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コロナに揺れる国際秩序 フクヤマ、モイジ両氏に聞く

 


フランシス・フクヤマ氏/ドミニク・モイジ氏

 

2020年前半、新型コロナウイルスが襲った世界は医療と経済の危機に揺らいだ。米大統領選挙が間近に迫るなか、民主主義は疫病で受けた打撃を克服できるのか。米中緊張の行方は。米国と欧州から政治と歴史の流れを洞察する2人の識者に「コロナ後の国際秩序」を語ってもらった。

 

 

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米分断、強権政治を助長 米スタンフォード大シニアフェロー フランシス・フクヤマ氏

不幸にもいまの米国はキング牧師の暗殺で激変が起きた1968年に重なる。抗議デモや「黒人の命が大切だ」との訴えの広がりは、人種間の不平等という米国の根本問題を改めてさらけ出した。

 

Francis Fukuyama 日系3世の米政治学者。米国務省に勤務後、89年に米ソ冷戦の終結を予見する「歴史の終わり」で注目を集めた。67歳

新型コロナウイルスの災禍が人種対立を加速した。死者は貧困層、マイノリティーや黒人に偏る。感染リスクを冒して現場に出勤するか、失業するかの選択を迫られ、蓄積した不満が爆発した。

米国の深刻な弱点は理念のいびつな分極化だ。右派が極端な右に向かい、左派はそれほど左傾化していない。

共和党はこの十年で激変した。レーガン元大統領の時代は規制緩和、小さな政府、自由貿易を支持し移民に寛容な経済理念の党だった。だがトランプ大統領が非常に不健全に党を制圧しつつある。人種の偏見を広げ、国家主義に走る。移民の制限を最優先に掲げ、国際機関から脱退して自由貿易を攻撃する。有権者の3分の1だけを味方につければいいと開き直っている。

疫病や国家の悲劇で連帯は強まるものだが、コロナ危機は党派の溝を深めた。保守層はいまだに真剣に捉えていない。民主党の支持者は健康上の緊急事態であり、真剣に行動を変えねばならないと考える。大都市は民主党、地方の州は共和党が政権を握る。理念対立が極まり、利己主義を超えた対処ができない。

コロナ危機下で民主主義が専制主義に劣ったわけではない。韓国や台湾、ドイツは封じ込めに成功した。ロシアのように深刻な被害に遭った専制国もある。ポピュリズム(大衆迎合主義)も悪い結果を生んだ。米国やブラジルの指導者は不人気なことを嫌い、死者数の多さが突出した。

真の問題だと私が思うのはコロナ危機を口実に政治権力を強める国が世界の至る所で出てきたことだ。ハンガリー、ポーランド、メキシコ、ボリビア、そしてもちろん中国だ。指導者たちは危機の後も権力を手放さない。危うい前例となり、それが世界の民主主義を侵食する恐れがある。

中国はコロナ危機の虚を突き、かねて狙っていた香港の締め付けを一気に進めた。コロナの発生源という責任をよそに、封じ込めで米国よりはるかにうまく対処したというプロパガンダ(宣伝活動)を数カ月は続けるだろう。

トランプ氏は自らの無能なコロナ対応の責任を中国に押しつける覚悟を決めた。米中関係を悪化させれば大統領選挙で有利になると考えているだろう。貿易合意が決裂しても私は驚かない。米中の衝突激化は必至だ。

これは愚かだ。米国内には中国にもっと強硬に臨むべきだとの幅広い合意があるが、不幸にもそれを実現する努力をしていない。次世代通信規格「5G」で華為技術(ファーウェイ)から製品を買わないよう圧力をかけても、同盟国に同調の動きが広がらない。

中国の影響力を高めているのは「一帯一路」など巨大なインフラ支援だ。西洋の国々はここで対抗しなければならないが、途上国のインフラへの資金調達を支援する強力な手段がいまだにない。

だが中国の指導層について水面下で何が起きているのか、我々は知らない。習近平(シー・ジンピン)国家主席の力が弱くなっているかもしれないが、いま予言をすることは多大なリスクがある。

トランプ氏が主要7カ国首脳会議(G7サミット)を6月中に対面で開こうとした。単なる写真撮影が目的だった開催をドイツのメルケル首相が断ったのは英断だ。G7の枠組みを広げるというのもロシアを呼ぶ思惑だけ。そうする理由は皆無だ。

民主主義の国々が中国への対抗軸を築く可能性はありうるが、トランプ氏にその熟慮はない。G7は一時中止してはどうか。トランプ氏のもとでサミットを開催するのは、何もしないことより、はるかに悪い結果を残す。

あと数カ月で情勢がどう変わるかはわからない。だが現時点ではトランプ氏が大統領として不適格だということが証明され、再選は難しいとみるのが本当のところだろう。共和党は上院の過半数を失うかもしれない。

 

 

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世界の重心、アジアに 仏モンテーニュ研究所特別顧問 ドミニク・モイジ氏

 

新型コロナウイルスの影響は2つの次元で考えたい。医療の面では民主主義はそう悪くなく、大衆迎合主義(ポピュリズム)は無能なことを証明した。トランプ米大統領やブラジルのボルソナロ大統領の不誠実さに対し、既存の誠実な民主主義をとる韓国、日本、台湾やドイツは疫病との戦いに巧みに対応した。

Dominique Moisi 世界情勢の深い論考で知られるフランスの国際政治学者。父親はナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所から生還。73歳

専制主義の中国は数値への疑念が残るし、ロシアのプーチン政権の成果も振るわない。コロナ禍はペテン師を反面教師に専門家の価値を高め、民主主義を強化した。だがこれは医療の話で、経済の次元は別だ。もし失業への怒りが感染の不安を上回れば、大衆迎合は勢いづき、民主主義にとって危険となる。

フランスは「新しい怒り」と呼べる時代に入った。マクロン大統領が守ってきた民主主義にも甚大な脅威が襲う。コロナ危機はこれまでも深く進んできたトレンドを一段と加速させている。

政治的にみれば民主主義が弱体になり、グローバルな力の重心が西洋からアジアに移りつつある。米欧の死者数は世界の4分の3近くを占めるが、アジアははるかに適切に対処したといえる。

コロナ危機の真の打撃は香港に及んだ。中国はパンデミック(世界的大流行)に世界が没頭するのをよそに香港の特別な地位を制圧した。西側が中東危機に忙殺された1956年、旧ソ連の戦車がハンガリーの首都ブダペストに侵攻した歴史と重なる。

世界の民主主義の分水嶺が11月の米大統領選挙だ。コロナ危機でトランプ大統領の再選の可能性が後退したのは確かだろう。バイデン氏が勝っても米国のハードパワーはすぐに復元しないが、ソフトパワーは中国に対して非常に優位になる。

トランプ政権の米国はもはや世界の民主主義の支柱ではない。世界ではユダヤ人への暴力の増大という新しい問題と、黒人への暴力という旧態依然の問題が起き、後者は68年の騒乱以来の水準までエスカレートした。当時は米国の復元は極めて難しいと言われたが、3年で再起した。(ニクソン大統領がキッシンジャー補佐官を送った)秘密外交が中国との国交を開き、ベトナム戦争もほぼ終結した。

もしトランプ氏が再選を果たしたら、世界の民主主義への影響と米国のイメージの損失は巨大になるだろう。だが、これはグローバル主義の危機になるとは思わない。高い確率でグローバル化は続く。より均整がとれ、公正で人間的なものになるべきだ。

私は米国と中国の関係は米ソ冷戦に続く「第2次世界冷戦」に近づいていると思う。中国は鉄面皮となり力による現状変更を試みる。香港の問題は6年前にロシアが国際法を堂々と違反してクリミアを併合した事態とそっくり。既存秩序の暴力的な破壊だ。

米ソ冷戦では米国はガスや石油の問題はあれど、旧ソ連なしで生きていけた。いま我々は中国なしで生きていけず、中国は西側の分断を狙う。後世の史家はトランプ氏が国際社会に与えた最大の損失として中国に増長の自信を与えたことを挙げるだろう。米国の没落が続けば中国は「自分たちの時代だ」と考える。

国際社会から中国を排除することはできない。旧ソ連の時のように我々は結束して中国をけん制し、引き入れねばならない。「共倒れはどちらの利益にもならない」と。その長期戦略がいまはない。

コロナ危機は欧州を「ドイツの欧州」に変え、世界での影響力を下げた。科学者の頭脳を持つメルケル首相の手腕が再評価され、独仏の勢力関係もドイツ寄りに傾いた。マクロン氏は若すぎだ。知的で文学的だが共感度に欠ける。彼を嫌いになるのは簡単だ。南北、東西に加えて地域間の分断が加わった欧州の修復は本当に容易ではない。

安倍晋三首相には疲労と新鮮なアイデアの枯渇を感じる。新たなエネルギーを得るためにも東京五輪の開催が必要だ。日本と欧州は今こそ従来の自由民主主義を守る存在として踏ん張らねばならない。いま、そこに韓国が加わることを望んでいる。日韓は歴史を巡る分断を乗り越えてほしいと切に願っている。

 

 

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<聞き手から>戦略なき「対中」民主主義に脅威

 

東西冷戦や欧州統合など戦後世界の転機を見届けてきたフクヤマ、モイジ両氏の目に、100年に1度の災禍といわれるコロナ危機後の世界はどう映るのか。そんな関心から話を聞いたが、2人の見解には意外なほど多くの共通点があった。

ひとつは、民主主義はまだ捨てたものではないというものだ。感染力の極めて強いウイルスの封じ込めへ科学に基づき体系だった手を打った韓国やドイツ、台湾の例はその希望をつないだ。ウイルスという目に見えない敵に、大衆迎合主義は弱点をさらしたとの認識も一致した。

米ニューヨークでデモに参加する人たち(14日)=ロイター

半面、民主主義のもろさにはともに強い警戒感をにじませる。白人警官の黒人暴行死事件で深まる米国の分断、強権型リーダーの危機に乗じた「焼け太り」。世界経済は一斉に不振に陥り、支え役がいない。雇用難が社会動乱を加速しかねない。

香港への統制強化は中国の強権志向を決定づける動きだ。フクヤマ氏は対中強硬策、モイジ氏は中国を囲い込む手法をそれぞれ支持し、ニュアンスの違いをみせる。それでも米国の独断が西側陣営の足並みを乱し「対中国」の戦略不在を招いたとの見方は一致する。増長する中国が民主主義の最大の脅威となる構図が、完全に定着したともいえる。

トランプ米大統領の再選には2人とも否定的だが、4カ月後の審判は予測不能な要素になお左右される。いま作られつつある「コロナ後の国際秩序」の行方を冷静に見極めたい。

 

 

 

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