科学技術  世界と闘うには

 

梶田隆章氏/藤田誠氏/松本紘氏/上山隆大氏

イノベーションの源泉となる日本の科学技術力が弱っている。国の予算は毎年4兆円規模が確保されているが、研究者の育成や革新の芽を伸ばす方向でうまく使われていないとの指摘が目立つ。世界の研究をリードし、人類の進歩やビジネスの発展にどう結びつけるか。第一線の研究者に課題と解決策を聞いた。

 

 

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基礎軽視、将来に禍根 東大宇宙線研究所長 梶田隆章氏

かじた・たかあき 2015年にニュートリノ振動の発見でノーベル物理学賞を受賞。08年から東京大学宇宙線研究所長。60歳

基礎研究が軽んじられている。昔と比べ、お金が最低限しかかからない研究も、今はすべて競争的資金で始める。教員が自分たちの判断でやる研究ができなくなっている。

基礎研究の予算は科学研究費補助金(科研費)のなかで一番、金額が小さく、採択率も約30%しかない。このレベルだと、だれも知らないような研究を自前の発想で提案したときになかなか採択されない。はやりの研究のほうが有利だ。採択を狙って通りやすい研究に研究者がなびいてしまうことが問題だと思う。

運営費交付金の削減は、研究者が余裕をもって研究に取り組む土壌を急激に痩せ細らせた。日本として基礎的、学術的研究を重要視するのであれば、運営費交付金は増やさなければならない。現実的でないとしても、運営費交付金を削った分、芽を出す研究を広くできるように科研費で補填することが最低限必要だ。

国は「大学が外部資金をとってこい」と言うのだろうが、基礎的な研究はいくら頑張ってもうまくいかない。日本は国内総生産(GDP)世界3位。そういう国の責任としてはやがてイノベーションに結びつくと予想される研究だけでなく、もう少し広い、人類の知的財産を大きく拡大する研究にも一定量の研究資金を投じなければならない。

大きなくくりでの科学技術予算が減っているわけではないとしても、日本の研究力は急激に落ちている。お金の使い方が間違った方向にいっている証しだ。

運営費交付金の削減で何が一番問題になったかというと、各大学が生き残るために助教のポストをどんどん減らしたことだ。若い研究者がポストにつけず、任期制の特任助教のようなその場しのぎの形でやっている。若い人材育成への負の影響がものすごく大きい。
大学は人を育てる組織だ。競争で不必要に弱めていっていいのかどうか。そこは、国家的に考えなければならないところだ。大学4年生で卒業研究をやらせるお金すらない。私がノーベル賞を受賞した2015年から基礎研究の危機を訴えてきた。悔しいが何もかわっていない。

 

 

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トップクラスに任せよ 東京大学卓越教授 藤田誠氏

ふじた・まこと 分子の自己組織化などの研究で有名な化学者。2018年にノーベル賞の登竜門とされるウルフ賞受賞。62歳

海外では大学の基礎研究にベンチャーキャピタルが目をつけ、そこにお金を投じてベンチャーが次々と生まれる。「0から1」の価値を生む、きちんとした分業体制ができている。日本にはない仕組みだ。

この20年、基礎研究がうまく社会的な価値に結びつかなかったのはこの「社会構造の欠陥」があったからだ。いつの日か基礎研究が無駄ということに問題がすげ替えられた。研究者の自由な発想に任せていてはだめということで、国の研究のやり方がボトムアップからトップダウンになった。

どこの大学にも発想力の乏しい研究者はたくさんいる。この人たちに任せても無理がある。しかし、1割ほどのトップクラスの研究者、科学者は違う。未来を見抜く力を持つ。彼らの洞察力に任せた方が絶対にいい成果が出てくる。

予算の「選択と集中」は理念として正しい。いい研究、重要な研究に手厚くするのは間違っていない。だが、トップレベルの研究者が直撃を食らっている。運営の仕組みに問題がある。

億単位のプロジェクトをやって気がついた。国からの研究費はファンディング・エージェンシーと呼ぶ配分機関を通すが、こうした組織が肥大化し、研究費を侵食する。頻繁に開く成果発表のためのシンポジウムは氷山の一角だ。

トップダウン式だと、官僚らは多くの人が納得するテーマを選びがち。人工知能(AI)も量子コンピューターも日本の実力は米中の周回遅れ。にもかかわらず5年ほどのサイクルで、はしごを登らせては外すという繰り返しだ。

周回遅れで入って追いつけるほど研究は甘くない。世界が着目していないオリジナルな研究をやらなければならない。なにもないところから立ち上げ、リードし続けていかなければならない。トップ研究者の研究こそ国を代表する研究だ。

競争的資金の競争の意味が誤解されている。研究者は研究でもって世界の人たちと競争している。ところが、世界で活躍しようが、どんないい論文を書こうが関係ない。実績は評価されず、一番いい申請書を書いた人にお金が払われる。

 

 

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長期視点で人材結集を 理化学研究所理事長 松本紘氏

まつもと・ひろし 宇宙電波工学の専門家。2008年京都大学総長に就任。15年から現職。国際高等研究所長も務める。77歳

最先端の研究で海外勢と競っていくには、時に巨額の資金を投じて人を集める覚悟がいる。京都大学の山中伸弥教授が切り開いたiPS細胞研究はその一例だ。だが、日本の大学は硬直化しすぎており、巨額プロジェクトを担える状態ではないと感じている。

私が京大副学長だった2007年当時、山中氏らの体制は一研究室にすぎなかった。世界で競り負けないことを考えると、研究所の規模が必要だった。だが、新しいことを始めるのに2年はかかる。良い人材を呼び込みたくても既存の学部は譲ろうとしない。できる限り手を打ったが、なかなか難しいと思った。

国内では大型予算で支える計画も増えたが、イノベーションにつながるほどのものになっていない。なぜか。国は短期集中で一定の到達点を示してほしいと考えるところがあるからだ。

iPS研究もそうだが、現場の感覚でいえば10年で研究が済むわけがない。研究すればするほど新しい課題が出てくる。医療応用などもっと先の目標だ。政府は予算の打ち切りも検討したようだが、社会的な意義を考えると、むしろ延長すべきだろう。

日本の科学力を高めるには優秀な若手を育む仕組みが欠かせない。博士号を持ちながら、40代になっても任期制のまま研究を続けている状況は人格無視といってもいい。競争を通して選んだ人材にはお金をつけ、優遇すべきだ。教授に就く前、早い段階から試行錯誤して成果を出す。そこに国が支援すればいい。


理研にいると、研究の生産性を高めるには事務方の強化も重要だと感じる。理研は500人と一般の大学よりは少ないが、事務的な支援のほか研究の後押しもしている。

研究でいえば、分野を超えて協力する環境も必要。電子工学者と文学者が自由に議論し、行き来できる仕組みが足りない。異分野で相互作用を起こせないと組織は弱っていく。教員は競争原理にさらされたほうがいい。優れた成果を出し続ける研究室でないと学生は来ず、教員ポストも維持できないといった境遇におくことが重要ではないか。

 

 

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大学の激変が不可欠 総合科学技術・イノベーション会議議員 上山隆大氏

うえやま・たかひろ 政府の総合科学技術・イノベーション会議で唯一の常勤議員。科学技術史や大学の科学研究に精通。61歳

2004年に国立大学が法人化して以降、運営費交付金は少しずつ削られていったが、全体として学術・科学技術に投下される政府資金は変わっていない。むしろ若干増えている。

運営費交付金として大学に渡し切りにするのでなく、毎年1%ずつを国として集約し競争的資金として配分しようとした。

大学改革が世界中で起き、1980年代には米国を中心として科学技術や大学を取り巻く環境が大きく変わっていった。研究の特許化や大学発ベンチャーを通して、先端技術が大きな経済的波及効果を生むことが明らかになってきた。

学術のみならずイノベーションの核として大学を強くしなければならない。官僚組織の一部だった国立大学を政府から切り離し法人化しようと考えたのは当然の判断だった。

不幸だったのは多くの大学人が真意を理解しなかったことだ。文部科学省は大学人に「何も変わらなくていい」と説明した。ドラスチックな変化を避け、運営費交付金をゆっくり減らす。徐々に変化を体感してもらい、マインドセットが変わることを狙った。

本来は各大学に研究と教育、地域での役割を体現した、個性あるとがった大学に変貌させる政策を打つべきだ。文科省の高等教育局は86の国立大学を一つの大学のように動かすという既得権益を放棄しなかった。

競争的資金は一部の大型研究大学に集中し、地方の大学は疲弊するばかりだ。ポスドクと呼ぶ定職のない若手研究者だけが増え、アカデミアでの職と希望が失われた。能力のある若い人たちへの資金的サポートは細くなり続けた。

国立大学は自由裁量権が増えた。規制を大胆に緩和し民間資金を取り込む仕組みを導入していれば、財務は楽になったはずだ。

産業界にも問題はある。460兆円の内部留保を抱える民間企業が研究開発投資を怠るのは、日本の将来の成長と次世代への投資を控えているのと同じ。大企業もかつては中央研究所を持ち基礎研究に投資してきた。日本の研究力が落ちているのは企業からの論文が減っていることも原因だ。

 

 

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アンカー〉若手の研究離れ 得意磨き挽回を

科学技術にはお金がかかる。世界をリードする成果を生むには最先端の実験装置が必要だし、巨大なデータベースもいる。アイデアを出しサポートする優秀な研究スタッフもたくさんいるに越したことはない。

資金力で日本が米国や中国と肩を並べるのは難しい。身の丈にあった研究戦略こそ求められている。あれもこれもでなく、得意とする分野をいかに磨いていくかだ。

国の限られた財源を生かすため「選択と集中」「競争的資金」といったアプローチは間違っていない。ただ、基礎研究の担い手となる大学の変革がこうした制度改革に順応できていない。

迷走する科学技術政策のツケが明日を拓(ひら)く若手人材に回っている。優れた頭脳の研究者離れが深刻だ。一刻も早くこの流れを断ち切らなければならない。

 

(編集委員 矢野寿彦)

 

 

 

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