時論・創論・複眼
新型コロナ、次の備えは
(複眼) 鈴木康裕氏/ブライアン・ハンソン氏/宮田裕章氏
新型コロナウイルス感染症は世界でなお猛威をふるうが、日本は爆発的な感染拡大を免れ、緊急事態宣言に続いて営業や移動の自粛要請も近く全面解除する。しかし何が奏功したのかは判然としない。このまま次の大きな波が来ても乗り切れるか。政策責任者や国内外の専門家に課題を聞いた。
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■民間検査の拡充後押し 厚生労働省医務技監 鈴木康裕氏
すずき・やすひろ 1984年慶応大医学部卒。厚労省で新型インフルエンザ対策などを担い、防衛省衛生監などを経て2017年、厚労省次官級として新設された現職に。60歳
ウイルスの性質もよくわからないまま、手探りで対策を進めてきた。医療提供体制はぎりぎりの状態になったが、何とか持ちこたえられた。国民の自粛への協力、我が身の危険をいとわない医療従事者のおかげだと思う。バタバタと対応に追われた経験を次へ生かさなければならない。
優先的に取り組むべきことは3つある。1つは検査体制を整える。今回の流行でPCR検査を増やすスピードが不十分だった点は率直に認めないといけない。新しい病原体が入ってきたときに検査をするのは対策の一丁目一番地であり、即応体制が必要だ。
2つ目は医療体制を地域単位で整備する。病院ごとに得意な診療領域や人員配置を考えて対応してきたが、それが地域の最適解になっていたとは限らない。地域の病院がどのように役割分担したらよいか、行政が仲介する必要がある。3つ目は保健所の人材、財務面のてこ入れだ。
PCR検査は全国にPCRセンターができ、専用のテントやドライブスルーで検査を受けられるようになるなど選択肢が増えた。機器や試薬が足りず、検査能力の限界から件数を増やせないという状況は解消した。ウイルスを無毒化して搬送しやすくする技術の開発も進める。
検査は需要が増えれば供給も生まれる。商売になると見れば民間の検査会社がどんどん参入するだろう。スポーツ選手、夜の街の関係者、ビジネス目的で出国する人たちなどは民間の検査を受けてもらう。政府もそれを応援し、精度を保つため外部機関による比較試験などを実施したい。
ただ、PCR検査は偽陽性が一定の比率で出る。大勢が検査を受ければ、偽陽性のために本来は必要ないのに隔離の対象になる人がかなり出てくる。そうしたリスクを十分理解してほしい。全国民を定期的に検査する案も聞くが、もう少し議論が必要だ。
医療体制に関しては、多くの都道府県で想定を超える患者の発生を経験し、受け入れ病床を増やした。だが、永久にこの状態を維持するのは難しい。いざというときに分担を決めて病床を準備できるよう計画を作ってもらう。
緊急時のために病床には一定の余裕があった方がよい。財政上の制約はあるが、極限まで効率化するとニューヨークなどのように医療現場が混乱する恐れがある。バランスをとりつつ診療報酬、交付金などで下支えしないといけない。公立病院を中心に、幅広い協力体制が必要になる。
国会では病院船の構想も議論されたが、運用主体をどこにするか。米国の病院船のように、年中航海しながらあちらこちらで活用される仕組みにできるのか。そもそも日本は米国に比べ病院へのアクセスがよい。コストに見合う価値があるか考えるべきだ。
今後、経済活動の再開に伴って小流行はどこでもいつでも起こりうる。特に注意が必要なのは国境措置の緩和だ。途上国でひとたび爆発的感染が起きると制御できない。世界の流行状況を見極めながら入国制限を維持すべきところは維持し、ウイルスの侵入を防ぐしかない。
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■戦略定め明確な目標を シカゴ・グローバル評議会副会長 ブライアン・ハンソン氏
Brian Hanson 米マサチューセッツ工科大で政治学を学び、メーカーの法務担当や上院議員外交アドバイザーなどを務めた。ノースウエスタン大教授を経て16年から現職。57歳
日本は新型コロナウイルス対策に戦略性も一貫性もないように見えるのに、感染の拡大を抑えることができた。政策と現実とのギャップがこれほど大きい例はほかにない。
ニュージーランドは強力なロックダウンをした。韓国は戦略と目標を定め、達成手段として検査や感染者追跡のためのインフラを整えた。ドイツは(1人の感染者が新たに何人の感染者を生み出すかを示す)実効再生産数の目標値を決め、州政府の主導でそれぞれの地域に合った対策をとった。一方、米国は連邦政府がリーダーシップを発揮せず、混沌とした状態で多数の感染者と死者を出した。
決定打はないものの、成功例から得られた教訓をあげるとすれば戦略と明確な目標が必要だということ。対策が超党派の支持を得ることも大切だ。日本は例外で、何が起きたのかは謎に包まれている。
おそらく、成功をもたらしたのは政府ではなく国民ではないか。新型コロナの流行前から日常的にマスクを着けているし、あいさつの時に握手をしない。政策よりも人々がこうした習慣の延長線上で、行動に注意を払おうと決めたのが奏功したと考えられる。
検査、感染者の隔離、追跡は感染症対策の基本だ。米国も遅ればせながら途中から検査を急拡大した。だが、そこに戦略性がない。どのような人たちを対象に検査し、結果をどう使うのか。しっかり決めずにいくら増やしても、効果は得られない。
米国では抗体検査も広く実施している。陽性なら「免疫パスポート」を発行し、仕事に戻ってよいとする考え方もある。だが、新型コロナの感染性や病気の特徴は未解明な点が多すぎる。仮に抗体検査の精度が高くても、陽性の人の免疫力がどれだけあるのかわからない。理解が不十分なまま、検査結果をもとに行動を決めるのは好ましくない。
ワクチン開発ではトランプ大統領がワープ・スピード作戦を発表し、10月にも供給開始をめざすが、多くの人が実現性を疑っている。ただ、治療薬やワクチン開発プロジェクトの多くに民間のフィランソロピー(社会貢献活動)の資金が集まっているのに勇気づけられる。競争よりも科学的な知見の集約を重視する傾向は歓迎すべきことだ。
行動制限の解除後、多くの人々の警戒心が低下したのがとても心配だ。新型コロナは外からやってきて、感染が広がり、やがて出て行って終わる単純なものではない。
流行は何度も起こる。出入国の際、PCR検査の陰性証明を取得・提示して感染拡大を防ぐのはよいアイデアだ。実効性を保つには相手国への信頼が必要だ。現状は主要国間で不信感が渦巻き、統一基準を設けるのは難しい。実施するとしても当面は2国間、または地域間どまりだろう。
長期的に世の中はどう変わるだろうか。これまで様々なアイデアを持つ多くの人が都市に集まり、経済を発展させてきた。人の集中が、大量の患者を出す病気の引き金にはならないことが前提だった。新型コロナでこれが崩れるとしたら、どのようなモデルを考えればよいのか。大きな問いが投げかけられている。
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■データを基に対策検証 慶応大医学部教授 宮田裕章氏
みやた・ひろあき 東大大学院で保健学博士取得。早稲田大助手、東大教授などを経て2015年現職。医療ビッグデータの活用を唱え、産官学に幅広い人脈をもつ。41歳
新型コロナは日本だけでなく他の国や地域でも、感染実態という基本的なことすら正確に把握できていない。感染の有無を調べる検査法で信頼性が高いとされるPCRにもゴールデン・スタンダードと呼べるほどの精度はない。不確実性を前提に現実をとらえ、対策を決めていかなければならない。
それには、対策を実施したらデータをとって効果を検証し、結果を踏まえて対策に修正を加えていくプロセスが極めて重要になる。たとえば3、4月の人の動きや感染動向のデータからは、何が実効再生産数と関係するかが見えてきた。当初、交通量に注目していたが関係は薄く、それよりも繁華街の人出の方が問題だとわかった。
科学的根拠そのものも、数カ月の間に変わる。マスクは世界的には症状がない人には不要と認識されていたが、集団全体が着用していると感染拡大を相当防げるという証拠が集まった。台湾やドイツでは早い段階から着用を義務化し、世界保健機関(WHO)も6月にようやくマスクを広く推奨する姿勢に転じた。
科学者としては、役立つ可能性のあるデータがあれば確定的なことが言えなくても積極的に社会に提供したい。報告感染者数に占める感染経路不明者の比率や実効再生産数は警告を発する基準として使われているが、過去の数値をもとにしているため、対策が手遅れになる恐れもある。多角的な要素で先を予測できるようにしておきたい。
一例として、特別な検査なしに、症状をもとに陽性かどうか推測できるソフトウエアがある。接触履歴、移動歴、発熱、息苦しさなどから判断するもので、英国でも採用されている。天気予報のように感染者がどこでどう広がっていく可能性があるか画像表示し、人々に注意喚起する。
地域で使ってみて移動データとの相関なども調べ、こうしたソフトの使用で感染の拡散力をどの程度減らせるか検証する。休業要請などをせずに、防御行動によって第2波を乗り切るのに役立つ可能性がある。検査や感染経路を追うのはもちろん大切だが、まったく症状のない人も一定割合いるという前提で、様々な方法を考える必要がある。
この先、感染拡大のリスクがどこにあるかといえば、国境だ。次の波も外から来るだろう。ただ、空港でPCR検査をしても自己隔離のお願いしかできず、強行突破する人を追えない。ハイリスク集団に対しては全地球測位システム(GPS)による追跡を含め、対策のオプションを検討しておかなければならない。
現状は入国者に紙で行動計画を提出させる仕組みだが、GPSの履歴を自分のスマホに保存するような方式にしてはどうか。これならデータを政府に預ける必要もない。マイナンバーも上手に活用できないか。PCR検査の結果や、ワクチンが実用化したら接種情報などとひも付けられれば海外での証明に使える。クラウドを使って容易に実現可能だ。しっかりしたIT(情報技術)システムがない国は経済活動でも後れをとることになりかねない。
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<アンカー> 残る課題、今こそ解決を
戦略なき成功。新型コロナウイルス感染症の大きな波を辛くも乗り越えた日本の取り組みをハンソン氏の言葉を借りて説明すればこうなる。では、次の波を迎え撃つ戦略はできているか。残念ながらそうは思えない。政府内では「病院も国民も大変な経験をしたから、それを生かせば次もきっとうまく乗り越えられる」といった楽観的な声が聞かれる。
現実には感染症対策の基本である検査の不十分さや目的のわかりにくさ、データ収集・活用体制の不備、入院長期化への対策の遅れなど未解決の問題は山ほどある。状況が少し落ち着いた今こそ再点検し、改善すべきは直ちに改善しなければならない。治療薬やワクチンの開発が待たれるが、過度の期待は禁物だ。コロナとの共存を前提に、国としての長期戦略を持つ必要がある。