日常非常
哲学者 小林康夫
日常非常――日々この言葉を自分に呟(つぶや)く。この春に苦しまぎれに編み出した言葉だった。
先月末に1970年から1995年にかけての日本の戦後文化を振り返る拙著一冊を上梓(じょうし)した。4年ほどかけて季刊雑誌に書き継いできたテクストをまとめたもので、連載時のタイトルは、武満徹が1977年に作曲した「鳥は星形の庭に降りる」に触発された「星形の庭の明るい夢」だったが、出版社から「インパクトが弱い」と変更を求められた。
だが、「星形の庭の明るい夢」は、「オペラ」仕立てに構成したわが戦後文化論の「主要動機」でもあったので、替わるタイトルがすぐに思い浮かばない。数日悩んで埒(らち)があかず、五幕構成の第四幕が「アルバム・モラル/日常異常」であったのをスライドさせて「日常非常」とし、それだけでは意味不明なので「迷宮の時代」を付け加えるという窮余の一策、最終的に『日常非常、迷宮の時代1970-1995 オペラ戦後文化論2』となった。
じつは、この第四幕「アルバム・モラル/日常異常」では、1990年前後の「昭和」から「平成」への時代転換を、吉本ばなな・小川洋子・荻野アンナ・多和田葉子という4名の女性作家の小説に書き出された「部屋」のイメージをアルバム風に並べることで跡づけてみようとした。順に「いいキッチン」「完璧な病室」「ボッシュの複製画の部屋」「外国の街のがらんとした灰色の部屋」である。
このアルバムを貫く軸があるとしたら、それは孤独。家族を失い、あるいは故国を失い、たったひとり空虚な部屋に投げ出された孤独な「自己」が、それでも、どのように「他者」を欲し、求めるか――複雑なストーリーに頼ることなく、1枚の写真のような簡明さで、しかも道化的なユーモアなしにではなく、これらの女性作家たちは、「自己」という孤独から「他者」へとつながっていく不思議な細道を探求したのだった。
それぞれの物語は、きわめて日常的でありながら、どこか非現実的で異常である。だからはじめは「日常異常」と指示されていた。しかし論の最後に至ると、このような孤独の究極では、「自己」そのものが「他者」、つまり「未知なるもの」となるのではないか、とわたしは論じている。つまり、「自己」という「未知なる他者」に対してとる態度、つまりあらゆる「モラル」以前のようなそれでもある種の「モラル」があるのではないか、と結びつつ、わたしは論の結末ですでに「日常異常」を「日常非常」へと書き換えていた。
その稿を書いたのは昨年の夏であり、新型コロナ・ウィルスの災厄はまだ起きていなかった。しかし、この春、あらためて書名を考えなければならなくなったのは、ウィルス騒動の真っ最中。「窮余の一策」でこの言葉を拾い出したのだったが、いま思えば、それは「現在」という時間が呼びつけたのかもしれない。ウィルスのように「現在」が、1990年頃の文化の断層を差す指示記号を乗っ取ったのかもしれない。
いま、誰もがみずからの「日常の部屋」に閉じ込められている。どこにも「異常」はない。ただ「他者」との「密」な接触は忌避され、「自己」へと閉じ込められている。この「日常」こそがそのまま「非常」である。非情なまでに非常。濃密を誇った現代の「文化」は、さまざまな「遠隔」装置つきの「日常」へと追い詰められている。われわれは、――世界的な次元で――誰もがこの「日常非常」を生きているのだ。
とすれば、少なくともわたし自身は、4名の女性作家の作品を並べることで見いだした「日常非常」のこの「格律」に、いま、できるかぎり忠実に生きようとするしかないではないか。すなわち、「自己」という「未知なもの」にたいしてあらためて「態度」をとること。この「日常」をあらためて「未知の非常」として生きること。
それは「思想」などという大仰なものではない。それ以前のもっとシンプルな、もっと身体に近くある「態度」にすぎない。実際、わたしが並べた4作品に特徴的なことのひとつは、そこでつねに「食」が問題となっていたことだろう。「食べること」へのささやかな「態度」。ささやかな「モラル」。「食べること」がそのままそのつど、世界に孤独に存在する「私」にとっての未知の舞台であるかのように。
そこに木漏れ日のように差し込んでくる言葉にならない無名の「希望」のような光がないだろうか。そう、日々わたしは呟く、「日常非常」と。
こばやし・やすお 1950年東京生まれ。東京大学名誉教授。著書に「表象の光学」「若い人のための10冊の本」、編書に「知の技法」など。