新型コロナウイルス、大地震…。想定外の危機に必要な為政者の心構え
「危機管理」が揺らぐ安倍政権。不安の悪循環から脱するため、過去から何を学ぶか
曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)
大新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で発言する安倍晋三首相(中央)=2020年2月26日、首相官邸
新型コロナウイルスの感染拡大への対応をめぐり、安倍晋三政権がこの7年余の長期政権下でかつてないほどの本質的な批判にさらされている。
中国からの入国者の規制から、感染者が大量発生した大型クルーズ船に対する検査・隔離、あるいは感染防止のための暮らしの規制に関する指針づくりに至るまで、実効性のある初動対応を怠ったとの批判である。
官邸主導が極まったことの反作用といえようか、菅義偉官房長官ら内閣官房に懸案処理が集中し、厚生労働省をはじめ現場との結節点に立つ組織の現実対応が後手に回る状況も否めない。
その結果、危機がいつまでどこまで続くのか、国民が先を見通せず、不安を募らせるといった悪循環に陥っている。
一斉に噴出した長期政権の歪み
事実、たとえば日本経済新聞社の世論調査によれば、初動の屋内避難指示が批判を浴びた2016年の熊本震災の直後、政府の対応を「評価する」が53%で「評価しない」が35%だったのに対して、今回の新型肺炎に関しては、「評価する」40%、「評価しない」50%と逆転する。さらに熊本震災の場合は、内閣支持率を押し上げる効果がみられたが、今回はそれも真逆である。
つまり、長期政権を下支えしてきた「危機管理」の確かさ自体が揺らいでいるのだ。
くわえて、これも政権が選択した消費増税の影響もあり、昨年10?12月期のGDP(国内総生産)は予想を超えるマイナスを記録。さらに、国際市場も軒並み株価を下げ、もうひとつの身上だった「アベノミクス」も揺らぐ。「桜を見る会」や検察の定年延長問題をめぐっても、国会で疑惑は晴らされることはなく、ここにきて長期政権の歪(ひず)みが一斉に噴き出した観がある。
新型肺炎の不安除去を求める世論
このままでは、悲願の憲法改正はもちろんのこと、自民党総裁「4選」を含め、首相の政権戦略は根底から覆ることになろう。だいいち、これまで状況をリセットし政権をテコ入れして来た衆院解散・総選挙さえも、自在にその時期を選ぶ能力を失ってしまうに違いない。
もっとも直近の世論調査を見れば、内閣支持率は急落するものの、立憲民主党など野党の政党支持率は一向に上がる様子はない。世論は無党派層の増大という「踊り場」に依然としてとどまる。
どの政党の誰が、この政権に代わって新たな将来への道筋を示し得るか、安倍政権が立ち直る可能性はないのか――。世論は全体状況を冷静に見極めようとしているように見える。政権の打倒や擁護といった極端な政局論は別にして、なにより世論はいま、景気と深く連動し始めた新型肺炎危機への不安を除去する確かな方策を希求しているはずだからだ。
ならば、この局面で為政者に必要な心構えとは何か、それを見定める必要があろう。
阪神大震災を仕切った2人の官房副長官
拡大地震後、燃え上がる神戸市長田区(中央道路上)と須磨区(中央道路下)の住宅街=1995年1月17日、 朝日新聞社ヘリコプターから
そのための教材、そして教訓が、近年の日本にはある。ひとつは1995年の阪神大震災だ。
同年1月17日午前、地震発生から数時間後の首相官邸。社会党の村山富市氏を首相に担いだ自社さ連立政権にあって官邸を取り仕切ったのは、2人の官房副長官だった。事務方のトップである石原信雄氏と、新党さきがけの園田博之衆院議員(故人)だ。2人には一昨年、平成政治史を振り返る企画でインタビューをした(詳細は論座「二人の官房副長官が語る平成政治史」で読める)。想定外の危機に臨んで為政者が何に悩み、いかに判断したかがありありと浮かぶ、生々しい回顧談である。
石原氏は証言する。
「午前10時からの閣議の前に月例経済関係閣僚会議があり、予定してた案件について議論していたんですけど、秘書官か誰かから死者が100人か150人出たという情報が途中で入ってきたので私は席を外して、当時の国土庁防災局長を呼んで聞いたら、たいした情報が入っていない。そのうち警察庁から、大変な状態だと、死者が相当な数がのぼると。なぜ国土庁に情報が入って来なかったかというと、兵庫県の防災用の電話がひっくり返って通じないわけですよ。通常の行政ルートの電話は来ないが、警察ルートは別なんです。警察電話で人的被害がどんどん入る。そこで急きょその日の閣議は震災にどう対応するかの話に変わった。すぐ必要な手段を取ろう、何でもやらなきゃいかんとなった」
「被災地で消防は現地にいるから救助活動がテレビに映るが、自衛隊が全然映らなかった。私の部屋にも電話で随分抗議が来た。村山さん(富市首相)が社会党の左派出身だから自衛隊嫌いで出してないんじゃないかと。そんなことないよとだいぶ言ったんですけど。村山さんはとにかく何をさておいても自衛隊にやってもらわにゃいかんというので、私は防衛庁に電話した。防衛庁で中部方面
総監部から姫路駐屯地の部隊に命じて出動させたが、かなり時間がかかった。神戸まではかなり距離があり、近づくと道路が寸断状態で車両が止まったりしてな
かなか到着できなかった」
一方、園田氏の証言はこうだ。
「朝8時から経済関係の政府与党会議がありましたが、話題は二信組問題。
震災はぜんぜん話題にならなかった。9時から閣議があり、担当大臣の小沢潔さんが『死者は2人』と報告したが、さすがに閣僚の間から『こんなところにいちゃまずいんじゃないのか』という声が上がり、現地に向かうことになった」
「そうしたら昼休みに、竹下登(元首相)さんから私に電話があった。『亡く
なった人が500人を超えた。国の一大事だ。総理記者会見をしないといけない。国を挙げて取り組まないといけない』と言う。すぐ執務室まで行って村山さんに伝え、午後2時から記者会見をすることになりました」
こちらから、「今ならそういう情報は官房長官に集約され、官房長官から総理に伝えると思いますが、そうではなかったのですね」と聞くと、園田氏はこう答えた。
「だから、その後、法律も変えたし、官邸の中に危機対応のチームをつくった。そういうシステムになっていなかったので、自民党官邸だったとしても同じようなものでしょう」
改正された災害対策基本法
政府の災害対策本部の立ち上げも情報収集の方法も自衛隊の災害派遣も、平時に定められた煩瑣な手続きがあり、想定外の危機には限界があった。ただ、ここで想起すべきは、その年の暮れに災害対策基本法が改正された事実である。骨子は以下の通りだ。
○
災害が「著しく異常かつ激甚な場合」は、これまで必要だった「災害緊急事態の布告」がなくても、全閣僚による緊急災害対策本部を設置できる。
○
県知事の持つ自衛隊の出動要請権を事実上、市町村長にも認める。
○
災害現場では、自衛官に警戒区域設定や土地・建物の一時使用などの権限を認める。
○
国会閉会中でも海外からの支援受け入れに必要な政令を制定できる。
いずれも、危機対応を現実に合わせようとする行政と立法府の努力の末の「果実」であった。
忘れられない東日本大震災後の国会議員対談
拡大東日本大震災。津波にさらわれ、土台だけが残った家々=2011年3月19日、仙台・若林区の荒浜地区
もうひとつは、菅直人民主党政権下だった2011年3月11日の東日本大震災である。
震災発生からほぼ1カ月後、筆者は田原総一朗氏が司会をするBS朝日の番組に呼ばれ、被災地である宮城県選出の民主、自民両党の国会議員2人の対論に立ち会った。一人は内閣府副大臣だった平野達男参院議員、もう一人は後に防衛相に就く小野寺五典衆院議員である。
このときの対論は、自分の政治記者体験の中でも忘れることのできない豊かなものだった。語られたのはすべてが現場の体験に基づく具体論であり、政局臭は微塵もなかった。
「これはぜひ今後の反省点にしていただきたい」と断った小野寺氏が、「(震災発生の)翌日、車で入った時にガソリンスタンドが全部しまっていて、オーナーに聞いたら『政府が緊急車両以外に販売するなという指示が出ています』と。給油待ちの車の列ができて緊急車両が通れなかった」と指摘。そして、高速道路も緊急車両以外は通れず、現場は重機の油がない。自家発電に頼る病院では重篤患者が亡くなりかねない瀬戸際だった、と続ける。
これに対し、平野氏は「当初は灯油も売らなかった。政府に電話して元売りに働きかけてすぐに放出してもらった。緊急車両を優先したのは一つの危機管理の考え方だと思うが、ガソリンスタンドで当初売らなかったのは私もいきすぎだと思う」と語り、さらに「最初の5日間は小野寺さんが言われるように、官邸は原発対応で精一杯だった」と認めたのである。
さらに、小野寺氏が「家族の遺体を確認したいが車がないので中古車屋で買おうとしたら、車庫証明と住民票がないと売れない、と。かけあってようやく3日前、無くても買えることになった」と言うと、平野氏は「私も役所は今回の震災の凄まじさ、異常さを認識していなくて通常モードで仕事をしていたと思う」と応じた。
なかでも驚いたのは、政権の危機対応組織の新設とトップ人事に、自民党が知恵を出した一件だった。
小野寺氏が「実は仙谷由人官房副長官(故人)に被災者支援対策本部長になってくれと申し入れたのは自民党。原発対応と震災対応を分けてやったらどうか、窓口を作って下さい、と。大島理森副総裁に同行し官邸に行って、この仕組みが出来た」と明かした。
平野氏はどう答えたか。「自民党さんから言われたのは本当にありがたい。私どもも同じことを考えていた。このままでは窓口も分からない、必要なものを送り届けることが出来ない、と」。そして、「自民党さんとは政策協議をやって小野寺さんの言うように方向はほとんど一致している。政党の垣根を越えていろんなことが出来る可能性は高い」と言い切ったのである。
超法規措置は最低限。法整備を遅滞なく施す
石原、園田両氏が証言したように、想定外の危機に際して、為政者は二つの命題の狭間で厳しい選択を迫られる。
何でもありとばかり超法規措置をなし崩しで連発するようでは、法治国家の原理原則は損なわれる。さりとて平時に定められた法制度に依拠するばかりでは危機は取り返しのつかない規模に拡大してしまう。あれかこれかでは、国民の不安を払拭(ふっしょく)することはできまい。
むろん、そこに簡便なマニュアルなどあろうはずがない。ひとつ言えるのは、絶対的に必要な場合でも、超法規措置は最小限にとどめ、そのうえで遅滞なく法整備を施す、あるいは施す意思を明らかにする。そうした二枚腰の姿勢こそが、二つの命題の矛盾を解きほぐす道ではないか、ということだ。
そのときに、政権・与党と野党に必要な姿勢は、平野、小野寺両氏の言葉に明らかである。すなわち、野党は将来に向け政権担当能力を示すうえでも、具体的かつ現実的な問題提起と対案をぶつける。政権・与党は自らの限界を深く認識し、野党の提起に耳を傾ける余裕を持って、オールジャパンの総合力を目指す――。
教訓とすべきは、政党政治の本質に戻ることなのだ。
党利党略ではなく政党政治の本道を
実はあの時、背景に民主と自公の大連立を策する動きがあった。民主には政権延命の、自公には政権復帰という政局上の目論みはあっただろう。だが、危機に臨んでそうした党利党略が国民の心を掴(つか)むはずもなく、菅首相が乗り出した途端に、大連立の動きは雲散霧消した。
党利党略では危機は乗り越えられない。繰り返すが、必要なのは、政党政治の本道を貫くことに尽きる。
もちろん、それは目の前にある危機にも当てはまる。今からでも遅くはない。