グローバルオピニオン

 

知識基盤の組み替え必要  ハワード・ユー氏

 

スイスIMD教授

 

Howard Yu 香港出身。米ハーバード大経営大学院において、イノベーション研究の第一人者で1月に死去したクリステンセン教授に師事。リクルートなど日本企業にも関心。

 

経済学者のシュンペーターの唱えた「創造的破壊」は、資本主義が前進するために不可欠のプロセスだが、自分の会社が「破壊」されずに生き残るにはどうすればいいか。競争は激しく、勝ち続けることは難しいが、中には100年以上にわたって繁栄を続ける企業もある。こうした企業の足取りを調べると、私が近著で「リープ(跳躍)」と名付けた知識基盤の組み替えが節目節目で起きていることが分かる。

 

例えば19世紀後半に出発し、今も成功を続ける欧州の製薬産業を見てみよう。彼らの原点は染料の開発製造で、知識基盤は有機化学だった。染料の中間体を経由して生成された解熱鎮痛剤の「アンチピリン」が大ヒットしたのは1880年代のことだ。インフルエンザに効き目があり、全世界で飛ぶように売れ、製薬産業の基盤が固まった。

だが、いつまでも有機化学にしがみついていたのでは、陳腐化し没落していただろう。そうならなかったのは、20世紀の半ばに起きた微生物革命のおかげだ。大手製薬は微生物が抗菌作用など様々な効能を持つことを突き止め、医薬品として実用化した。

今起こっているのは3番目の変革、つまりDNA組み換え技術を基盤とした創薬プロセスの登場だ。ノバルティスをはじめとするスイスの製薬企業は、新しい知識基盤に積極的に投資し、産業集積地であるバーゼルの「ラストベルト」化を回避したのだ。

私たちのいる世界は一度競争優位を築くと、永続するユートピアではない。企業秘密や独自のノウハウはいずれ後発企業に移るし、それに要する時間は短くなるばかりだ。紡錘技術を新興国が習得するのに100年かかったが、携帯電話は13年でキャッチアップされた。先行企業は一つの知識分野から新たな分野にシフトし、その分野の発展についていけるときに限って、先行者利益を享受できる。

口で言うほど簡単なことではない。組織には慣性があり、昔ながらの、なじみのあるやり方につい戻ってしまう。近年私たちが目撃したのは電気自動車(EV)をめぐる独BMWの失敗だ。同社は早くも2013年にEV「i3」を発売し、同分野でリーダーになる可能性もあったが、その後、伝統車にリソースを集中したことで、失速した。EV関連の技術者やデザイナーのエクソダス(大脱出)が起こり、何人かは米テスラの門をたたいた。

BMWの経営陣がEVに背を向けた理由は、EVのコストがまだ高く、ビジネスとしての収益性が低かったからだろう。だがEVに集中し、赤字続きだったテスラを株式市場が高く評価した例が示すように、「低収益」であっても「高い市場価値」を実現することは可能だ。BMWが理解しなかったのは残念なことだ。

私がお薦めしたいのは「セルフ・カニバリゼーション」の発想だ。スティーブ・ジョブズ時代の米アップルは「iPodミニ」が全盛だったころに「iPodナノ」を発売し、ミニの売り上げを崩壊させた。そして「iPhone」の発売で今度は音楽専用のiPodの存在意義がなくなった。米プロクター・アンド・ギャンブルの経営者は「誰かにディスラプト(破壊)されるなら、自分で自分をディスラプトする」とかつて述べたことがある。

「知のリープ」は最初は中間管理職や技術者、財務スタッフの日々の意思決定が積み重なり、徐々に姿を現す。経営学で「創発的戦略」と呼ぶ過程である。だが、効果がだんだんと蓄積し、あるときトップの主導で組織を挙げて新しい方向にかじを切る「意図的戦略」が実行される。ボトムアップとトップダウンは、ともに重要だ。

(談)

 

 

「創発」の感度を

ユー教授が最後に触れた「創発的戦略」について補足したい。経営学の世界で、この戦略の代表例が米国におけるホンダの「スーパーカブ」の成功だ。ホンダはもともと大型バイクを売ろうと米国に進出したが、ブランド力もなくさっぱり売れなかった。

現地に赴任した日本人駐在員も鬱々とした日が続いたが、ある時、気分転換に日本から持ち込んだ「カブ」で山に上った。それを見た隣人が自分もほしいと言い出し、評判が評判を呼び、駐在員もさらには東京の本社も、米国ではとても通用しないと思われた小型の二輪車に思わぬ市場が広がっていることを悟ったのだ。

つまりトップダウンや計画ではなく、日々の営みの中で見えてくる新たな方向性が、創発的戦略である。いわばちょっとした「気づき」のようなものだが、積み重なると、時に大きな方向転換をもたらす。自らの事業基盤、知識基盤がいつディスラプトされるか油断ならない時代だ。各企業の各現場は「創発」の感度を磨く必要がある。

 

 

 

 

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