時論・創論・複眼

 

デジタル時代の法とは(複眼)

 

 宍戸常寿氏/稲谷龍彦氏/若目田光生氏

 

 

デジタル技術の急速な発展が変えるのは、人々の生活や企業活動だけではない。各種の規制や法律のあり方、さらには刑事司法の仕組みまで見直さないと、コロナ危機対応を含めて、日本は世界的なイノベーション競争に劣後しかねない。気鋭の論客に聞いた。

 

 

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ゴール重視の枠組みに 東大法学部教授 宍戸常寿氏

 

ししど じょうじ 1997年東大法卒、13年から現職。専門は憲法学や情報法。ネット上のプライバシーや青少年保護、海賊版対策などについても情報発信する。45歳

デジタル技術の急速な発展で社会や経済は大きく変化しており、法律のあり方も変わらざるをえない。過去の技術や産業構造を前提にした硬直的な法規制が、現代では不合理なものになってしまっている例が見られる。

例えば、工業プラントやインフラ設備は安全確保のために定期検査の細目(目視や打音など)が法令で決められている。しかし、センサーや4Kカメラなどを活用したリアルタイム検査に切り替えれば、人には分からない微妙な変化も検出でき、トンネル崩落のような悲劇を防ぎやすくなる。

もう一つの例として、割賦販売法は、消費者の収入や世帯構成に応じて、クレジット会社による与信の上限を一律に決めている。だが近年は、ネット通販の取引履歴などを利用して個人の信用力を評価するスコアリング技術が発達した。人工知能(AI)を使って借り手ごとに信用を判断すれば、これまで与信を受けられなかった消費者にもメリットが生まれる。

これらの例からわかるのは、法律と技術の関係を再整理すべきだということだ。経済活動に関する行政法、とくに産業分野ごとに定められたいわゆる「業法」は、事業者の行為を細かく規制するルールを定めてきた。しかし今後のデジタル社会では、サイバー空間とフィジカル空間が融合し、不断に技術が進歩する。かつての技術水準を前提にした従来の規制のままでは、規制の目的も十分に達成できないし、新たな技術を生かした社会的、経済的イノベーションを妨げることにもなる。

消費者利益の向上や社会的課題の解決を可能にするためにも、ルールベースからゴール(目標)ベースへと、法による規制の枠組みを変えていく必要がある。法律は人権、公正、安全などの規制がめざすゴールを技術中立的に定める。それを実現するための技術やビジネスモデルの選択は、できる限り、企業の自主的な取り組みに委ねるべきだ。

企業によるルール形成を認めることに、不安を感じる人もいるかもしれない。確かに企業の不祥事は後を絶たない。しかし、企業が規制を順守しているかどうか、政府が逐一モニタリングすることは、すでに困難になっている。むしろガバナンスの実効性を高めるための手法の組み合わせこそが必要だ。

まずは企業自身が定めたルールを順守し、法の定める目標を達成していることを、対外的に説明することが必要だ(コンプライ・アンド・エクスプレイン=順守し、かつ、説明する)。それに失敗し、データ漏洩や品質不良などのルール違反があった場合には、原因を究明し再発防止策を開示する義務も負う。政府は、それを評価・監視するとともに、重大な違反に対しては課徴金などの制裁を実施する役割を担うべきだ。

個々の消費者やそのコミュニティーも企業の取り組みを積極的に評価・監視し、企業の能力を引き出す立場にある。立法・司法を含めて、デジタル時代にふさわしいガバナンスのあり方を模索すべきだ。

 

 

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刑事罰以外の解決策探れ 京大法学部准教授 稲谷龍彦氏

 

いなたに・たつひこ 京大法科大学院修了、2011年から現職。「グローバル化する企業犯罪への対処法」と「AIの開発や使用をめぐる刑事責任」などを研究。40歳

近代刑法を単純化すると、完全な理性を持つ国家が市民を上から統治するモデルだ。誰かが故意や過失で社会的な害悪を引き起こしたときに国家がその人を摘発し、制裁を加えることで、同様の事故の再発を防ぐ。つまり特定の個人に刑事責任を帰することで社会的な害悪を防いできた。このモデルが今後も有効かどうかが問われている。

現代は個人だけでなく、法人の果たす役割が非常に大きい。殺人や窃盗といった伝統的な犯罪と、企業が主体となる違法行為とでは、刑罰をめぐる事情はかなり違う。

有名な例は2002年に解散に追い込まれた5大会計事務所の1つ米アーサー・アンダーセンだ。同社の一部の会計士が米エンロン事件で証拠隠滅を図り、上場企業の監査業務ができなくなって、破綻した。

その結果、まじめに働いていた多くの社員が失業した。法人(企業)への刑罰を適切に運用しないと、関係のない多数の人が苦しむことになり、むしろ社会的な害悪が発生する。そんな認識がこの事件を機に広がった。

刑罰の限界に関わるもう一つの例が、今開発が急ピッチで進む自動運転技術だ。人手を介さない完全自動運転車が事故を起こした場合、誰が責任を負うべきか。

開発に携わったエンジニアが事故を引き起こすようなバグをわざと運転制御プログラムに仕込むといった極端な例を除けば、個人の責任を追及する意味は薄い。むしろ責任追及が厳しすぎると、新技術の開発や実用化に取り組む人がいなくなり、価値あるイノベーションを阻害する。結果としてやはり社会的な害悪を増幅してしまう。

では、企業活動から生じる社会的損害に私たちはどう対処すればいいのか。アンダーセンの例が示すように刑罰の適用は副作用が大きい。そもそも司法がビジネスや技術、ソフトウエアの詳細を理解し、適切な判断を下せるのかも疑問だ。事故を起こした自動運転車の制御ソフトは適正で、事故はやむを得なかったのか、設計者が適切な注意を払うことなくバグを見逃したのか、検察官や裁判官に独力で見極められるだろうか。

米国では企業活動に関する犯罪について、訴追延期合意制度(Deferred Prosecution Agreements=DPA)がある。
厳格な法人処罰制度のもとで、犯罪に関わった企業が、当局の捜査に協力し、事実関係を認め、損害補償金を支払い、さらには企業の統治構造を改革することなどを条件に、検察官が当該企業の訴追を見合わせることを約束する仕組みだ。

企業の約束した不正会計などの再発防止策や統治改革が誠実に実行されているかを監視するために、当局は独立監査人を企業に送り込むこともできる。近年の米国ではこのDPAによって企業活動を統制するケースが多い。

日本の司法当局も単純な刑事罰の適用ではなく、社会的利益を大きくする問題解決の道筋を探ってほしい。その際には検察官と専門行政庁や外部有識者の連携も必要になる。

 

 

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企業、ルール形成関与を 日本総合研究所上席主任研究員 若目田光生氏

 

わかめだ・みつお 1988年上智大文卒。2019年2月から現職。前職のNEC時代から「デジタルと人権」「データ活用とプライバシー」について積極的に発言。54歳

ビッグデータは「21世紀の石油」といわれる価値ある資源だが、石油の大量消費が公害や地球温暖化を招いたように、個人データやAIの乱用がプライバシー侵害や差別の助長といった新たな社会問題を招いている。
欧米ではデジタルによる人権侵害について、非政府組織が問題提起することが多い。例えばカナダ東部のトロント市のスマートシティー計画に対し、各種のセンサーで住民の動向が監視されるという懸念が広がり、カナダ自由人権協会は「私たちは実験マウスではない」と提訴した。

一方、日本ではしばしば炎上の形で問題が顕在化する。2014年には災害時の安全対策を目的に、カメラを活用し大阪駅構内の人の流れを把握しようとした国の研究機関の実証実験が、大きな批判を浴びて中断に追い込まれた。

これらは透明性やアカウンタビリティーの不足が原因とされるが、市民社会からの批判や炎上は違法か否かによらず企業価値を毀損する。デジタル時代はプライバシーガバナンスが企業価値を大きく左右することを理解し、義務的ではなく経営戦略として積極的に取り組むべきであろう。

私は前職のNEC時代からこの問題に関与してきたが、その経験から一例を紹介したい。カメラ映像のAI解析により数万人規模の混雑度や人の流れをリアルタイムに予測する技術の実証実験を、味の素スタジアム(東京都調布市)での大規模イベントに合わせて4年前に実施した。人命を奪う危険性がある異常な混雑を未然に防ぐために、スタジアムと駅をつなぐ道にカメラを設置し、イベント後の群衆の映像を撮影した。

近隣の住民にとってはカメラがあちこちにあるのは何とも不気味で、自治会などへの事前説明やイラストを使ったわかりやすい掲示などの工夫をしたが、それでも苦情が出た。そこで「監視のためではなく危険回避のための実験」と直接説明したところ、不安の声は共感や応援の声に転じた。市民の同意を得るための企業の取り組みは非常に重要だ。マイクロソフトやソニーは自主的にAI憲章などを制定し、自らを律している。

一方で日本企業には批判や炎上を怖がるあまりデータの活用に臆病な面もある。デジタル技術の進歩は速く、既存のルールとのギャップもあれば、ときに予期せぬ問題も起きる。
そんなときに「100%の正解が分からないと何もしない」というカルチャーが強すぎると、身動きが取れない。減点主義から脱却し、目的とリスクを明確にした上で一歩踏み出す勇気が必要だろう。不都合があれば素早く是正することも大切だ。

是非の判断を政府まかせにするのも問題だ。デジタル活用はアフターコロナを見据えると、スピードと市民社会の合意がますます重要になる。ルール策定も官単独ではなく官と民、そして市民が協力することで実態に即した規範が生まれる。官民による共同規制は情報銀行の認定基準などの先駆例があり、今後さらに増える。ルール形成に企業は主体的に関与すべきだ。

 

 

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<アンカー>法令の細かい縛り、時代錯誤に

硬直的な法規制や行政の仕組みが企業や社会に無用のストレスを与えている典型例が、役所に提出する書類への義務的な押印だ。新経済連盟の調べでは、従業員5千人規模のあるITサービス会社では、押印が必要な公的書類は年間2千通に及ぶ健康保険関連をはじめ外為法、労災保険、税務関係、市町村との契約請求書など多岐にわたる。

コロナ危機の今、本来ならテレワークをしやすいはずの経理部門や法務部門でも一定の人員が出社を続ける企業が多いが、理由の一つがこうした行政手続きへの対応だ。

電子的に本人確認や意思確認をする手立ては増えており、今や印鑑に頼る必然性は少ないにもかかわらず、だ。法令によって手続きの細目まで縛ることの危うさや時代錯誤感は、ハンコ問題一つとっても自明である。

 

 

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