エッセー
社会人とは何か?
作家 山崎ナオコーラ
「社会人」という不思議な日本語がある。「収入を得られる職業に就いている人」を指しての使用が多いように思う。主婦や主夫、年金生活者が含まれない文脈で使われているのをよく見かける。さらに、正社員のみを指すような文章を見かけることもある。フリーター、派遣社員、芸術家、休業者などは「社会人」という言葉で表現されることが少ない。定収入信仰だ。
けれども『大辞林』で「社会人」を引いてみると、「(1)学校や家庭などの保護から自立して、実社会で生活する人。(2)(スポーツなどで)プロや学生ではなく、企業に籍を置いていること。(3)社会を構成している一人の人間。」とある。(2)のイメージが強くて、企業の雰囲気が漂う言葉になっているのかもしれない。
スポーツに関係のないシーンで使われる「社会人」は(1)と(3)の意味のはずであり、主婦もフリーターも芸術家も真に「社会人」だ。それなのに、会社に通って、礼儀正しく過ごし、自分の収入で生活する、というイメージは根強い。
とはいえ少しずつ変わってきているのかもしれない。たとえば保育園入園申請では、その子が保育を必要としている度合いに点数が付けられる。4年前、子どもの保育園入園申請をした際、「フリーランスへの差別はありません」と地元の役所で言われ、確かに満点になったのだが、実際には満点では入れず、産休育休の加点の有無が当落の境目だった。フリーランスは産休育休の書類を誰かに書いてもらうことはできないし、社印も押してもらえない。育休からの復帰で激戦の1歳児クラスに、私の家にいる子どもは入れず、いわゆる「待機児童」になった。
だが、昨年、2人目の子どもが生まれ、同じ役所で保育園について相談したところ、「今は、ご自分で決められた産休育休期間の申請があれば、それを認める方向になってきています」と言われた。「え? 会社のハンコって、いらないんですか? 自分で書類を書いて、自分のハンコを押していいんですか?」と尋ねると、「はい。出版契約書のコピーなど、その職業の仕事を実際に行(おこ)なっている証明は必要ですが、産休育休についてはご自分で書いてください」とのことだった。
私はこれが妙に嬉(うれ)しかった。働き方の多様性が認められる社会が始まっているのではないか。派遣社員もフリーターも「社会人」だ。私も、きっと堂々と働いていい。明るい光に感じられた。
そして、今は、キャッシュレス化が進み、「お金」という言葉を聞いて、お札や小銭といった目に見える形を想起する人が減ってきている。さらに、数字で表すお金のイメージも揺らいでいる。SNSで何かが呟(つぶや)かれたら回り回ってどこかでお金が動く、と世間で認知されつつある。数字を動かさず、雰囲気を動かすだけでも経済活動になる、という感覚を持つ人が増えている。また、趣味やオタク活動に没頭することへの肯定的な意見がどんどん出てきて、消費で社会を作る考え方も広がっている。
おそらくこれからは、雑談で雰囲気を動かしたり、消費の選択で経済社会を動かしていく主婦や主夫もはっきりと「社会人」と呼ばれるようになる。いや、看護婦やスチュワーデスといった言葉が廃れた今、主婦や主夫といった言葉が残っているのもおかしい。あと5年で主婦と主夫という言葉はなくなる。家庭運営者、家事技術者といった新しい言葉が生まれる。英語でもハウスワイフという言葉は避けられるようになってきたらしい。同じ仕事内容の職業を性別によって呼び分けることはされなくなるだろう。そう、家庭運営者も「社会人」だ。
主婦の年収を計算して社会評価に繋(つな)げようという考え方も世間にあるが、私は反対だ。家庭運営者は、パートナーに雇われているのでも、家族を顧客と見なしているのでもない。社会を良くする高度な職業だ。年収で社会評価を下す時代は終わりだ。もう、金は物差しにならない。
よく「女性の社会進出」「女性が輝く社会」といったフレーズを見かけるが、これもおかしい。どうも、「金に繋がる職業に就くことが社会進出」「収入を得ることで、やっと輝ける」という意味が透けて見える。
私は、「社会派作家」を目指し、経済小説を書きたいのだが、コーヒーを飲むだけの小説でも経済小説になり得ると考えている。育児も介護も趣味もすべて社会活動だ。
やまざき・なおこーら 1978年福岡県生まれ。2004年文芸賞を受賞しデビュー。最新刊は、新しい経済小説「リボンの男」。