ブレグジット後の欧州は ビル・エモット氏らに聞く
ビル・エモット氏/ガントラム・ウルフ氏/渡辺頼純氏
英国が47年間加盟した欧州連合(EU)を離脱した。経済や安全保障の面で相互依存していた英とEUは、激変緩和期間である2020年末までの交渉で新たな関係を探る。メンツをかけた交渉の行方は今後の世界情勢も左右しかねない。歴史的な転機を経て英国とEU、世界はどこへ向かうのか。
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■英、主要国から後退か 国際ジャーナリスト
ビル・エモット氏
Bill Emmott ロンドン出身。英エコノミスト誌で東京支局長などを経て1993〜2006年に編集長。近著に「日本の未来は女性が決める!」。63歳。
欧州連合(EU)離脱後の英国は外交・安全保障政策に関して米国に傾斜するのではなく、米、EU双方と等距離で臨むべきだ。例えばイラン政策に関しては核合意の維持や、米・イラン対立で緊迫する中東情勢の沈静化などで英独仏の連携は欠かせない。中東・アフリカ情勢やロシアの脅威への対応は、地理的にみても英・EUによる緊密な連携が関係国の利益となる。
対米政策ではトランプ米大統領が今年の大統領選で敗れて民主党政権に代わる方が、ジョンソン英首相にとって対応しやすくなる。その場合の米政権は現在微妙になっている対EU関係を立て直そうとするだろう。そうなれば、英国はEUと米国の間で橋渡し役を演じればいい。
だがトランプ氏再選の場合は、中国だけでなく独仏など西側の同盟国に距離を置く米政権との対応が続く。その期間の国益を考えれば米国への接近が正しそうだが、そうなると独仏や中国から距離を取るよう米から圧力がかかるだろう。それが長期的にも正解なのか。ジョンソン政権はジレンマを抱えることになる。
もっとも離脱後の英国は国際社会で今よりも重要度が下がる可能性がある。国際的な課題について西側の連携で重要なのは、まずは米・EUの意思疎通だ。英国は戦略的な方針を固める初期の段階で相談が必要な相手ではない。
今でも安全保障や核戦略などの点では英は米と対等な関係というより追従者ではある。このため離脱してすぐには英の国際的な存在感の低下を感じないだろうが、徐々に主要国から後退していくだろう。メルケル首相が退いた後のドイツ政治が不安定になり、EUの混乱にまでつながれば英の存在感が発揮できる場面があるかもしれないが。
移行期間中の12月末までに英・EUが自由貿易協定(FTA)など将来関係で合意することは技術的には可能だが、完全な合意とはならないだろう。モノの貿易や関税など関税貿易一般協定(GATT)24条で通商協定と認められる最低限の合意を年末までに交わし、サービスや規制の問題は先送りとなると予測する。20年末の経済の混乱は回避できても、全分野の包括合意には5年はかかるだろう。
英国は19年12月の総選挙でジョンソン氏率いる保守党が大勝したことで、政治的な見通しは大きく変わった。EU残留派が望む再加盟の道は向こう数回先の総選挙まで閉ざされた。離脱が決まった今となっては「EU再加盟」は非現実的で、全ての野党にとっても政治的に魅力的なスローガンとはならないからだ。
スコットランドの独立も下院議員の任期である向こう5年間はないだろう。ジョンソン首相の強固な政権基盤があれば、住民投票など独立に必要な手続きの実行を阻止し続けられる。ただスコットランドや北アイルランドは16年の国民投票でEU残留を望んだ地域だ。今後の英・EU交渉の結果が両地域に悪影響を与えるものになれば、次の選挙次第で英からの離脱の動きが活発になるかもしれない。
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■年内に限定通商合意も 欧州シンクタンク「ブリューゲル」所長 ガントラム・ウルフ氏
Guntram Wolff ドイツ出身。独連銀での勤務経験がある。EUの欧州委員会ではユーロ圏経済を担当した。13年から現職。45歳。
ジョンソン英首相が求める欧州連合(EU)との通商交渉の2020年内の合意は時間的な制約から厳しいのは事実だが、モノや一部のサービスに分野を絞った限定的な形での通商合意の可能性があると思う。英国はもちろん、EUとしても、お互い重要な貿易相手で(関税などの)現行の条件をできるだけ後退させたくない。交渉がうまくいかなければ世界貿易機関(WTO)の加盟国という関係になり、関税が上がり、双方に影響が出るリスクがある。
並行してテロやサイバー攻撃といった安全保障面や気候変動などの国際協力での協議も進むだろう。通商分野以外での議論は、気候変動など共通点は多いものの、中東政策では従来から意見の相違がある。安保面では英国とEU主要国が定期的に協議する場が設けられるのではないか。
通商交渉で最も難しい点は合意内容の実施だろう。英離脱を巡る19年の交渉を通して、英EU間の信頼は失われてしまった。どちらかが合意を実行しないのではないかという疑念がある。その意味で極めて重要なのが貿易などで紛争が起きた場合の仲裁手続きだ。
離脱は英国への影響がより大きい。EUが結ぶ自由貿易協定(FTA)の恩恵を英国は受けられなくなるからだ。日本や韓国、カナダなどと、英国はFTAを締結しなければならない。ただ英経済が崩壊するわけではない。ちょっとしたパニックになる程度だ。リセッション(景気後退)に陥るかもしれない。
中長期的に英国はこの「離脱」をどう使うかが課題になる。英国はEUから離れて政策の自由度が高まる。私は(規制の大幅緩和などいわゆる)「レース・トゥ・ザ・ボトム」の考えにはくみさない。だが「賢い規制」で人工知能(AI)やバイオテクノロジー、金融サービスが育つ環境をつくれるのではないか。
大国である英国が離脱することで、EUの市場は小さくなる。安保面で英国は、核保有国で国連安全保障理事会の常任理事国だ。英国は政治経済面でも様々な国に影響力を持つ。EUのマイナスの面は少なくない。
しかし私は楽観的だ。英離脱は他の加盟国の連帯を深めた。各国の指導者は一致団結することが、英国や他の国と交渉をする上で重要と理解したはずだ。(19年12月に発足した)新しいEU体制では経済面のみならず、安保面でも政策決定の過程がより緊密になり、一段と統合が進むとみる。それゆえ必ずしもEUの国際的な地位が落ちるとは思わない。
足元でEU加盟の候補になっているのは北マケドニアやアルバニアなどのバルカン半島の小国だ。ここにはトルコやサウジアラビア、中国が影響力を保持しようと動いている。EUはこの地域に注意を払う必要がある。ただし正式な加盟を認めるかは慎重に検討すべきだ。ガバナンスや(民主主義などの)EUの基本的価値観の基準を満たせていない。段階を踏みながらEU加盟に徐々に近づく手法が良いのではないか。
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■非関税障壁が主戦場に 関西国際大学教授
渡辺頼純氏
わたなべ・よりずみ GATT事務局やEU日本政府代表部で勤務した通商の専門家。2002〜04年外務省経済局参事官。慶大名誉教授。66歳。
欧州連合(EU)離脱後の英経済の最優先事項は言うまでもなく欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)締結だ。ジョンソン英首相は2020年末までの「移行期間」を延長しないと明言している。早期妥結を望むのはEUも同じだが、交渉は多難だ。
交渉では漁業権を巡る問題をはじめ、英国が競争力で劣る乳製品や畜産品を保護しようとする可能性があるだろう。食品の安全や動植物の健康に関する「衛生植物検疫措置(SPS)」や環境保全の規格などを定めた「貿易の技術的な障害(TBT)」で、英国が独自の基準を追求すればEU基準との擦り合わせに時間がかかる。これら非関税障壁が主戦場となるのではないか。
過去半世紀、EUとその前身の欧州共同体(EC)の共通通商政策に参加してきたことで、英政府には難交渉を担える人材が不足している。離脱協定を巡る対EU交渉ではオーストラリアやニュージーランドから専門家を借りてきたほどだ。ジャビド英財務相は今後はEUのルールや規制には縛られない旨の発言をしている。出て行く英国に対し、交渉の主導権を握るのはあくまでEU側だ。「いいとこ取り」は認めないだろう。
英金融街シティーの優位性は当面揺るがないとみるが、ドイツやフランスでも英語を操るビジネスパーソンは増えており、EU域内からの人材供給にも不安がある。金融サービスでEU市場へのアクセスを現状に近い形で続けるため、英国は相当の譲歩を迫られるのではないか。人的制約と時間の制約が重なり、何らかの合意を結べないまま20年末を迎える「無秩序離脱」のリスクは相当程度残っている。
今回の離脱劇はある種の先祖返りではないかとも感じている。英国、特にイングランドでは欧州大陸から距離を置くことを望む気質や文化が脈々と受け継がれてきた。
古くは16世紀前半、英国王ヘンリー8世がローマ教皇と対立、破門されて英国独自の国教会を創設した。EC加入以前の英国は欧州自由貿易連合(EFTA)の創設に動いた。共通の関税政策は採らずに各国の主権維持にこだわったが、競争力でEC陣営に太刀打ちできなかった。ECに参加後も政治統合や社会政策を巡って、サッチャー元首相らが異論を唱え続けた。
だが、大陸から自らを切り離せば、海外からの投資もEUからの優秀な人材の流入も細っていく。通貨ポンド下落による輸入インフレの懸念もある。16年の国民投票では保守党政権下での緊縮策や、これに伴う格差拡大への不満が反EU感情へとねじ曲がった形で誘導された。なぜ、日本企業の進出先で離脱派が残留派を上回ったのか。貿易や市場統合の便益が十分に有権者に伝わらなかったことは大きな教訓ではないか。
今後の日本は中国に呼び掛けて、アジアで質の高い経済連携協定(EPA)を目指すべきだ。市場統合は域内の平和に資する。国内の社会政策や後発途上国への支援を駆使し、包摂的な成長の実現へと主導権を発揮すべきだ。
〈アンカー〉「無秩序」離脱の回避 責務に
ジョンソン英政権は国内での支持を失わないようEUに強く出て、EUは加盟27カ国に示しがつくよう英国を突き放す。今後の交渉はこんな展開が予想される。だが英・EUの摩擦が長続きすれば、地盤沈下気味の欧州の存在感をさらに薄めることにつながる。
通商交渉ではエモット、ウルフ両氏ともにモノの貿易など最低限の内容なら年内合意も可能だと指摘した。メンツは脇に置き、経済界が懸念する無秩序な離脱だけは回避する知恵を探ることが、英・EU双方に課された責務だ。
イランの核合意や気候変動対策など米国が背を向けた問題を欧州が支えているケースは実は多い。経済面で距離が生まれても英・EU、とりわけ英独仏が外交・安全保障面で連携を維持できるかどうかが今後の国際秩序も左右する。