グローバルオピニオン

 

世界に改革促す「適温」危機 

 

イアン・ブレマー氏 米ユーラシア・グループ社長


新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)との闘いを強いられたこの数カ月を振り返ると、生易しいものではなかった。だが、今回のコロナ危機は世界に変革を迫るという意味においては、実は「必要なタイプの危機」であるのかもしれない。

第2次世界大戦以降に構築された世界秩序は崩壊状態にある。国際協調は筆者が知る限り最悪の状況だ。資本主義が大多数の人にとって機能していないことは格差の拡大に如実に表れている。議会制民主主義も同じだ。政治の実権は利権集団に握られつつあり、政府は社会や需要の変化に対応できていない。社会のセーフティーネット(安全網)は、必要とする人に十分な期間、適切な安心感を与えられるように整備されていない。

コロナ危機は急激かつ多面的で、刻一刻と事態が変わる特異なタイプの危機だ。ほぼ崩壊状態にある政治の世界のありとあらゆる要素に影響を及ぼしている。

確かに、2001年の米同時多発テロや08年の金融危機、09年に感染拡大した新型インフルエンザ(H1N1型)など、近年世界を瀬戸際に追い込んだ危機は他にもあった。ただ、これらの危機は世界に変革を迫るほどではなかった。同時多発テロを経て世界は結束したが、その後もテロは繰り返された。金融危機は銀行とその関連分野を深刻な苦境に陥れたが、世界に格差に対する考えを改めさせるほどではなかった。金融危機後に「ウォール街を占拠せよ」と掲げた抗議運動が起きて注目されたが、数カ月後には沈静化した。

09年に新型インフルが感染拡大した際は危険性が実際以上に誇張されたこともあり、今回の新型コロナの危険性を相応に深刻に受け止めにくくする事態を招いたとの指摘もある。世界保健機関(WHO)が新型コロナを「パンデミック」と宣言するまでにどれほど時間がかかったかを考えてほしい。

新型コロナはこうした従来の危機とは違うかもしれない。社会や制度改革のあり方について熟考を迫るほど重大な問題だが、人類の存続を脅かすほどではないからだ。それでも、これまであまり進展していなかった格差や社会の安全網、医療、国際協調といった重要な政治問題にかなり影響を及ぼしている。世界各国にとって共通の脅威で、人々の意識をコロナ問題という1点に集中させている。

新型コロナに対する共通の脅威は、世界が科学に基づいた連携を始めるきっかけになる。各国が協力して持続的な手法でワクチンを開発し、すべての人に行きわたらせることができれば、人類最大の成果となるだろう。

少なくとも、米国ではコロナ禍に伴う経済や社会、政治の混乱が、社会のニーズに対応できる政治への取り組みに向けた推進力になり得る。生活の質を計るより優れた国内総生産(GDP)の算出基準が考案されれば、インターネットを活用して単発の仕事を請け負うギグエコノミーなども含め、21世紀の人々の暮らしの実態を捉えられるようになる。政府があらゆる人に最低限の所得水準を保障する「ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)」のような制度が登場する可能性さえある。

米国では政治の党派対立が一段と激しさを増し、中国との対立が激化するだろう。両国は冷戦に突入するかもしれない。

だが、まだ針路は変えられる。新型コロナ問題は「スイートスポット(適切な場所)」に位置している危機だ。抜本的で永続的な改革が必要なほど重大な危機ではあるが、そうした改革がかすんでしまうほど人類の存在を脅かす危機ではない。要するに、コロナ危機は世界に改革を促す「適温」危機と言える。ただし、政治的な対応で事態を悪化させず、この危機を無駄にしないことが前提だ。

 

 

最悪の事態を防げ

ユーラシア・グループは年初にグローバルリスクを発表している。上位3つは(1)誰が米国を統治するか(2)大いなる分断(3)米中対立だった。コロナ禍はこれらのリスクを際立たせた。

米国が抱える社会格差と分断の問題は、人種差別に焦点が当たる形でぶり返された。キング牧師暗殺事件を機に全米に広がった1968年の抗議活動が、半世紀余りの時を経てよみがえったようにみえる。くしくも20年は68年と同じく米大統領選挙の年である。

ウイルスはやすやすと国境を越える。この事実が物語るように、コロナは確かにグローバルな問題である。だがコロナ禍が課題の解決を促す「適温」の危機となり得るかどうかは、何の保証もない。

むしろ現状では、危機をいち早く克服したと自認する中国が、わがもの顔の振る舞いを強めている。米国はいら立ちを強め、両者間で新冷戦が厳しさを増しつつある。そして朝鮮半島や中印国境の緊張。新冷戦が本物の戦争につながらぬよう努めることが、現時点の最優先課題であるように思える。

 

 

 

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