吉野氏ノーベル賞受賞記念座談会

 

 

 

 

企業研究者の原動力は 吉野彰×田中耕一×池上彰3氏


日本経済新聞社は2019年、02年のノーベル化学賞をそれぞれ受賞した吉野彰・旭化成名誉フェローと田中耕一・島津製作所シニアフェローによる座談会を開いた。ジャーナリストの池上彰氏が司会を務め、企業研究者が活躍するために、吉野氏は「5年、10年先に必要な技術」の見極めを指摘、田中氏は「コミュニケーション力を磨く」必要性を訴えた。

 

池上氏 時間がたちましたが、吉野さん、改めてノーベル化学賞受賞おめでとうございます。受賞発表以降は嵐のような期間だったのでは。

吉野氏 別世界に入ったような感じです。

池上氏 田中さん、吉野さんがメディアに登場する様子をみて、自身のことを思い出しましたか。私は田中さんが作業着姿で記者会見する様子をテレビでみて「本当にサラリーマンがノーベル賞を受賞したんだ」と衝撃を受けました。

田中氏 受賞した2002年以降、ずっと抱えてきた肩の荷が下りた感じです。当時は日本の方々の反応が「企業にも研究者がいたのか」という感じでした。

日本には研究者がおおよそ85万人いて、約50万人が企業に所属しています。他の先進国でも傾向は同じです。この先、世界の企業で、優れた研究者がノーベル賞を受賞する例が増えるでしょう。

 

日本の研究者、企業に50万人

 

日本の研究者は87万4800人(2019年3月末時点)で、部門別では企業が約50万4700人と最も多い。大学の約33万人、公的機関の約3万人と続く。企業の研究者は研究開発費と同様に製造業に多く、9割近くを占める。日本の女性研究者は増加傾向が続くが、まだ全体の2割に満たない。女性研究者の多くは大学に在籍している。

実際に研究関連の業務に費やした時間の割合を考慮した専従換算値(フルタイム換算値)で部門別の内訳をみると、ほとんどの主要国で企業部門が最も多い傾向にある。日本は企業が7割、大学は2割だ。企業研究者の割合は米国も7割、韓国は8割、独仏や中国で6割を占める。一方、英国は大学の研究者の割合が6割と高い。

■吉野氏「明確なゴールがあれば反対は押し切れる」

吉野氏 私は「産業界の吉野」という表現をたびたび使います。今回の受賞で、産業界でもノーベル賞級の研究をやっているという実例になるはずです。産業界の若い研究者にとって励みになると思います。

池上氏 2人とも大学を出て企業研究者への道を進みましたね。大学だと自分の研究にひたすら打ち込めます。企業に入ると、やりたいテーマと企業の方針とで食い違いがあるのではないですか。

吉野氏 それはあります。企業の研究は実用化という目標に向かって進む。何年後かに明確なゴールがあると自信が持てれば、周囲の反対は押し切れます。5年、10年先の人が必要としているものが明確であれば。

池上氏 先が見えていたのでしょうか。

吉野氏 嗅覚のようなものですね。私がリチウムイオン電池の研究を始めたのは1981年。今のようなモバイル・IT社会は想像していませんでした。しかし、ポータブル(携帯)化は進むという流れは感じていました。

池上氏 研究成果が製品化されるまでに「悪魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」という3つの障害があるとされます。

吉野氏 基礎研究で面白い結果が出ると「悪魔の川」を渡って、開発研究に移ります。そこでOKなら「死の谷」を越えて事業化に進みます。一番しんどいのが次の「ダーウィンの海」。研究開発や工場建設に相当投資しているので、売れないと大変です。

田中氏 技術が優れていても売れないことがあります。お客さんに喜んでもらえるか、どれだけ仲間を増やすかも考えなければいけません。


▼悪魔の川、死の谷、ダーウィンの海 研究開発から事業化までのプロセスに横たわる関門。悪魔の川は基礎研究と製品化に向けた開発段階の間に存在する。乗り越えられずに終わるプロジェクトは多いとされる。

死の谷は開発段階のプロジェクトが事業化にたどりつけるかどうかの関門だ。開発段階と比べてヒト・モノ・カネの資源投入規模は大きく、死の谷は深くなる。

ダーウィンの海は事業化と産業化の間にある。「進化論」を提唱したダーウィンは、自然淘汰こそが生物進化の本質と指摘した。そのことにちなんで、淘汰が進む市場をダーウィンの海と表現した。

 

■田中氏「失敗が意外と利用できる」

池上氏 入社すると、思い描いた姿と違うことがあるのでは。

田中氏 電気工学を専攻したので、関係する研究をやると考えていましたが、私よりはるかに優秀なスタッフがいました。やり手がいなかった化学の実験を手がけると、うまくはまりました。

物理や数学、化学、生物を高校までしっかり学びました。理系学問の基礎を身につけたことが結果的によかった。

池上氏 やるつもりがなかった仕事に取り組んだら、ノーベル賞の成果が出たんですね。人生って不思議なものです。

吉野氏 私も電池は素人でした。基礎研究を進めるうちに、電池分野に足を踏み入れました。専門分野の深い経験や知識は必要ですが、従来の考え方にとらわれてしまう。素人の発想が様々な局面で生きています。

池上氏 常に研究のことを考えているのでしょうか?

吉野氏 家では仕事の話はしません。日常から離れ、頭が空っぽになります。

池上氏 夫人と娘さんは「いつもゴロゴロしていた」と話しています。

吉野氏 あれはゴロゴロしていたのではなく、充電していたのです。

池上氏 なるほど電池ですね。充電してまた使えるようにしている、と。


 田中氏 妻によると、私は「夜にメモ用紙を用意していた」とそうです。深堀りするのも大切ですが、別の世界に触れるとアイデアが生まれやすくなります。

池上氏 私は子ども向けのニュース番組で、わかりやすい模型を作る必要がありました。懸命に考えるが、なかなか浮かばない。あきらめて風呂に入るとひらめく。お二人も思いつきというか、発見の「セレンディピティー」があったわけですか?

吉野氏 セレンディピティーの機会はだれにも均等にあると思います。問題意識を持っている人が検知できる。

田中氏 失敗が逆の角度から見るとすごくよいことがあります。私の部下がある物質を混ぜると、余計な化学反応を起こしてしまった。化学反応としては失敗ですが、イオンが大量にでき、質量分析に応用するにはよかった。


▼セレンディピティー ある偶然をきっかけに幸運を手に入れる能力や才能を意味する。ペルシャの童話「セレンディップの3人の王子たち」から生まれた造語とされる。王子たちがふりかかる困難を知恵と機転で次々と解決していく姿にちなんだ。

科学の世界では、大きな発見は偶然からもたらされることが多い。思わぬ発見をする優れた能力を意味する言葉として使われる。

有名な例は、英国人科学者アレクサンダー・フレミングによる世界初の抗生物質「ペニシリン」の発見だ。毒性の高い黄色ブドウ球菌を培養していたところ、アオカビが生えたことを不思議に思って調べ、発見につなげた。

■田中氏「博士の知識、営業でも生きる」


池上氏 このところ、日本企業の研究力が弱くなっているのではという指摘があります。例えば、日本企業の博士号取得者は他国に比べて極端に少ないようですが。


田中氏 海外に行くと、企業の営業にも博士号を持つ人がけっこういます。彼らがユーザーと一緒になって新しい使い方などを見つけてくれます。開発した製品を世界で使ってもらうには、営業の人にも理系の知識や発想を持ってもらうことが重要です。


博士号取得者が少ないからといって、日本企業が最先端の研究をやれないわけではありません。むしろ、問題は研究分野以外で博士が少ないことではないでしょうか。


私はずっと研究をしていたわけではなく、営業や工場で組み立てもやりました。初めはつらいですが、自分を生かす方法などに気づくチャンスでもあります。

 

 

■日本企業の博士、わずか4.4%

文部科学省のまとめによると、日本企業が雇用する研究者のうち、博士号取得者の割合は4.4%と海外に比べて著しく低い。日本では大学院に進む理系学生のほとんどが修士課程修了後に就職するのが主流となっている。日本は主要国の中で唯一、人口100万人当たりの博士号取得者が減る状況にもある。

日本の博士号取得者の7割以上は大学に在籍する。企業による博士人材の採用は増えつつあるものの、企業が博士人材を十分に活用できておらず、学生も企業への就職に消極的という両面の課題が指摘されている。大学などの若手研究者の雇用を安定させるとともに、研究関連に限らず企業での活躍の場を広げる必要がある。

池上氏 大手企業研究者(1000人以上)の平均年収は約40歳で680万円ほどというデータがあります。比較する対象として適当かわかりませんが、GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの略)など米国のIT企業では、年収数千万円が当たり前と聞きます。

田中氏 私たちの反省でもあるのですが、企業の研究者がいかに優れた仕事をしているかをうまく社会に伝えられていません。だから社会の評価が低く、給料も低く、やりがいも低い。企業研究者の高い能力や価値を広く社会に理解してもらう必要があります。

基礎研究についても同じです。ノーベル賞受賞者が「基礎研究は大切だ」と語っても、すぐに忘れられてしまう。基礎研究に対する官民の予算がつきにくくなったのは、説得力がないからではないでしょうか。

吉野氏 説得力というか、どう表現するのか悩みますが、ウソをつかない範囲でごまかすことも、研究者にとって必要条件のひとつかもしれません。決してだますわけではなく、最終的に結果を出すんです。研究の途中で、現状をありのまま話す必要はありません。

 

 

■企業の研究開発費、「基礎」は7.8%どまり

2018年度の日本の官民合わせた研究開発費の総額は19兆5260億円で過去最高となった。このうち企業の研究開発費は前年度比3%増の14兆2316億円と7割を占め、近年は増加傾向が続いている。ビジネスに直結する製品やサービスの開発研究が中心で、基礎研究への投資は一時期より持ち直しつつあるが割合は7.8%にすぎない。

業種別にみると、日本企業の研究開発費は製造業が9割近くを占め、中韓やドイツと同じ傾向だ。日本は自動車関連や医薬品関連の研究開発費が多い。一方、米国では非製造業が3割以上、英仏では半分程度を占める。米国は製造業、非製造業ともに研究開発費を増やし、とりわけ非製造業である情報通信業の増加が著しい。

■吉野氏「35歳までに自分に投資を」

池上氏 研究者を目指す若者にメッセージをお願いします。

吉野氏 35歳まで力をためてほしい。35歳になったら一気に力を爆発させる。そのために「35歳までに自分に投資しろ」と言いたい。すると、今は何をやらなければならないかがわかってきます。

私がリチウムイオン電池の研究を始めたのは33歳のとき。歴代のノーベル賞受賞者も研究を始めたのは30代半ば。リスクのあるテーマに挑戦して失敗しても、もう一回チャンスがあります。

田中氏 コミュニケーションやプレゼンの能力を高めることです。研究を理解してもらえるし、自らが手がけた製品を買ってもらえます。理系の人、特に企業への道を考える人は能力を高めたり学んだりする機会を増やしてもらえたらと思います。

 

 

 

吉野彰(よしの・あきら)氏 1948年大阪府吹田市生まれ。72年に京都大学大学院工学研究科石油化学専攻を修了し、旭化成に入社。80年代に、特殊な炭素材料を使い、繰り返し充放電ができるリチウムイオン電池の基本構造を確立した。2017年から現職。名城大学教授などを兼務する。19年に米国の2氏とノーベル化学賞を受賞した。同賞の選考委員会は情報化社会を支え、地球温暖化の解決にもつながる成果と高く評価した。

 

 

田中耕一(たなか・こういち)氏 1959年富山市生まれ。83年に東北大学工学部を卒業し、島津製作所入社。90年代は英子会社などに出向し、英国で長く過ごす。80年代後半に取り組んだたんぱく質の質量分析技術が評価され、2002年にノーベル化学賞を日本企業に在籍する研究者として初めて受賞。修士号も博士号も持たないサラリーマン研究者の快挙に日本中が沸いた。田中耕一記念質量分析研究所長(執行役員待遇)などを経て、12年から現職。

 

 

池上彰(いけがみ・あきら)氏 1950年長野県生まれ。73年に慶応義塾大学経済学部を卒業してNHKに入局。報道記者や番組キャスターなどを務めた。「週刊こどもニュース」を経て、2005年にフリーとして独立。日本経済新聞および日経電子版で「池上彰の大岡山通信 若者たちへ」、テレビ東京番組「池上彰の現代史を歩く」を基にした同名コラムを連載している。名城大学教授。13年に伊丹十三賞、16年に菊池寛賞を受賞した。

 

 

 

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