2050年からの警鐘 楽観論許さぬ日本の未来


上級論説委員 藤井 彰夫


今から四半世紀近く前の1997年元旦から、本紙朝刊で連載企画「2020年からの警鐘」が始まった。

1回目の見出しは「日本が消える」だった。1年にわたる連載で、急速に進む少子高齢化、皆が同じように働き豊かになる「同族国家」の揺らぎなどの問題を指摘し、大きな反響を呼んだ。

少子化で無縁仏が増えるお墓の写真を掲載した記事には、当時の与党幹部などから「正月から暗すぎる」などと反発の声もあがった。


1997年元旦から本紙朝刊で連載した「2020年からの警鐘」

企画取材班に参加していた筆者にとって当時は遠い将来に感じられた「2020年」がついにやってきた。

未来予測のなかでも人口動態は確度が高い。97年当時から識者は少子高齢化の問題を指摘していたが、結局、抜本的な対策はとられず、昨年の国内出生数はついに90万人を割り込んだ。

97年の金融危機以降、企業は人件費抑制に動き非正規雇用が急増したが、高度成長期に確立した雇用制度の中核は多くの大企業で残った。

「新卒一括採用、終身雇用、年功序列型賃金が特徴の日本型雇用は効果を発揮した時期もあったが、矛盾も抱え始めた。今のままでは日本の経済や社会システムがうまく回転しない」

これは経団連の中西宏明会長の今年の年頭インタビューでの発言だ。問題は20年以上も放置されてきたのだ。

問題の本質は、識者の多くが将来の危機を認識しながら、結局、改革が進まなかったことだ。少子高齢化も日本型雇用の行き詰まりも決して「想定外」の危機ではない。

政治家は次の選挙を、企業経営者は次の決算を、個人は明日の生活を。皆が目先の対応に追われてきた結果が今の「2020年」だ。

失われた時間は戻ってこないので、先を見よう。

25年には団塊世代が皆75歳以上の後期高齢者になり、団塊ジュニア世代も50年前後には75歳を超す。50年代初頭には総人口が1億人を切るなかで、75歳以上の高齢者が4人に1人という社会になる。

そんななかで確実に増えるのが年金、医療、介護など社会保障給付だ。政府推計では40年度に約190兆円と18年度比で約1.6倍に膨らむ。

「そんなことはわかっている」という読者の方も多いだろう。だが、そうした将来への備えはあるのだろうか。厳しい改革がなくても、健康寿命を延ばし高齢者も長く働き保険料を納める支え手にまわればよいという意見もある。

三菱総合研究所が19年10月に発表した「未来社会構想2050」での試算は、そうした楽観論を退ける。技術革新などで健康寿命が今より7年延びると50年の医療・介護給付は現状維持の場合より3割弱増える。新医療技術の高額化などが主因だ。

同研究所チーフエコノミストの武田洋子氏は「健康寿命が延びれば人生の豊かさはもたらすが、それだけで社会保障の持続性は高まらない」と指摘する。給付抑制や増税など痛みを伴う改革は避けられないということだ。先送りしていけば、30年後には再び「わかっていたのになぜやらなかったのか」と後悔することにならないだろうか。

50年には日本の外の状況も大きく変わる。

中国は建国100年にあたる49年までに経済、軍事、文化のあらゆる分野で米国と並ぶ「強国」を築く目標を掲げる。日本経済研究センターの長期経済予測では、50年には国内総生産(GDP)で中国が米国を抜き世界第1位になっており、日本はインドにも抜かれ4番目。米中の6分の1以下になる。人口減と生産性の伸び鈍化で中国の世界一は長続きせず60年までには再び米国が中国を抜き返す。米中の覇権争いは今後30年以上続く可能性もあるのだ。

欧州連合(EU)は50年に温暖化ガス排出実質ゼロの目標を掲げる。自動車・エネルギー産業も大変革をとげるだろう。米発明家が人工知能(AI)が人間を超えるシンギュラリティー(技術的特異点)を予測するのが45年だ。

世界が激変するなかでこのまま立ち止まっていては未来はない。「2050年からの警鐘」はすでに鳴っている。

 

 

 

 

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