核心

 

中庸の世論どう作る 

 

ネット政治の課題克服を


論説フェロー 芹川 洋一

 

 

自民党は「#自民党2019プロジェクト」で画家の天野喜孝氏の作品を採用

 

ネットと社会のかかわりをめぐって1冊の本が議論を呼んでいる。田中辰雄・浜屋敏著「ネットは社会を分断しない」がそれ。インターネットが社会の分極化をもたらしているという見方に待ったをかけているからだ。

田中氏らは2017年から18年にかけて10万人にアンケート調査を実施。その結果「ネットの利用で人々が極端な意見に走り、社会が分断されているという事実はない。むしろ大半の人びとはネットの利用でどちらかといえば穏健化している」という結論に至った。

「分極化しているのはネットを使う若年層ではなく、ネットを使わない中高年」という傾向も明らかになった。

慶応大経済学部教授の田中氏は「20年間、慶応で教えているが、学生は穏健化している。私の実感にもあっている」と語る。

これに疑問を投げかけているのが大阪大の辻大介・准教授(社会学)だ。「高齢者が若者より分極化しているのはネットのない時代からだ。年齢を重ねるにしたがって保守かリベラルか明確になってくる。調査と分析の方法に問題がある」と指摘する。

辻准教授が19年に実施した調査でもネット利用によって安倍政権への支持、首相への好悪ではっきりした分極化がみられた。

新聞購読・テレビ視聴・ネット利用(パソコンとスマートフォン・携帯電話で区別)で調べた結果、パソコンの利用時間が長いほど政権支持の人はより強い支持に、不支持の人はより強い不支持になっている。首相の好き嫌いも同じで、傾向がもっと強まることが明らかになった。

ネットといえば「サイバーカスケード」「フィルターバブル」「エコーチェンバー」といった言葉で語られる世界がある。

小さな流れが階段状の滝(カスケード)をくだっていくうち大きな流れになるように似たものどうしが議論すれば極端な意見になっていく。

フィルター(ろ過器)で情報が遮断されて、バブル(泡)に包まれたように自分の見たい情報しか見えなくなる。

エコーチェンバー(反響室)に入ると自分の声がはね返って大きく聞こえるように、自らの意見を補強する意見ばかりで確信が高まっていく。

硬い言葉を使えば「選択的接触」から「集団的分極化」がネット空間の特徴とされる。田中教授らの調査はそうした見方に一石を投じる。

 

 

かりにネット利用で穏健化しているとしても、ネット世論が極論に振れているのは事実だ。田中教授も「ネットには極端な議論だけを拡大して見せる特性がある。ネットで見える世論を真の世論と見てはならない。真ん中のサイレントマジョリティーの声を代表していない」と語る。

政治的には、分極化されていないサイレントマジョリティーの中間的な層をどう引き寄せていくかが焦点だ。

そのときに影響を及ぼすのは何なのか。主義主張にもとづく政治的な言説なのか、それとも印象や雰囲気などのイメージなのか。

東京工業大の西田亮介准教授(社会学)は理性よりも感性を重視する「イメージ政治」が現在の流れだとみる。

「新聞は部数が減っている。論壇誌はほとんど読まれない。テレビとネットが情報源になっているが、ネットニュースは個人によって違うものが流れる。見ている世界がバラバラだ」と共通の情報をもとに判断していく社会的な基盤が崩れていることをひとつの理由にあげる。

19年の参院選で自民党が展開した選挙戦略はまさにそこをねらったものだった。当時の甘利明・選挙対策委員長は次のように語っていた。

「1分間の動画と静止画をつくった。動画には自民党という言葉が一言も出てこない。最後に安倍首相が『未来をつくりたい』と言うだけ。エンタメと同じ距離感で政治に親しんでもらおうというメッセージだ」(19年5月19日BSテレ東「NIKKEI日曜サロン」)

 

産党はTikTokのアカウントを開設

自民党と並びネット戦略で先進的な共産党も音楽にあわせて動画を投稿するTikTok(ティックトック)にアカウントを開設、志位和夫委員長のショパン演奏や党職員のダンスが話題を呼んだ。党派性をおさえた選挙戦略を採用したのはそうしたネットの特性を踏まえたものだった。

こうした傾向はもはや止められないとしても、中庸的な言論をどう作っていくのかがネット社会の差し迫った課題であるのは間違いない。

ではどうしたらいいのか。2人の准教授に聞いた。

▼辻氏「新聞もテレビもネットに寄って、あおる報道が増えてきている印象がある。危ういと思う。マジョリティーは落ちついたものを求めている。マスメディアは基本の情報を提供するベースメディアとして両極の議論を橋渡しする役割を果たし、下げ止まりを図っていくべきだ」

▼西田氏「マスメディアは全体の流れや構図を示すことが大事だ。イメージだけで動くと分極化するおそれがある。態度変容にはデータとファクトがいる。べき論の規範のジャーナリズムから、情報の整理分析をする機能のジャーナリズムに変わっていく必要がある」

ネットが主流になりつつある中での政治のありようだけでなく、マスメディア、とくに新聞がそうした言論の場になっていけるのかどうか、今まさに岐路に立っている。

 

 

 

 

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