歴史の浄化どこまで 記念像、過去も今も映す

 

ロバート・シュリムズリー  ヨーロッパ 北米  commentators

 

 

彫像は長く持つように作られるのに対して、人に対する評価は時代とともに変わることがある。これが記念像の問題の根本だ。

エドワード・コルストンは、彼が生きた17〜18世紀の基準では模範的なイングランド市民だった。故郷の英南西部ブリストルに莫大な資産を残し、救貧院や学校、教会の建設費用をまかなった商人だった。だが、その富の大部分は奴隷貿易で築いたものだった。しかも、たまたま奴隷制の利益を得たわけではない。王立アフリカ会社の副総督として、奴隷制に首までどっぷり漬かっていた。コルストンが勤めていたとき、同社は奴隷として売るために約8万4000人をアフリカから運んでいる。

「人種差別主義者だった」と落書きされたチャーチル像=AP

コルストンの記念像は、死後何年もたってから、ブリストル市内に記念像があまりないことに不満を抱く富裕層のグループによって建造された。公に尽くす、実業家の鑑(かがみ)としてコルストンが選ばれた。彼がどうやって富を築いたかは、隅へ追いやられた。その経歴を示すプレートを付けようとする近年の取り組みは、長引く論争へ発展した。コルストンの擁護派が言葉遣いを和らげようとしたからだ。「人身売買を取り巻く問題もあった」くらいの表現を望んだのだろうか。

 

■今まで移設されなかったコルストン像

6月7日、群衆がそのコルストンの銅像を引き倒し、川へ投げ込んだ。撤去されたことは喜ばしいことでも、このような形で撤去されたことには複雑な気分にさせられる。我々が誰を顕彰するかは、選挙で選ばれたわけでもない暴徒が決めるものであってはならないし、この行為は「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ、BLM)」の抗議デモに不快感を示している人々に運動を非難する理由を与えてしまった。特に活動家たちがロンドンのチャーチル元首相の記念像を汚した後は、格好の批判材料になった。

だが、今までコルストンの記念像が存続してきたことは、BLMデモ参加者の訴えが正しかったことを裏付ける。コルストンの像を撤去するかどうかの判断は容易だったはずだ。歴史上の偉人ではなかったし、その評価はひとえに、汚れたカネで慈善活動をしたことにある。当然、記念像は違法に引き倒されるべきではなかった。今になって、銅像は何年も前に博物館へ移設すべきだったと言うのは簡単だ。しかし、重要なのは、移設されなかったということだ。

米バージニア州の知事は4日、南北戦争で南軍を率いたロバート・リー将軍の銅像を州都から撤去すると発表した。コルストンとは異なり、リーは歴史的に重要な人物だが、分離主義、人種隔離主義のリーダーとしてたたえられている。そのリー将軍をいまだにたたえ続ける町において、アフリカ系米国人が自分は平等な市民だと感じることなどできるだろうか。これと似た疑問は、ここ英国でも問えるかもしれない。

 

■歴史上の偉人の多くに汚点

だが、コルストンほど明快な事例はほとんどない。誰の像を残し、誰を撤去するのか、どう判断すればいいのか。これは下手をすると事態がさらに悪化する危険性がある。例えばチャーチルはどうか。彼は英国人の民族的優位を唱え、スト中の炭鉱労働者を鎮圧するように軍の出動を命じたこともあった。ではチャーチルの像も倒さなければならないのだろうか。歴史上の偉人の多くが、深刻な問題を抱えている。米国の建国の父であるジョージ・ワシントンとトーマス・ジェファーソンは奴隷を所有していた。歴史の浄化は、どこで終わるのか。

コルストンの銅像は引き倒された後、川に放り込まれた=ロイター・Keir Gravil

両者の違いは間違いなく、ワシントンやジェファーソンの問題が、彼らがたたえられている理由の核ではないことだ。欠点よりもはるかに多くの功績を上げた人物だった。こうしたことを理由に議論すべきで、「歴史を消すことはできない」というようなスローガンの背後に隠れて歴史から目をそむけるべきではない。奴隷制から帝国に至るまで、成熟した民主主義国家は過去の恥部を認めることを恐れるべきではない。擁護しえないことを擁護することで優れた人物を守れるわけではない。

このため、チャーチルについては擁護する立場をとることはできる。だが、大英帝国の英雄たちはどうか。19世紀にアフリカ南部の植民地支配を推進し、人種差別を公言していたセシル・ローズの銅像は、オックスフォード大学の私有地に立っているが、ロバート・クライブの銅像はウェストミンスター地区の英外務省の外にある。

英領インド帝国の基礎を築いたクライブだが、インドの財宝を略奪し、その政策は1000万人の死者につながったとされる1770年のベンガル大飢饉(ききん)を著しく悪化させた。クライブについては、例えば帝国戦争博物館に像を展示した方がふさわしく、英外務省は記念像にするのに値する代わりの人物を探せるはずだ。

 

■人の立場に我が身を重ねてみよう

では、どこで線引きするのか。筆者には分からないが、それは線引きしなくていいという議論にはなり得ない。こうした懸念から論理的な結論を導き出せば、英国内の銅像の半数は撤去しなければならないだろう。だから論理的な結論まで導き出すのはやめよう。なので、明確な事例だけに取り組んだ方がいいのかもしれない。

爵位を剥奪したところで人を消せないように、記念像を博物館に移しても歴史を消すことにはならない。だが、歴史のバランスを是正する助けにはなる。記念像は絶対撤去してはならないと考えるのではない限り、これはどのような条件で撤去するかについての話となる。

歴史はもはや、勝者だけが書くものではない。時代とともに進化する。すべてが石に刻まれて不変となるわけではない。すべての事例が、支持するか否かの文化闘争になる必要はない。いまだに奴隷貿易を記念したがる町はないだろう。あるいは、策略で奴隷制廃止を少なくとも10年遅らせたことで知られる18〜19世紀の英政治家メルヴィル子爵のように、彫像が英北部エディンバラのシンボルである場合はどうすべきだろうか。

BLMのデモ行進が何かを訴えているとしたら、それは間違いなく、もう少し深く物事を考え、人の立場に我が身を重ねてみて、安直な判断の陰に隠れないよう人々に求めることだ。だからチャーチル像は残しても、コルストンは撤去すべきだ。

人の顕彰は、過去の自分たちがどのような人間だったかを示す。同時に今現在、自分たちがどのような人間であるかも物語っているのだ。

 

 

 

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