生き抜こう、人類にはまだ希望がある 辻仁成さん寄稿

 

 

 外出制限下の生活が4週間続いたフランスだが、4月13日、マクロン大統領は5月11日までさらに4週間の延長を国民に向けて宣告した。延長は想定内だったが、30分に及ぶ演説の後半、大統領がはじめて言及した「ロックダウンの解除」はフランス国民を少なからず驚かせた。そこには、うっすらとだが光りが差していたし、新しい課題と問題も山積であった。

 解除と言っても、5月11日から元通りの日常がいきなり人々に返還されるわけではない。もし本当に解除となれば、地域別(感染の状況別)、年代別(高齢者は一番最後)で計画的、段階的なものになるはずだ。学校の再開(託児所から高等学校まで)がその先陣を切ることになりそうで、その場合、どうやって子供たちの感染を守りながら授業をするかなど、このひと月間で解決しなければならない問題も少なくない。

 ともかく、マクロン大統領は「終息の最初のシナリオ」を自国民に提示した。しかし、それは本当に可能だろうか? ぬか喜びに終わらないか、という心配が頭を過ぎる。解除が行われても、ウイルスが消え去るわけではない。そもそもあとわずかひと月で、解除できるような状況まで持っていけるという保証もない。懐疑的な意見を持つ専門家も多い。もっとも大統領は「それは国民の努力次第」と付け加える。ここからの1カ月、解除に向かうことで国民に希望のスケジュールを手渡し、同時にさらに強い試練を要求する。まず命を守るためにロックダウンを強行し、経済を復活させるために解除をちらつかせた。5月11日から、うまくいけば、フランス国民は日常生活と経済活動を取り戻すための長いリハビリ期に入る。

 去年は黄色いベスト運動(ジレジョーヌ)が全土で吹き荒れ、その疲れが癒やされる間もなく年末から年始にかけて公共交通機関の歴史的ストライキ(1995年以来の)が行われ、国民はひと月以上徒歩で仕事場や学校へ移動する羽目となった。そこへ来ての新型コロナウイルスである。3月14日に全学校が休校となり、15日の0時からレストラン、カフェ、ブティックなど生活必需品以外を扱う全ての店舗が閉鎖、大統領が国民にむけテレビで演説を行った翌17日からロックダウンがはじまった。

 それからひと月が過ぎた今、生活への疲れや気の緩みがあちこちで社会的結束を揺るがし、封鎖政策は大きな山場に差し掛かろうとしている。家庭内暴力が増え、精神のバランスを崩す人も出てきた。それでも市民は高い危機意識を持ち、フランス人の好きな「連帯」精神で、様々な不便を乗り越えてきた。とくにこの戦争の最前線たる病院で働く人たちへの敬意と謝意が国民を結束させている。パリでは毎晩20時に人々が窓辺に立ち医療従事者へ向けて手を叩(たた)く。マスクや人工呼吸器の不足、予算不足を訴える医療従事者のマクロン政権への不満は大きいが、国民は今のところ大統領のリーダーシップを見守っている。

 

絶望を味わわされてきた

 一時は、ジレジョーヌ運動などによって国論が二分したフランス。しかしマクロン大統領のスピーチ力も手伝い、不満はありつつも現状結束するしかないという国民の危機感にも助けられ、政権の求心力は回復しつつある。ロックダウンが始まった直後には、部分的失業制度を利用した雇用者の手取り額84%(最低賃金で働く者には100%)を国が補償、1500ユーロの定額支援、法人税の納税延期、62.5億ユーロの企業支援、3千億ユーロにのぼる融資の保証、中小企業の家賃、電気ガス代の支払い延期などを政府は矢継ぎ早に決めた。さらに政権の若さと行動力に、国民はある種の期待を寄せるようにもなった。

 今回の解除への言及と4週間のさらなる延長はまさに飴(あめ)と鞭(むち)の政策だが、日本人シングルファーザーのぼくにさえ微(かす)かな光りが届きつつある。フランス人の実に97%が、コロナ政策に従っているというアンケート結果も出ている。ふだんデモばかりやっている印象のフランス人からすると、驚くべき連帯の数字と言える。その一方で、大量備蓄マスクの紛失やロックダウン当初にマスク不要論を唱えた政権への厳しい批判も後を絶たず、そこはフランス人、協力はしても政権への意見や批判もしっかりやる。

 しかし、ゴールがあると無いでは意味がまるで違う。今日まで、ぼくは何度か絶望を味わわされてきた。わずかひと月前、ぼくは行きつけのカフェで仲間たちとビールを飲みながらくだらない日常会話を楽しんでいた。ところが、その日々は不意に消えた。外出しようと思えば出来るし、いつもの街並みがそこにある。春の麗(うら)らかな光りが降り注ぎ、爽やかな風が吹き抜けているというのに、あったはずの日常だけが消え去っていた。顔を出したくても、馴染(なじ)みのカフェも、週に3度は顔を出すレストランも全てが閉鎖され、そこにいた人懐っこいギャルソンも仲間たちの姿も消えた。一度恐怖を覚えた人たちが元通りの気持ちで、いつものカフェに集まれるものか、わからない。長いリハビリの時間が必要になる。

 

このウイルスは愛を奪う悪魔

 実は、新型コロナウイルスの脅威は感染力の強さや致死率の高さだけではない。このウイルスには人間を分断させる恐ろしい副作用がある。人と人を引き離す、人と人の関係を断ち切るもう一つの破壊力も忘れてはならない。このウイルスの登場で、人々は社会的距離を強いられ、握手もハグも出来なくなった。全人類の半数にあたる人々が封鎖措置の中に置かれ、移動の制限や人との接触を禁じられている。

 致死率の高さも恐ろしいがそれよりもっと怖いのが、これまでの価値観や人間の結びつきを引き裂くこのウイルスの真の毒性だ。そのせいで日常は奪われ、人々は春だというのに友人や家族に会いに行けず、遊びに行くこと、集会に参加すること、いつものように働くことさえ出来なくなった。コンサート会場やサッカースタジアムで歓声を張り上げることや、集まって誕生日を祝うこと、葬儀に参列しお別れの言葉を手向けることさえ出来なくなった。ありとあらゆる人間的な営み、社会関係、精神活動、日常の行動が制限されてしまったのだ。

 人類は大昔に石の道具を発明し人と人が結びついて集落を作った。時間の概念や貨幣という価値尺度を生み出し、利益を求めて人が集まり都市や国家が誕生し、まさに人間が結びついてこのような世界が出来上がった。経済は人間と人間を絆(つな)ぐことで回り、人々が行き交うことで拡大した。

 ところが新型コロナの出現はぼくたち人類の価値観を根本から変えてしまうことになる。世界中のあらゆる場所で人間が人間に近づけなくなり、ビジネスが滞るようになった。人と人の接触ができなくなって、その結果、経済が動かなくなり、失速しはじめた。覇権を争う米中はお互いを非難し、イデオロギー、宗教、文化の場で人々がいがみ合い、他者を排斥し、感染者が差別され、世界中が鎖国のような状態になって、不安と憎しみが助長され、ぼくらは誰もが距離をとるようになり、その結果、笑顔が遠ざかった。

 全世界が力を結集させ、なんらかの新しい方法で、再び手を取り合って世界を創造していかなければならないというのに、新型コロナウイルスは想像以上に厄介で、ぼくらはどんどん引き裂かれていく。その上、封じ込めるための治療薬もワクチンさえも無い。人が離れていけばいくほど、人間は孤独になる。つまり、このウイルスは人類から人間の本質である愛を奪う悪魔と言い換えることもできる。

 

宇宙船は火星に向かっている

 しかし、幸いなことに我が家に関して言えば、崩壊ではなく、その逆の効果が生まれつつある。息子はフランスで生まれ、フランスの教育を受けてきた。ぼくがシングルファーザーになった時、日本に戻るべきかどうかで逡巡(しゅんじゅん)した。息子は躊躇(ためら)うこともなく、「パパ、ぼくにとってフランスは生まれ故郷だし、幼馴染みたちはみんなパリにいる、ここに残りたい」と言った。その一言が決め手となり、ぼくらはパリに残った。「セ・ラ・ヴィ(それが人生だ)」とフランス人は言う。そして、これがぼくと息子の人生でもある。

 ロックダウン直後、ぼくが一番心配をしたのは子供が希望を放棄することであった。しかし、それは杞憂(きゆう)に終わりそうだ。外出制限下のパリでぼくと息子は毎日一緒に料理をし、健康維持のためジョギングを欠かさない。今の子供たちはもともとネット文明の中で生まれ育っている。ぼくの息子は、「ぼくらの時代の原っぱはネットの中にある」と言い切る。そのような世代の子たちは学校が閉鎖されてもリモート教育下でスケジュールをこなし、サーバーの中で仲間たちと交友を深める。

 ぼくは息子にこう言った。「この宇宙船は大きなミッションを持って火星に向かっているのだ」と。人類が火星に向かうというのは価値観の変更を意味する。息子は小さく頷(うなず)いた。アパルトマンは宇宙船であった。そして、毎日のジョギングを「宇宙遊泳」と呼び、買い物を「船外活動」とした。

 家の中に次世代を見据えた新しい社会環境を築き始めた。説明が難しいが、子供はこうでなければならない、大人はこうだ、社会とはこうである、という既成概念を一度捨てる試み。今後、どのような価値観が定着するかわからないので、子供には柔軟な思考と可能性の余白を与えたい。

 ひと月が過ぎ、宇宙船の中で様々な共同作業がはじめられた。日替わりシェフ制度が導入され、今日、息子はカンボジア料理のロクラクを作った。食器を洗うこと、掃除をすることなどの秩序が整ってきた。日常を奪われたぼくらがロックダウン下で一番守らなければならないことは「生活を失わない」ことだ。百年に一度のパンデミックと人類は遭遇してしまった。自分たちが生き残るためにぼくらは支え合い、強い連帯感を持ち、生き抜こうと約束しあった。父子間の結束はこれまでになく強い。これを希望と呼んでもいいのじゃないか、とぼくは思う。そうだ、人類にはまだ希望がある。

 

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 〈つじひとなり〉1959年生まれ。「海峡の光」で芥川賞受賞。「白仏」でフランス・フェミナ賞外国小説賞受賞。現在はパリ在住。

 

 

 

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