コロナ危機で露呈、無極化した世界
ジャナン・ガネシュ FT commentators
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)を巡る地政学的な勝者がどこの国かを決めるのは悪趣味というものだろう。救いは、勝者に値する国など存在しない点だ。
世界の秩序が安定したのは第2次大戦の終わりが近い1944年、米ブレトンウッズのホテルで連合国が新体制に合意してからだ=ロイター
最近、何か行動を起こしたり、何かを成し遂げて尊敬を勝ち得たりした大国は見当たらない。米国からは今回の危機に対し、「ブレトンウッズ体制」や「砂漠の嵐作戦(編集注、1991年の湾岸戦争で集中的な空爆により短期間で停戦に持ち込んだ、米国が策定した多国籍軍の作戦)」のような提案はない。かくして同盟国に一致団結して対応を促す兆しもない。たとえトランプ米大統領にそうしたいという思いがあったとしても、彼にその手腕はない。
11月の大統領選挙後、米国は新たな大統領の下で覇権国としての指導力を取り戻すだろうと期待するのは間違いだ。もはや米国の問題は、トランプ氏という1人の人物にとどまらず、深く分断しているためだ。
■外交力をもはや失った米国と信頼失った中国
米国には共和党と民主党がいがみ合う余裕はある。だが今のように、共和党と民主党の事実の捉え方がそれぞれに異なり、まるで違う事実が2つ存在するかのような状況を許容するほどの余裕はない。新型コロナ感染拡大に対し甘い認識をしていた共和党と深刻に捉えていた民主党のこの深刻な差は、もはや米国内だけの問題ではない。こうした違いは、米政府が他国を率いる力をも弱体化させることになるからだ。外交経験が豊富な民主党のバイデン候補が大統領になったとしても(同氏は支持率でトランプ氏を上回る)、同じ問題に直面するだろう。国内が分断していると、外交で力を発揮することはできない。
しかし、新型コロナ感染拡大で中国が世界の尊敬を集めたかといえば、そうでもない。中国政府は今回、誠実な対応を見せなかったことで信頼を失った。むしろ新型コロナを拡散させた原因はそもそも中国にある、という国際社会からの批判は始まったばかりだ。
欧州諸国によるパンデミックへの対応は、今のところ英国のように優柔不断な国からハンガリーのように独裁色を強める国まで様々だ。2008年の金融危機発生の際は、ブラウン英首相(当時)が主要20カ国・地域に対しG20サミットの開催を呼びかけたが、今の欧州には中堅国であっても知性と行動力を発揮できる指導者が存在しない。欧州連合(EU)では、新型コロナ対策の資金調達のためにユーロ債を発行すべきか、その是非を巡って、「密接な統合を目指す連合」とは債務も加盟各国で共有すべきなのかという答えの出ない問いに逆戻りしている。
■"第2の冷戦"という発想は捨て去るべき
こう見ると、今回の感染拡大には一ついい点がある。21世紀初頭の国際情勢の真の姿を浮き彫りにした点だ。
今の世界がもはや米国の一極集中でないのは明らかだ。だが我々は、最近声高に語られるような二極化した世界に生きているわけでもない。既存の大国(米国)が、あまりに機能不全に陥って指導力を発揮できずにいるとはいえ、その競合(中国)は相手に完全に取って代わるだけの実力も信頼も欠いている。また、第3の大国も存在しなければ、諸国連合も存在しない。
従って、我々は無極化した(覇権国が存在しない)世界にいるということだ。この状況はしばらく続く可能性がある。世界の共有財産を単独で守れる強大な力を持つ国は存在しないものの、少なくとも米中は国際機関の指示に従わせることができないほどの力を持つ。こうした結果として生じる指導力の欠如は平時にはあまり意識しないが、危機が到来すると顕在化する。
8年前、リスク管理コンサルタントのイアン・ブレマー氏は著書『「Gゼロ」後の世界』で、この状況を予測した。Gゼロの世界では「1つの国、あるいは1つのブロックが解決策を強いる力を持つことはない」と指摘した。世界中のノンフィクションの書棚には国際問題に関する戯言を並べた本があふれているが、同氏の予見を否定することは難しくなりつつある。
今回の危機の結果として、米中対立が"第2の冷戦"につながるという陰謀論的な生煮えの議論が消え去るのを期待したい。冷戦という表現は、世界に何らかの構造が存在するかのような印象を与えるが、今は何の構造も秩序も存在していない。確かに米中は対立してきたが、新型コロナ危機以降、前にも増して関係は悪化している。
だが、冷戦というのは2つの大国が角突き合わせているだけでなく、残りの世界の多くはいずれかの陣営に取り込まれているというのが特徴だ。それがほぼ半世紀の間、世界秩序を形作っていた。
■恐れるべきは予測不能な無秩序の時代
こうした世界的な大分裂の時代が再び訪れるかもしれない。しかし今のところ、世界はそれ以上に細分化されている。米国が西側諸国の感染拡大対策の陣頭指揮を執っているわけではないし、中国が自国に近い国々に感染対策を指示しているわけでもない。むしろ我々が目にしているのは、各国がそれぞれに考えた方策だ。その中には地域的な協調さえほぼない。
まさにこの点が問題なのだ。たとえ能力のない大国に導かれた欠陥のある国際的秩序でも、何の秩序もないよりはましかもしれない。19世紀ロシアの急進的思想家アレクサンドル・ゲルツェンは、時代の狭間の小康状態を「身ごもっている未亡人」にたとえた。つまり、1つの統治体制が消え去り、後継の体制がまだ誕生していない状態だ。
この暫定的な状態は、支配的な権力が存在しないがゆえに不安に満ちている。そこで思い浮かぶのが、恐ろしい第2次大戦を招くことになった1930年代だ。パックス・ブリタニカ(大英帝国支配下での平和な時代)の終焉(しゅうえん)に近づく一方で、米国もソ連もまだ英国の地位を奪うほどの存在ではなかった時代だ。
その後に到来した冷戦時代は苦難に満ちたものだったが、それでも当時の世界は無秩序な30年代に比べ、ある程度予測可能だった。我々が今、再び冷戦の時代にいると考えるのは誤りだ。今回の感染危機は、冷戦に近いというよりも30年代に近いとみた方がいい。
何もない空白を恐れる恐怖は、古くからある美術の原理の一つだ。それは絵画に白い部分を残す発想を否定する。しかし、歴史はそんな選択も許さない。歴史はときに空白を出現させる。今回その空白を埋めるのが、以前のような全くの無秩序なのか、それを見極めていくのが我々の責務だろう。