国立大学の使命 教育・研究で世界をリード

 

東京大学名誉教授 大西隆 

日本の優位性見極め/政治と大学人が対話を

 

 

豊橋技術科学大学長を3月に退任した大西隆東京大学名誉教授は、国立大学は教育と研究で世界をリードする大学へ改革すべきであり、そのためには政治リーダーと大学人の対話が不可欠であると指摘する。

教員として過ごした長岡技術科学大学と東京大学、学長を務めた豊橋技術科学大学の仕事を終えた。国立大学3校での経験をもとに、国と国立大学の関係を考えるのが本稿のテーマである。

大学、大学院、高等専門学校等の高等教育機関には、卒業生が社会で活躍することと、教員や学生が行う研究の成果が社会の発展に寄与するという2つの意味で、単に卒業すれば安定した収入の良い仕事に就けるという個人のメリットを超えた社会的有用性があり、それが国や自治体が大学等を運営する資金を提供する根拠とされている。

 

最近では教育と研究に加えて、社会人を対象とした教育や街づくり等の社会問題への取り組みなども大学による社会貢献として重視されるようになり、大学と社会との関わりは深まっている。

 

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こうして、国立大学の場合には、年間収入の30〜70%が国からの運営費交付金であり(付属病院がある大学では割合は低く、教育大学系では高い傾向がある)、最大の収入源といってよい。私立大学には私学助成金が支出されているが、年間収入に占める割合は国立大学に比べれば低い。

相当額を拠出して国立大学を支えているのであるから、国にはそのあり方に関与する責任が生ずる。そして、関与は、各大学が作成する中期目標・計画に対する6年ごと、中間年、そして毎年の評価、毎年の予算配分に際して行われる各大学の重点機能に関する評価や、さらに教育研究等に関わる客観指標に関する評価によって行われ、それをもとに運営費交付金の額が増減される。

評価がこのように何重にも行われるようになってきた背景には、国立大学への関与をさらに強めるべきだという政府内の声が存在するようだ。このため、評価ばかりではなく、国立大学の文系学部の廃止(2015年6月、後に事実上撤回)、民間受験業界を活用した国語・数学の記述式問題や英語の話す力、書く力を問う問題のセンター試験への導入(20年度から予定されたが延期再検討)といった改革論議が相次いで浮上した。それぞれが意義ある課題という側面を持ちながらも、具体的施策が稚拙だったために異論が続出、実行段階でとん挫した。

最新のものは、3月末に策定されたばかりの「国立大学のガバナンスコード」である。一般投資家などに対する企業の責任を、運営の透明化や情報開示によって果たすよう求める企業のガバナンスコードの国立大学版である。

 

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だが、既に述べたように国立大学には法定の評価制度が適用されて情報公開や運営の透明化がなされており、競争下にある企業なら社外秘とするような中長期の経営戦略の詳細といった事柄も公開されている。

もちろん、制度があることと、それを適切に運用することとは異なるから、ガバナンスコードで適切な運用を確かなものとすることが悪いとはいわないまでも、なぜ屋上屋を架すのかと疑問に思いながら、3月末まで議論に加わってきた。

なぜ、政府・与党は次から次へと国立大学への注文を突きつけては新しい評価や制度を始めるものの、拙速な制度設計で挫折したり、屋上屋を架し政府への信頼を損ねたりするような結果に至るのだろうか?

筆者には、政治やその有力なバックボーンとしての産業界と国立大学の対話不足という現実があるように思えてならない。少子化が進み、英語が教育・研究言語としてさらに普及して優秀な学生の国際流動性が次第に増している現実のもとで、国立大学の多くは、現在のままの運営を続けていけばいいとは考えていない。

日本が比較優位に立つ分野を見極め、国際競争力のある、つまり教育と研究で世界をリードする大学へと改革していかなければ、日本の将来も大学の将来も暗いと考える学長や大学人は少なくない。さらに付言すれば、筆者のような工学分野では、とりわけ情報化をふんだんに取り入れたモノづくりへの応用が、日本が世界から一目置かれており、世界の若者が日本で学びたいと考えている分野だと思っている。

既に実績も上がっている。3月まで学長を務めた豊橋技術科学大学でも全学生の14%程度が留学生であった。また、表のように、全分野で世界に約400万人いる留学生の中で、日本着の留学生は日本発の4.4倍であり、英語圏に次ぐ人気国である。

とはいえ絶対数はまだまだ少ない。日本は自由貿易の重要さを標榜するのであるから、それを支える国際的な人材育成を日本の得意分野で進めることが国益にかなう。この点を日本の大学は重視すべきであり、国も特に国立大学を活用し、そのために運営費交付金を重点的に投入すべきだ。

日本の大学が進むべきこの方向性について、政治リーダーと大学人が対話を通じて、共有することが急務である。もちろん、工学分野だけが重要というのではない。医学、農学、理学、さらには人文社会科学等の中にも日本が優位に立てる分野があるだろう。

もし政府の諸会議が大学、とりわけ国立大学の運営形態にばかり目を向け、その果たすべき役割を見失うとすれば、無益な議論を重ねることになる。

 

 

 

政・学の相互不信、存在意義確認を

 大学、特に国立大学に対する政府・与党の改革圧力は高まるばかりだ。政府・与党側が「大学は一向に変わろうとしない」と不信感をあらわにすれば、大学側には「成果も分からない"改革策"を次々と押しつけてくる」との不満が鬱積する。

 大西氏が指摘するようにその背後には、政治と大学の"対話不足"がある。かつては文部科学官僚が両者のパイプ役を担ったのかもしれないが、最近の政治主導の風潮下ではそれが難しい。

 少子化と国際化という大きな流れの中で、国立大学の使命、存在意義を改めて問い直すべき時期に来ている。

 

 

 

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