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時間超える古地図の魅力 眺めて、歩いて楽しむ

 

 

100年、200年、さらにもっと昔、この街はどんな姿をしていたのか。今につながるものはあるのか。未来を見渡す鍵がありはしないか。こんなことを考えさせてくれる古地図が人気だ。最近はIT(情報技術)の進歩で、スマートフォンに映した江戸の街中を歩いているかのように表示できるデジタル古地図も登場。楽しみ方も広がっている。

 

平面から広がるロマン

地図の博物館「ゼンリンミュージアム」が6日、北九州市にオープンした。注目の展示は戦国から江戸時代初期にかけて西洋人が描いた日本地図だ。

まずは西洋で初めて印刷されたという日本図を眺めたい。作者は16世紀初頭、マルコ・ポーロの「東方見聞録」の中で紹介された黄金の国「ジパング」をまったくの想像で描いた。日本列島とは似ても似つかない単純な図だ。


西洋で初めて印刷された日本図。「ジパング」を意味するとみられる文字が書かれている(1528年)=ゼンリンミュージアム提供
そこからおよそ100年後につくられた地図に目を移そう。ポルトガル人が日本にやって来るようになったころ、この地図の作者、イグナシオ・モレイラも来日した。西日本の一部は実際に測量し、東日本は人の話を基にしてつくった地図はわたしたちが見慣れたものに近づく。


ポルトガル人イグナシオ・モレイラがつくった地図は日本列島の姿に近づいた(1617年)=ゼンリンミュージアム提供
そしてさらに100年後、完璧な日本地図ができていると思いきや、逆にとてもいびつな地図が登場する。原因は江戸幕府による鎖国だ。モレイラの地図は西洋で広まらなかった。鎖国によって日本の情報が乏しくなる中、わずかに流通した浮世絵図を写してつくったので退化したようだ。正確な日本図はもう100年後に伊能忠敬がつくるのを待たなければならない。


鎖国のため、モレイラ図より正確さが失われた日本地図(1715年)=ゼンリンミュージアム提供
「地図と歴史的背景。この2つが組み合わされると、自分の知識が整理され、つながっていく快感がある」。同ミュージアムの佐藤渉館長は古地図の魅力をこんなふうに語る。

かなり時代を遡ったところから始めたが、「古地図」といえば、江戸時代の地図を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。時代劇・小説などを通して江戸の街は多くの人になじみ深い。2003年の「江戸開府400年」の前後からは、江戸図人気はさらに広がり、古地図を見ながらの東京散策もはやるようになった。その後も人気は衰えるどころか、盛り上がる気配すら示す。

通信教育のユーキャンは今春から「古地図で楽しむ江戸・東京講座」を本格的に売り出した。古地図の復刻版や現代との比較図、解説テキストなどがその中身だ。同社の中心となる顧客は20〜40代の女性だが、「この商品でシニア層を開拓したい」(開発部の栗田賢一さん)という。

新型コロナウイルスの感染拡大によって水を差されはしたものの、訪日外国人客向けの土産として、浮世絵と江戸時代の地図を組み合わせた商品なども売り出される。不動産会社がマンションの立地をアピールするためや、自治体の郷土資料館が地域の成り立ちを説明するために古地図を展示する例も目立つようになった。

江戸の地図は現代になって急に人気が出たわけではない。江戸時代から日常生活や経済活動に欠かせない必需品だった。江戸は全国から人が集まる大都市だったにもかかわらず、住所表示も表札もなかった。これでは困るので地図がつくられた。

まずは今のJR山手線の内側辺りを中心とする「大絵図」と呼ばれた大判の地図がつくられた。まだ不便なので、江戸時代後期にはその地域をいくつかに分割した「切絵図」がつくられ、これが携帯にも便利で普及する。大名や旗本の武家屋敷には一つ一つ名前が書かれており、住宅地図のようでもある。書かれた名前の頭の側に屋敷の玄関があるなど、利用者のための工夫も凝らされていた。


江戸時代後期の東京・銀座、築地周辺を示した切絵図「京橋南築地鉄炮洲絵図」(1861年)の復刻版。張り巡らされていた水路はその後埋め立てられ、道路などになる。佃島、石川島はあったが、月島は埋め立て前でまだ存在していない。

いくつもの版元が現れ、売れ行きを競った。江戸時代を通じて120以上もの業者が地図づくりに参入したともいわれる。その中では正確さよりも、見やすさ、わかりやすさを重視した地図が人気だった。この点で特に優れていたのが尾張屋清七が売り出した「尾張屋板」だ。武家地は白、町人地は灰色、寺社は赤などの多色刷りでカラフル。名所はイラストで描くなどの工夫もあり、見るだけでも楽しい。

引っ越しなどもあるので、切絵図は頻繁に改訂された。「地図という情報が商品になるのは都市ならでは。その商品が毎年これほど大量に出回った都市は当時、世界的にも珍しかったのではないか」(江戸東京博物館の学芸員、市川寛明さん)ともいわれる。

江戸期には屋敷の区画ごとに、地主名、坪数、売買金額などを記入した「沽券(こけん)図」という地図などもつくられた。東京都中央区教育委員会の総括文化財調査指導員、増山一成さんは「古地図にはいろいろなものが詰まっている。それを見れば自分が知らないこと、抜け落ちていたことを発見できるわくわく感があるから、深みにはまっていく」と話している。

 

江戸の面影 歩いて発見

ただ眺めているだけで楽しいかもしれない古地図だが、手に持って実際に街を歩いてみるのがお薦めとの声もたくさん聞いた。

今はスマホやタブレットで見ることができるデジタル古地図が便利。全地球測位システム(GPS)機能を使って自分が今いる場所を古地図上に表示することや、その場所を一瞬で現代地図に切り替えるといったことが自由自在だ。

「大江戸今昔めぐり」「古今金澤」――。全国各地で企業などがこのような古地図アプリを開発しており、街の活性化や新たなビジネスにつなげようと無料で提供する例も珍しくない。今回は京都市のIT企業、コギトが開発した「アンブラ・マップ(ambula map)」を使って都内を歩いてみた。このアプリの中には江戸や京都など約50種類の古地図が入っている。このうち使ったのは尾張屋板の切絵図「本郷絵図」。現在の東京都文京区あたりだ。


初夏の日差しの下、JR御茶ノ水駅から歩き始める。アプリには名所ガイドもついており一人でも楽しめるのだが、記者だけではやはり頼りない。コギトに古地図データを提供している企業、こちずライブラリの沼田夕妃さんにコース設定と案内をお願いした。

お茶の水橋を渡って右手に進むと坂道に沿って趣のある塀が続く。古地図を見ると、青い丸で自分のいる場所が表示されている。緑の木々が描かれた「聖堂」と書かれた場所に沿って歩いていることがわかる。そう、今も昔もここは湯島聖堂。幕府直轄の昌平坂学問所が置かれていた場所だ。


【A】アプリを使えば古地図上で自分がどの辺にいるのかがすぐわかる(東京都文京区)


近くの神田明神に移る。ここも江戸時代から有名で、古地図にもイラスト入りで表記されている。正面から入ると気づかなかったが、本殿の裏に回ると小高い場所であることがわかる。「昔はここから浅草方面をずっと見渡せました」と沼田さん。今はビルに囲まれるが、ここから遠くを眺める浮世絵図が残る。

「『妻恋坂』はここだけど、すぐ横に書いてある『立爪坂』はどこだ?」。古地図には小さな坂道の名称まで細かく書いてあることがある。神田明神から湯島方面に向かう途中、なにげない坂道を昔と照らし合わすのも面白かった。道といえば、沼田さんがこんなことも言った。「道の曲がり方が不自然だと思ったら古地図を見ます。すると答えがあったりします」

湯島天神や不忍池を経て、東京大学方面に向かい、その敷地沿いを歩いていたときだ。道がクランク状に何度も曲がっている。古地図に目を落とすと、江戸時代から武家屋敷や寺社の敷地に沿って道が曲がっていたことがわかった。突然盛り上がった道はかつて橋だったとか、曲がりくねった道は水路だったとか古地図を見て知ることはいろいろあるようだ。

東大の敷地をぐるっと回って赤門にたどり着く。加賀藩前田家の広大な屋敷跡が東大の敷地。有名な赤門はその屋敷の門。浮世絵にも描かれている。門の前の武士や町人が行き交う道は今の本郷通りだろうか。

【D】東京大学の赤門は加賀藩上屋敷の門だった(東京都文京区)


その本郷通りを北に進み、途中で右手に折れて根津神社に至り、この日のゴールとなった。この神社も江戸期からの名所。この境内、見る方角によっては周りの建物がまったく視界に入らない。歩き回ったら江戸に迷い込んだといった気分が最後に少し味わえた。

「東京都心は江戸時代からそのままのところも、変わっているところも両方あるので古地図散策が面白い」(沼田さん)。予想以上に楽しい3時間を過ごせた。

古い地図は実用的にも使える。江戸時代の地図では難しいが、近代的な測量技術が導入された明治期以降の地図ならば、縮尺をそろえて位置合わせをすれば、現代の地図とほぼ正確に重ねることができる。今の場所がかつてどのような土地だったかがわかるのだ。

沼津工業高等専門学校(静岡県沼津市)の佐藤崇徳教授は同じ場所を現代や明治大正期、昭和前期など数種類の地図で表示することができるウェブサイトをつくり公開している。そのサイトを見ながら静岡県のある街を一緒に歩いてもらった。印象に残ったのは小さな水路を挟んで両側に立つ2つの建物。昔の地図を重ねると片側はかつて沼地だ。そちら側に立つ建物の浸水リスクはもう片方より高いことが一目瞭然だった。

佐藤教授は「実際に歩き、地図を合わせて初めてわかることがある」と指摘する。それはリスクマネジメントにもつながる。古地図は確かに奥が深い。

 

 

 

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