するためにはその根本に『対話』が必要なのではないか」
「いろんなところにある哲学を、哲学として再発見したい」とも。多様な考えに接する体験をしてもらうため、「オルタナティブなメディアとして運営していければ」と力を込める。
目下関心が向いているのが「観光」だ。17年に出版した「ゲンロン0 観光客の哲学」で、観光客は旅先での偶発的コミュニケーションを通じて、連帯を生み出しうる存在だと喝破した。
「新型コロナの影響で観光はほとんどテロと同じ扱いになってしまった。観光客の権利や観光について、考え直す必要がある」。現在進行形のポストモダンを見つめながら、新たな言葉を探っている。