倫理問う新型コロナ対策

 

途上国・弱者救済へ連帯を


マーティン・ウルフ  FT commentators 

 

コロナウイルスはただひたすら自己増殖しようとする。我々はその増殖を食い止めようとする。ウイルスと異なり、人間は選択をする。このパンデミック(世界的流行)はいずれ終わり、過去のものとなるだろう。だが、どのような過程を経て終わるかで世界のあり方は変わってくる。このようなパンデミックの発生は100年ぶりだ。そして今回は、スペイン風邪が各地を襲った1918年とは異なり、平和で、空前の富を享受している世界に発生した。我々はうまく対処できるはずだ。うまく対処しなければ、悪い方向へ向かう転換点となる。

 

イラスト James Ferguson/Financial Times

正しい決断を下すためには、選択肢とその倫理的な意味合いを理解する必要がある。我々は今、国内と国外において、いかにしてウイルスの感染拡大を止めるか、そのために経済停滞をどこまで許すかという決断を迫られている。

高所得国が迫られている最も重要な決断はウイルス感染の食い止めにどれだけ力を入れるかだ。そして、決断した場合のコストを誰がどのようにして背負うかも決める必要がある。

一部には、ウイルス感染を食い止めるために経済を恐慌に陥らせるのは間違いだと主張し続けている人もいる。彼らいわく、これは不要な混乱をもたらす。極端な移動制限などでウイルスを食い止めるのではなく、ウイルスを比較的自由に拡散させれば、「集団免疫」を達成でき、経済活動を維持しながら、なお資源を弱者に集中させられるとしている。

 

抑制策のほうが医療体制がうまく対応

だが、この比較的レッセフェール(自由放任主義)な「緩和」策をとったとしても、都市封鎖など断固とした「抑制」策をとった場合より経済がうまく回るかどうかは定かでない。各国政府が都市封鎖に踏み切るかなり前から、多くの人は旅行をやめたり、レストランや映画館、店に行くのをやめたりしていた。ウイルス感染を抑制し、新規感染者の検査と追跡でフォローアップする断固たる対策は、緩いやり方よりも、今後避けられない不況を早く終わらせられる可能性がある。

 

世界経済は不況に突入している

かなり確実だと思えるのは、抑制策をとった方が、世界の医療体制がはるかにうまく対応できることだ。英インペリアル・カレッジ・ロンドンの「COVID-19(新型コロナウイルス感染症)対策チーム」は、緩和策を起用した場合、病院にコロナ患者が殺到するため、英国と米国の医療体制では高齢者を中心とする感染者が治療を受けられないまま死んでいくと主張している。中国政府が新型コロナの発生地である湖北省であれほど抑制策を徹底したのは、恐らく中国全土でこれが起きるのを防ぐためだったのだろう。中国でさえ許容できないほどの悲惨な健康被害を、英国や米国が許容できるだろうか。

しかし、批判的な意見も正しい。経済の大部分を長期にわたって止め続けることは不可能だ。もし抑制策を試すのであれば、早急に成功を収めなければならず、ウイルスの復活を阻止しなければいけない。中央銀行と政府は、できる限り多くの経済部門の活動を維持し、生産能力もできうる限り確保することを目指さなければいけない。そして、国はどのような形であれ、現実的な手法で一般市民、特に弱者を手厚く保護しなければならない。

 

新興国からは恐ろしい勢いで資本が流出している

国家間の連帯を、各国内の連帯と同じくらい強くする必要がある。金融不安と迫りくる景気後退(恐らくは恐慌)は、新興国と発展途上国に甚大な被害を及ぼす。国際通貨基金(IMF)は、投資家がすでに新興国から830億ドル(約9兆円)の資金を引き揚げたと述べている。多くの新興国、途上国が依存しているコモディティー(商品)の価格急落も激しい。

 

回復のためには連帯欠かせず

これらの国は、国内でのウイルス感染拡大と内需減退と同時に戦わなければならないが、こうした国が国内外から生じる圧力に対処できる能力は限られている。その結果、とてつもなく大きな経済的、社会的惨事が生じるかもしれない。IMF自体がすでに、80件もの緊急金融支援要請を受けている。新興国と途上国の対外資金不足の総額は恐らく、IMFの融資能力を大きく上回るだろう。

 

投資家による新興国の株と負債の売却推移

高所得国がウイルスの抑制と自国経済の救済に成功すれば、こうした脆弱な国は恩恵を受けるだろう。だが、短期的には、その恩恵を享受できない。新興国、途上国は多くの支援を必要とし、こうした支援はすべての国の景気回復も後押しする。ウイルスは万国共通の課題だ。迫りくる世界不況も同様だ。現実的な対処を重視し、連帯が必須であることがわかれば、手厚い支援は正当化できる。

ユーロ圏内でも同じことが言える。通貨同盟の決定的な特徴は、個々の加盟国が財政の自主性という保険と自国通貨を放棄し、集団的な体制を選んだことだ。世界金融危機の際は、この体制が多くの加盟国の期待を裏切った。ただ、ユーロ危機の場合、倫理的な観点から議論すれば、大部分において自業自得だったと主張することもできた。一方、このパンデミックは誰の責任でもない。もしユーロ圏がこのような危機で連帯感を示せなければ、その失敗は忘れ去られることも許されることもないだろう。傷は深く、下手をすれば致命的になる。誰の責任でもない危機において目に見える連帯がなければ、欧州統合プロジェクトは道義的に死に、実際ついえるかもしれない。

 

商品価格と新興国の株が急落

 

選択肢をうまく選ぼう

さらに、国境を越えた支援について言えば、金銭面の支援のみならず、医療面での支援も必要だ。極めて重要なのは、医療物資のサプライチェーン(供給網)を寸断している輸出規制を打ち切ることだ。

幸い、我々が今対峙している感染症は、先祖の暮らしを繰り返し破壊したペストほどひどくない。それでも、今生きている人が誰も経験したことがないものだ。これは、確かな情報に基づく判断で対応しなければならない実際的な課題だ。だが、倫理的な課題でもある。我々は、今後下さなければならない決断の両方の側面を認識すべきだ。

 

新型コロナは新興国通貨を直撃

指導者は、落ち着きをかもし出し、理性を駆使するか。我々は経済的な打撃を最小限に抑えながら、病気に打ち勝つか。最も弱い人や国が守られるようにするか。敵意よりも連帯を、内向きなナショナリズムよりも世界的な責任を選ぶか。そしてパンデミック後に、以前より悪い世界ではなく、良い世界を後世に残そうとするか――。

ウイルスとは異なり、人間には選択肢がある。ここはうまく選ぼう。

 

 

 

 

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