遠隔授業への壁 日本ではなぜ教育不在が長期化したか
登校が再開されても、第二波第三波に備えて今すぐに準備すべきだ
牧 陽子 上智大学准教授
コロナウイルスの感染拡大により日本で「休校」が始まって3カ月。4月中旬から、私立の学校や一部の公立ではオンラインで授業やホームルームを試みる動きがあるが、多くの公立小中学校は教科書と課題プリントを配るのみ。子どもたちは放って置きっぱなしの「教育放棄」、もしくはそれに近い状態が長く続いた。中国や韓国、欧米ではいち早く、オンライン等で教育が継続されたのに、日本では教育不在状態がなぜこれほど長く続いたのか。
私の専門は社会学であり教育学ではないが、フランスをフィールドに研究するものとして、また東京都内で小中学生3人の子を育てる親として、この間の日本の学校の対応を他国との比較から検証したい。
文部科学省の不手際
日本で長期間、教育が停滞した理由の一つは、文部科学省の対応の不十分さにある。学校「臨時休業」が首相の一存で突発的に始まったとはいえ、文科省が各教育委員会あてに出した2月末の通達には、教育を継続するという指示はなかった。教育に関しては「可能な限り家庭学習を適切に課するよう配慮すること」、授業時間を下回っても「進級・進学に不利益がないよう配慮すること」という指示のみである。年度末で教科の学習はほぼ終わっていたこともあり、多くの学校が応急処置的な課題を出しただけだったのではないだろうか。
文科省が使う「臨時休業」「家庭学習」や、マスコミが用いる「休校」という言葉にも一因がある。子供も大人も、そして教員さえも、学校は長い「休み」に入ったと受け止め、登校しなくても教育は続けるという考えが欠如していた。「家庭学習」とは復習の課題を出すことだと受けとめ、5月末時点で、まだ新学年の教科書の学習に入っていない学校もある。公立学校の多くは月に1回程度、課題のプリントを渡すのみで、長い学校では3カ月に至る、教育の空白期間が生まれた。
海外ではすぐに遠隔教育を導入
一方、この時期、日本と前後して感染が拡大した各国では、オンラインを中心に様々な方法を駆使して教育が続けられた。日本に先立ち休校が始まったIT先進国の中国では、文科省にあたる国の機関が「授業は止めても学びは止めない」というスローガンの下、オンライン教育を推奨し、教員が使用できるようコンテンツも提供した。学校閉鎖1週間後には、中国では授業のオンライン化がブームになったという(注1)。
韓国では新学期の開始を1カ月余り遅らせ、それまでの間、教育省と公共放送FBSが協力し、学年や科目ごとに、選ばれた教員がテレビを通じて授業を放送した。チャット機能で子供の質問を受け、その場で答える双方向性も確保した。こうした準備期間を経て、4月9日の新学期には、すべてオンラインで授業が始まった(注2)。
日本より遅れて感染が拡大したフランスでは、2月末には教育相が通達で学校閉鎖の場合の「教育の継続性」と「学校とのつながりの維持」を指示した。第一の選択肢としてオンラインによる教育継続を示し、ICT環境が整わない家庭に対しては、各学校で個別の対応をとることとした。教育・研修のための公的機関である国立通信教育センター(CNED)がまず4週間分のプログラム「おうち教室(Ma classe a la maison)」をオンラインで用意し、利用するかしないかは学校や教員に任された。
こうして3月16日の学校閉鎖と同時に「遠隔学校」が全国一斉にスタートした。やり方は教員によりさまざまで、必ずしもオンライン双方向授業ばかりではないが、メール添付で課題を教員に提出するなど、双方向のやりとりを保つよう努力がなされている。
日本にも、中国や韓国、欧米のオンライン授業の様子はこの間、報道で伝わってはいたが、遠隔授業で教科書の学習を進めようという動きは、教育関係者全体に極めて鈍かった。文科省が用意した「子供の学び応援サイト」はしばらくの間、NHKの教育番組や教育産業が作った既存コンテンツへのリンクを貼っただけの「寄せ集め」で、教科書に沿って学習を進められるようなものではなかった。
注1)Business insider誌ネット版、2020年3月9日記事
(注2)NHK News Web,「学校を失った子供たち “教育の危機”に世界はどう対応?」, 2020年4月28日
動かぬ教育現場
それでも、4月17日改訂の文科省「臨時休業ガイドライン」では、「子供が感染拡大の役割をほとんど果たしていないと考えられる」という専門家の知見を示し、感染者が出ていない地域や、感染経路がはっきりしており学校との接点が少ない場合、「臨時休業を実施する必要性は低い」とまで明記した。分散登校により、登校日や授業日を適切に設けるよう求めたほか、ICTを活用した指導や電話の活用、家庭訪問や、配慮を要する一部の子供を登校させるなど、きめの細かい対応を求めている。
公立学校に関する文科省調査では、4月16日時点で家庭訪問を実施したのは65%、電話・ファクスによる連絡は84%にまで上るが、多くは月に1回程度、課題の配布や健康状態の確認をしている程度で、訪問や電話で学習指導をしているわけではない。
一部にとどまる遠隔授業の取り組み
拡大オンライン授業を実施している熊本市の小学校=2020年4月24日
新年度に入っても登校できない状態にさすがに危機感を持ち、日本でもオンラインによる教育の再開を、一部の学校は模索し始めた。4月中旬ごろから、私立の小中高校と一部の公立高校は、オンラインでの授業や、オンライン教育プラットフォームClassiなどを使っての課題配布やミニテストを実施し始めた。中高生の生活リズムの乱れを直そうと、オンラインホームルームを朝に行う学校もある。
公立の小中学校でもごく一部だが、教育委員会が指揮をとり、遠隔教育を試みる自治体もある。長野県では教員による授業動画を作成した。東京都文京区でも学校ごとに動画を作り、どちらも教育委員会ホームページからアクセスできるようにしている。文京区ではタブレットも必要家庭に貸与している。このほか熊本市の、タブレットを全員に配布してのオンライン授業は、よく知られているところである。
だが、報道などでは注目されにくい、その他多くの公立小中学校は、紙の課題を渡すのみで、子供たちを放って置きっぱなしの「教育放棄」とも呼ぶべき状態に長くあった。文科省の公立学校調査(4月16日現在)では、教育委員会が独自に授業動画を作成した学習指導は全体の10%、同時双方向型のオンライン指導に至っては5%に留まる。それ以外の「デジタル教材利用」は3割近くに上るが、これには既存の教育サイトへのリンクを紹介するのみの学校も、実際には多く含まれると推測される。
東京都内の私の住む区では、4月に渡された課題は、小中学校とも前年度の復習問題で、中学は業者作成の問題集だった。小学校で新学年の漢字がかろうじて課題に入ったのみである。5月中旬に渡された課題でようやく、新学年の内容に入ったが、学校からの学習指導は一切ない。私が見聞きした範囲では、都内に限らず各地の多くの公立学校で同じような状況にあったといい、「学校から何も連絡がない」「放置されていてどうしたらいいかわからない」という親の嘆き声が聞こえた。
形骸化した「平等主義」
対面での授業ができない中、接触なしで授業に近い疑似空間を作り出すことができるのが、授業動画やビデオ会議システムを用いたオンライン授業である。文科省も4月中旬からは、ICTを積極活用するよう、全国の教育委員会や学校に働きかけている。にもかかわらず、5月末現在、ほとんどの公立校でオンライン授業は行われていなかった。なぜか。
教育委員会や学校側に要求しても、帰ってくるのは「ICT環境が整わない家庭がある」「学校の機材が十分でない」「ノウハウがない」などの理由である。ICT環境については、家庭のパソコンやタブレット、スマートフォンを活用し、必要な人にのみタブレットやモバイルWiーFiを貸与するという方法がある。今日、こうした通信環境がまったくないという家庭はほとんどないだろう。だが現場は「平等」を建前に、かたくなにそれをしようとはしない。
たとえICT環境が整わない家庭にタブレット配布が難しいとしても、文科省が通知しているように、配慮が必要な子供には登校や電話、家庭訪問で個別に学習指導することも可能なはずである。だが、全員一律の対応に固執し、このような「きめ細かな対応」を、学校側はしようとはしない。文科省の「GIGAスクール構想」の前倒しで、今年度中に配備されるという1人1台の端末をひたすら待つだけである。
実態として、教育委員会の実力の差と、公立/私立の違い、家庭の教育力で大きな格差が生じているというのに、形式的に「みんな同じ」であることを重視し、多くの公立小中学校は「みんなで何もしない」のだ。
多くの教員が在宅勤務をしている今、私用パソコンも用いれば動画を作成したり、オンラインで授業をしたりできる教員もいるだろう。「オンラインはやりたいが、一人ではできない。はがゆい」と口にする教員もいる。私の区では学校配備のパソコンにWebカメラがないことも、オンライン教育ができない理由の一つに挙げている。だが、「学校に私用パソコンを持ってきてはいけない」「在宅勤務に私用パソコンを用いてはいけない」という公務員の服務規程があり、できないと区教委は説明する。
こうしたセキュリティーポリシーは文科省によると、自治体で設けているものであり、緊急時にはすぐに変更可能であるという。未曽有の危機に、社会のあらゆる分野でやり方を変えて対応しているというのに、多くの教育委員会と学校は平常時のやり方を固守し、子供の教育を受ける権利を侵害しているのである。
よしんばオンライン授業ができないとしても、少なくとも子供たちに週1回、ポイント説明と課題を渡して提出してもらい、つまずきやすいポイント等を教員が次回の課題に添えて指導するという、アナログな「遠隔教育」も不可能ではない。登校日や学校・教委のHP、メール添付、郵送や郵便受けへの投函等あらゆる方法を駆使すれば、そうした継続的なやりとりは実現可能である。週1回のやりとりがあれば、教科の学習を進めることもできる。だが、現実にはオンラインだけでなくアナログな「遠隔教育」も満足には行われなかった。
「9月入学」実施するなら7カ月早めて
私は大学の教員だが、大学ではほぼ100%が、混乱は伴いつつもオンラインで新学期を開始した。もちろんすべての大学教員がオンライン授業に慣れていたわけではなく、私を含め多くが、ノウハウを持つ同僚からオンラインで手ほどきを受け、急場しのぎで身に着けた知識である。必要がある学生には、タブレットやモバイルWi-Fiの貸し出しを大学側が行っており、「為せば成る」のである。
小中学生は大学生と違い、端末の所有率が低く、大人の支援が必要なのも確かである。フランスでも、大人のテレワークとの調整が問題になった。また、あまりに長時間、子供が画面に向かっているのも好ましくない。そのため、すべての授業を同時双方向的なビデオ会議システムで行うのは、必ずしも最適な解決策ではないだろう。
オンライン授業は対面授業に比べて疲れやすい。小中学校では子供の健康確認と主要教科のポイントにとどめ、自習の課題を併用すれば、兄弟間で使用が重なったり、通信データ量が膨らんだりする問題も緩和できる。1日たとえ1時間でも、リアルタイムに学校や友達とつながれるだけで、教育の継続だけでなく、子供の精神的な安定にも効果は大きい。
このようにさまざまな代替策があり、義務教育でない大学で授業を行っているというのに、公立の義務教育機関がもっとも何もせず、子供の教育を受ける権利を長期にわたり侵害した。そして安易に「9月入学」論に乗り、自分たちの怠惰により生じた遅れを帳消しにしようとしている。日本における教育の遅れは「命が大事だから仕方ない」ものではなく、文科省の不手際と、教育委員会と学校の責任放棄が起こした、人為的な無策に原因がある。
9月入学制は、このような混乱時に議論をするのでなく、平常時にじっくり議論をするべきである。欧米では子供の貧困対策の観点から、早期教育の重要性に関心が高まっている。導入するならば、現行より5カ月遅らせて世界で最も遅い就学年齢にするのではなく、7カ月早める方向で進めるべきだろう。乱暴な「9月入学」論は、混乱の中、きちんと遠隔で教育を継続した学校に失礼である。まして、感染が少ない一部地域では「休校」期間は短く、遅れを生じていない。
9月まで遅らせなくても、今からでも遅くはない。日本はもともと、ドイツやフランスに比べて、授業期間が1カ月以上長い。日本に特徴的な多くの学校行事も、この状況ではできないので授業時間に回せる。技術・家庭科や美術などは例外的に次年度の学習も認め、主要教科に絞れば、取り返し可能であろう。
コロナウイルス第二波、第三波の危険は残る。ここまでの遅れと自分たちの無策を教育関係者は真摯に反省し、登校が再開しても、遠隔授業に備えて今すぐに準備すべきである。3カ月もの「休校」を経てなお、できませんでは許されない。