検証コロナ 危うい統治(1)
コロナ対応、11年前の教訓放置 組織防衛優先で遅れ
広がらないPCR検査に国民は不満を募らせた
新型コロナウイルスの猛威に世界は持てる力を総動員して立ち向かう。だが、日本の対応はもたつき、ぎこちない。バブル崩壊、リーマン危機、東日本大震災。いくつもの危機を経ても変わらなかった縦割りの論理、既得権益にしがみつく姿が今回もあらわになった。このひずみをたださなければ、日本は新たな危機に立ち向かえない。
日本でコロナ対応が始まったのは1月。官邸では「しっかりやります」と繰り返した厚生労働省の動きは一貫して鈍かった。「どうしてできないんだ」。とりわけ安倍晋三首相をいらだたせたのが自ら打ち出した1日2万件の目標に一向に届かないPCR検査だった。
その背景にあったのが感染症法15条に基づく「積極的疫学調査」だ。病気の特徴や感染の広がりを調べるのが疫学調査。「積極的」とは患者が病院に来るのを待たず、保健所を使い感染経路やクラスター(感染者集団)を追うとの意味がある。
厚労省傘下の国立感染症研究所が今年1月17日に出した新型コロナの「積極的疫学調査実施要領」では「患者(確定例)」と「濃厚接触者」のみが検査対象とされた。検査体制への不満が広がると、2月6日に出した要領の改訂版で初めて対象者に「疑似症患者」が加わった。
とはいえ「確定例となる蓋然性が高い場合には積極的疫学調査の対象としてもよい」の限定付き。その姿勢は5月29日の最新版の要領でも変わらない。厚労省が実質的に所管する各地の保健所などもこの要領に従い、濃厚接触者に検査の重点を置いた。
それが大都市中心に経路不明の患者が増える一因となった。疫学調査以外にも検査を受けにくいケースがあり、目詰まりがようやく緩和され出したのは4月から。保健所ルートだけで対応しきれないと危機感を募らせた自治体が地元の医療機関などと「PCRセンター」を設置し始めてからだ。
自らのルールにこだわり現実を見ない。そんな感染症対策での失敗は今回が初めてではない。2009年の新型インフルエンザ流行時も厚労省は疫学調査を優先し、PCR検査を感染地域からの帰国・入国者に集中した。いつの間にか国内で感染が広がり、神戸で渡航歴のない感染者が見つかると、関西の病院を中心に人々が殺到した。
厚労省は10年にまとめた報告書で反省点を記した。「保健所の体制強化」「PCR強化」。今に至る問題の核心に迫り「死亡率が低い水準にとどまったことに満足することなく、今後の対策に役立てていくことが重要だ」とした。実際は満足するだけに終わった。
2009年に流行した新型インフルエンザの教訓を生かすことはできなかった
変わらない行動の背景には内向きな組織の姿が浮かぶ。厚労省で対策を仕切るのは結核感染症課だ。結核やはしか、エイズなどを所管する。新たな病原体には感染研や保健所などと対応し、患者の隔離や差別・偏見といった難問に向き合う。
課を支えるのは理系出身で医師資格を持つ医系技官。その仕事ぶりは政策を調整する官僚より研究者に近い。専門家集団だけに組織を守る意識が先行する。
官邸で「大学病院も検査に使えば」との声が出ても、厚労省は文部科学省が絡む大学病院での検査拡充に及び腰だった。首相は周囲に「危機なんだから使えるものはなんでも使えばいいじゃないか」と語った。誰でもそう思う理屈を組織防衛優先の意識がはね返す。
「日本の感染者や死亡者は欧米より桁違いに少ない」。技官はコロナ危機での善戦ぶりを強調するが、医療現場を混乱させたのは間違いない。「病院があふれるのが嫌でPCR検査は厳しめにやっていた」。4月10日、さいたま市保健所長がこう話し市長に注意された。この所長も厚労省技官OB。独特の論理が行動を縛る。
02年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、12年の中東呼吸器症候群(MERS)を経て、韓国や台湾は備えを厚くした。対照的に日本は足踏みを続けた。厚労省に限らない。世界から一目置かれた日本の官僚機構は、右肩上がりの成長が終わり、新たな危機に見舞われるたびにその機能不全をさらけ出してきた。
バブル崩壊後の金融危機では不良債権の全容を過小評価し続け、金融システムの傷口を広げた。東日本大震災後は再開が困難になった原発をエネルギー政策の中心に据え続けた。結果として火力発電に頼り、温暖化ガス削減も進まない。
共通するのは失敗を認めれば自らに責任が及びかねないという組織としての強烈な防衛本能だ。前例や既存のルールにしがみつき、目の前の現実に対処しない。グローバル化とデジタル化の進展で変化のスピードが格段にあがった21世紀。20世紀型の官僚機構を引きずったままでは日本は世界から置き去りにされる。
検証コロナ 危うい統治(2)
デジタル化阻む既得権 変わりたくないDNA
3月31日。NTTドコモは2018年に参入したオンライン診療のシステムサービスから撤退した。当時、公的保険の適用対象になったが、厚生労働省は医療機関に対面診療の維持など厳しい条件をつけた。医師の利用は広がらず、ドコモはこれ以上続けても採算にあわないと判断した。
その2週間後。厚労省は「新型コロナウイルス感染の期間限定」でオンライン診療を全面解禁した。院内感染を防ぐとの大義名分も立てた。早速1万超の医療機関が受け付けを開始。「職場から受診できます」「24時間予約可能」などと利用を呼びかける。
この動きは危機が収まれば、尻すぼみになる。日本医師会の松本吉郎常任理事はこう強調する。「特例中の特例、例外中の例外。緊急事態が収まり次第、通常の診療、すなわち対面診療に戻すべきだ」
ある開業医は明かす。「『都市部の医師やデジタルに詳しい若い医師に患者が流れる』との反対が地方に多い」。厚労省もこうした声を押し切ってまで実現しようとは思わない。
デジタル化は生活の利便性を高める一方、従来の仕事を変える。そこでとどまると、既得権を得た人が守られ、サービス水準も上がらない。教育も同じだ。
首都圏の教育委員会が4月、休校中の学校でオンライン授業を取り入れるか議論した。「生徒はそれで学べるか」「教室と同じような授業はできない」「セキュリティーも不安」。出たのはできない理由ばかり。この教委は学校に「可能な範囲で学習支援してほしい」と通達するにとどめた。
教委の仕事は設置する自治体と、住民の間で地域の教育を考えることだ。そこには教員の意向がにじみ、教員を困らせまいと守る発想が先に立つ。新たな指導法を身につける手間、保護者からの苦情を思いやる。
都内の中学校長は「どうせ慣れる前に元に戻る」と話す。現場に満ちるのは時間切れを待つ空気。日教組も「現場で十分活用するには準備不足」と応じる。文部科学省は予算獲得には前向きだが、動かない現場を引っ張れなかった。
欧米も同じか。コロナ危機でオンライン授業を進めた米ニューヨーク市。小学校の男性教員は「本格的に使っていなかったが、教育を持続するにはやるしかなかった」と話す。通信環境も悪く、保護者や生徒から「わかりにくい」との批判も受けた。それでも生徒のための試行錯誤を続けた。
政府のデジタル政策は21世紀に入って作った「e-Japan戦略」に源流がある。ここに「地理的、身体的、経済的制約にかかわらず誰もが必要とする最高水準の教育を受けられる」「遠隔地でも質の高い医療・介護サービスを受けられる」と目指す姿を描いた。
それから19年。ゴールは遠い。医師や教員の面倒を思い、やったふりでとどめる。それでは患者も子供も報われない。形だけのデジタル化は給付金の申請でもほころびを露呈した。危機が去ったあと、何事もなかったようにデジタルに距離を置くなら、結局、損をするのは国民だ。
検証コロナ 危うい統治(3)
つぎはぎ行政のツケ 制度の迷宮、コロナ苦境救えず
複雑すぎる雇用調整助成金。コロナ禍に苦しむ企業を助けきれていない
4月上旬、都内のサービス関連の中小企業の社長は社会保険労務士に雇用調整助成金の申請代行を断られた。「こんなデータ、どこにあるんだ」。社長は休業協定や支給要件確認申立書など専門用語の並ぶ申請書類を前に途方に暮れた。
10人を超える従業員の勤怠データを集め、全員分印刷し、算定書を記入しなければならない。10種類以上の専門書類の添付もいる。「社労士じゃなければ作れない」。途中で断念した。
新型コロナウイルスの影響で多くの企業が休業を余儀なくされ、売り上げが急減した。雇用を守るにはまず現金がほしい。ところが、頼みの雇調金は申請の仕組みが複雑すぎて小さな会社では気軽に使えない。
なぜこうも複雑なのか。もともと雇調金は企業が従業員に支払う休業手当の一部を国が助成する制度だ。1970年代中盤、鉄鋼など重厚長大産業の正社員雇用を守るために導入された。国が恐れたのは不正受給。多くのデータを正確に記入するよう求め、申請の代行を社労士に委ねた。
68年に資格ができた社労士は全国に4万人いる。年金や労災など社会保険に関する書類の作成を厚生労働省からの独占業務として担う。社労士が複雑なデータ処理をこなし誤りも点検してくれれば、国も好都合。社会保障の重要性が増す中で、国は社労士の仕事を増やしもたれ合ってきた。その結果が、複雑な専門用語があふれる申請書類だ。
今回はその社労士が悲鳴をあげた。顧問企業などの求めには応じたが、中小・零細企業からの初めての相談には尻込みした。こうした会社は日銭で運転資金を賄い、労務管理がずさんなところがある。万一書類に不正があれば、自分が罰せられる。多くの社労士はそう感じた。
安易に構えたのは厚労省だ。リーマン危機後の雇用維持に生かした経験から「今回も雇調金で大丈夫との安心感があった」(同省幹部)。4月以降、批判が続出し、支給上限の倍増、書類記載事項の削減と、制度変更を強いられる。ようやく5月に始めたオンライン申請も個人情報を流出させた。不始末が続く。
労働、税、法務。多くの分野に専門家を挟み、プロでなければ使えないシステムをがんじがらめで作る日本。それがデジタル化を遅らせ、改革を阻む。これでは企業を迅速に救えない。
米国は従業員らの給与支払いを政府が肩代わりする仕組みを導入。4月初旬に受け付けを始め、たった4日で380億ドル(約4兆円)分が利用された。英国も休業者に賃金の80%を支給する新制度を整え、6月7日までに890万人に196億ポンド(2兆7千億円)を配った。日本の雇調金は6月5日時点で約325億円しか使われていない。
欧米はまずお金を配り、事後に不正をただす。スピード重視の発想だ。もたつくうちに日本の労働市場は急速に悪化した。4月の非正規労働者数は前月より131万人減り、失業予備軍ともいえる休業者は過去最大の597万人に達した。ガラパゴス行政のせいで雇用が消失しかかっている。
検証コロナ 危うい統治(4)
変わらぬ政官の聖域 民力生かさず政策鈍く
お金を配ると決めたら、すぐ渡す。新型コロナウイルスへの対応は一刻を争い、困っている個人への給付に遅れは許されない。それが世界の常識だ。
韓国では5月11日に「緊急災難支援金」の給付が始まった。支給額は単身世帯で約4万円。ネット申請ではカード会社を使い、2日以内にクレジットカードにポイント付与する仕組みを整えた。2週間あまりで97%の世帯に配る速攻ぶりだ。一方、1人10万円配る日本の特別定額給付金。6月5日時点の給付済み世帯は全体の28%にとどまる。
大型経済対策の編成を巡る日米の足取りを追ってみた。ともに検討し始めたのは3月上旬。米国では3月27日に現金給付を含む経済対策が議会を通過し、成立した。日本はその翌28日、安倍晋三首相が正式に予算編成を指示。ここから予算成立まではさらに1カ月、4月30日までかかった。
政府・与党が個人への現金給付額を公言したのは4月3日。誰にいくら配るかで時間を浪費した。一律給付に待ったをかけたのは財務省。「準備に3カ月かかる」。政府は減収世帯に30万円を配る案を打ち出したが、与党の反発で一律10万円への転換を強いられた。
決めたあとも遅い。日本ではマイナンバー制度が普及しておらず、個人の申請がないとお金を配れない。米国は政府が個人の納税記録をもとに、登録された銀行口座に自動的にお金を振り込んだ。申請も不要。申請から支給まで時間がかかるのは、納税記録や口座のない人たちだった。
各国は民間の知恵も取り込み、迅速に動いた。
例えばスイス。無審査で数時間のうちに振り込む中小企業向け融資は3月26日からの1週間で7万件の利用があった。政府に提言したのはクレディ・スイスのトマス・ゴットシュタイン最高経営責任者(CEO)だった。米国も保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」の関係者が減税の提案に関わったとされる。
世界は日本を、政策に民の知恵を生かさない国とみる。米国の国際NGOが4月にまとめた世界の「財政公開性調査」は、日本は予算を作る際の情報公開が不徹底で、民間の関与が足りないと指摘した。官は市民やNPOなどの意見を幅広く聞くべきで、そうでなければ多様なアイデアを政策に生かせないとの主張だ。
コロナ危機では、経済対策に盛り込んだ政策のうち、民間への不透明な業務委託に批判が集まっている。中小事業者らを支援する持続化給付金や旅行需要の回復を狙う「Go Toキャンペーン」などは、どの組織にどんな仕事を任せるか見えにくい。予算が効率的に使われておらず、責任の所在も曖昧との指摘が出ている。
政と官は民の知恵も借り、機動的に政策を作り上げる。その際、透明なルールのもとで民間に競って知恵を出してもらい、政策実行のスピードを上げる。そして想定を上回る効果を狙う。そんな好循環を生む仕組みが大切だ。自ら聖域を作り、閉じた議論に終始しているうちは、危機の出口にたどりつけない。
検証コロナ 危うい統治(5)
未完の官邸主導 慢心と萎縮 情報目詰まり
安倍晋三首相が5月4日の記者会見で5月中の薬事承認をめざすと表明した抗インフルエンザ薬「アビガン」。首相は緊急事態宣言の全面解除に合わせて新型コロナウイルスの治療薬として投入すれば、解除しても安心できるとみていたが、まだ承認されない。
それまでの記者会見でもアビガンへの期待を繰り返し強調していた。厚生労働省幹部から「治験以外のデータも援用すれば承認基準を満たせます」とお墨付きを得ていたからだ。5月中の承認が難しいと分かると「話が違うじゃないか」と周囲にいらだちをみせた。
首相は会議のたびに「治療薬はいつできるんだ。アビガンがいいんじゃないか」とせかした。後に厚労省幹部は「早い対応を求める首相を前に、楽観的な見通し以外は言いづらかった」と漏らした。安倍1強の下で人事権を握られた官僚の萎縮は進み、多様な意見が上がりにくくなっている。
首相官邸は迷走を重ねる。全世帯への布マスク2枚配布は冷ややかに受け止められた。減収世帯への30万円給付は公明党などの反発を受け一律10万円給付に改めた。長期休校を逆手にとろうとした9月入学制の導入も見通しは立たない。
巨大な官僚機構に頼るだけでは変化の激しい時代に対応できない。歴代首相は政治主導への道を探ってきた。省庁縦割りで対応が遅れた阪神大震災の教訓から橋本龍太郎元首相は官邸主導の素地をつくったが、東日本大震災では民主党政権下で指揮命令が混乱した。
首相が第2次政権発足後、首相直属の国家安全保障会議(NSC)新設などを掲げたのは「危機に強い政府」づくりへの意欲の表れだった。北朝鮮問題や相次ぐ自然災害などにうまく対応し、慢心にも似た自負が芽生えていた。
首相を支える内閣官房は政策立案や省庁間調整を担う「分室」が省庁再編時の5から約40に増え、定員も約1200人と3倍超になった。器は大きくなっても前例のない有事を前に政府の中枢は機能しなかった。
死者数を1桁に抑えている台湾。蔡英文(ツァイ・インウェン)総統は中国による武漢封鎖前の1月20日に、臨時政府のような強大な権限を持つ各省横断の中央感染症指揮センターを立ち上げた。2月6日には中国大陸からの入境を禁止した。健康保険証のICチップを使ったマスクの安定供給策など、持てるインフラもフル活用した。
日本の危機は終わっていない。国民や企業が安心して活動を再開し、経済を再生への軌道に乗せていくためにはPCR検査の大幅拡充や医療体制の強化など「安心・安全」のための投資が不可欠だ。
オンライン診療・教育など今回の危機であらわになったデジタル化への遅れをどう取り戻すか。インフラや人材育成への投資を思い切って進めていくことがコロナ後の成長基盤となる。官邸主導で臨むべき日本の宿題は改めて浮かび上がっている。=おわり