耕論
幸せって何だっけ 山里亮太さん、内田由紀子さん、藤和彦さん
秋風を感じ始めると、ふと「幸せって何だっけ?」と思いをはせてしまう。そうだ、まず、令和になっていちばん幸福そうに見えた人から聞いてみよう。
■仕事と結婚、つながってた 山里亮太さん(お笑い芸人
日本でいちばん幸福そうに見える? そんなことはないですが、お笑いを中心に自分の好きな仕事ができてログイン前の続きいて、常に努力しなければいけない環境で、努力したらその成果を実感できる、ここ数年そんな状態が続いていることが自分のいちばんの幸福と言っていいかなと思います。
この仕事は、努力をサボるとあっと言う間にこぼれ落ち、それまで積み上げてきたもの全てが終わってしまいます。一度、そんな地獄に落ちかけて「お笑いをやめる」と決意した経験があります。なぜ失敗するのか。それを反省しているはずが、実は単に後悔しているだけで無駄に時間を使い、どんどん落ちる。
仕事の幸福感から遠ざかりすぎて、自分を見失っているときもありました。食事をした形跡はあるが記憶がない。気づいたら行き先とは反対の電車に乗っている。そんな状態でした。そこは、正しい努力から自分が逃げたせいで落ちた真っ暗な場所でした。
でも周囲の人たちがぼくを強引にお客さんがいる場へ、引き戻してくれました。
この仕事で、最大の評価は「笑い声」です。自分の話でお客さんが笑ってくれること。「笑い声」を聞き、自分の中ですでに底をついたと思っていた「自信の貯金口座」に、まだ自信が残っていたのに気づきました。
だから正直、今回結婚を考えたときは、怖かったんです。こんなに素晴らしい方と結婚するという幸福を手にしたら、ようやく感じ始めた仕事の幸福のほうが消えちゃうんじゃないだろうかって。
自分は「非モテ」とか「ダメ男」のキャラで、この世界を戦ってきました。人をねたむ、うらやむ話で笑わせている人間が、結婚して幸せになったら、これまでと正反対の状態を見せることになる。ライブのお客さんやぼくのラジオ番組のリスナーは前みたいに笑えなくなってしまうんじゃないかって。結婚というもうひとつの幸福なゴールをつくると、仕事の幸福はどうなるんだろう、と不安でした。
発表した後も少し怖かったんですが、でも誰もが受け入れて喜んでくれて、心配することはなかった。
考えてみれば、こんなに素晴らしい方と結婚できるという幸福を運んで来てくれたのは、今までやってきた仕事の幸福があったからこそ、でした。彼女も結婚会見で「全力で仕事に打ち込む姿が好き」と言ってくれた。つまりは、仕事と結婚という幸福が二つ別々にあると思っていたけれど、実はつながっていたことに気づいたんです。
「幸福」という単語を自分が口にできるのが、いかにありがたいことか。凡人の自分に与えられた幸福に見合う努力をして、今後もサボらず成長し続けないといけないと強く思っています。
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やまさとりょうた 1977年生まれ。南海キャンディーズのツッコミ担当。俳優の蒼井優さんと6月に結婚。主著に「天才はあきらめた」。
■周囲とのバランスが条件 内田由紀子さん(京都大こころの未来研究センター教授)
「日本の幸福度ランキングは何位」といった記事をみかけることがあります。国連の関連団体が毎年発表する「世界幸福度ランキング」で今年の日本は58位となり、調査開始以来最悪でした。順位がつくのは「個人の選択の自由」「政治の腐敗度」といった、いくつかの指標を計算式で合成し、比較するからです。
GDPなどの経済指標は問題もあるものの、おおむね客観的な各国比較に使えますが、何を幸福の価値とするか、どの指標に国民が幸福を感じるかは国によって異なります。順位に一喜一憂するのではなく、日本の幸福感の中身を考える契機にしたほうが生産的な議論につながると思います。
日本人の幸福感のイメージは、例えば米国とは大きく異なることが、さまざまな調査からわかってきています。
米国人の幸福感は、個人が努力して幸福につながる目標を達成すると、さらなる幸福への道が開けるという「獲得系幸福感」です。自己の評価を決めるのは個人軸です。
これに対し、日本で見られるのは、周囲とのバランスの中で得られる「協調的な幸福感」です。自分だけでなく、周りも幸せであることが大切になりますし、他者からの評価が良くも悪くも自己の状態への評価に影響します。また、幸福と、不幸せや悲しみは隣り合わせであるという感覚があります。
日本でこのような幸福感が生じている一因として、地震、台風などの自然災害に頻繁に見舞われる風土では「リスクに対する備え」が重要で、他者とのネットワークが社会的インフラとして機能してきた歴史があることがあげられます。大がかりな周囲との協力が必要な水田農業が主たる産業だったことも大きいでしょう。こうした風土が長い歴史の中で及ぼしてきた影響は、近年見られる欧米化などの環境変化よりも根強い部分があります。
周囲とのバランスを重視するあまり、「他人の目を気にしすぎる」といった負の側面も指摘されています。しかし、他者との調和を探る中で幸福像を柔軟に変化させることができるというプラス面もあります。経済成長を望みにくい社会では、その利点を生かせる可能性があります。
幸福とは漠然とした概念であり、個人の心の問題だと長らく思われてきました。しかし近年では経済合理性と並び、人間の意思決定に幸福が重要な役割を果たすことがわかってきました。心理学者だけでなく、経済学者や政治学者もこぞって幸福の研究に熱心になってきているのはこのためです。日本の市町村でも住民の幸福度を調査し、政策の優先度に生かす動きも出ています。社会全体の問題として幸福の研究を進めていく必要があると思います。
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うちだゆきこ 1975年生まれ。専門は社会心理学。スタンフォード大学行動科学先端研究センター・フェロー。
■満足できる最期かどうか 藤和彦さん(経済産業研究所上席研究員)
幸福について考えるとき、「死」はその対極にある概念です。死は不幸の要素とみなされていても、幸福から死を連想する人は普通いません。
これまでの日本社会は結婚や就職といった人生の様々な出来事から幸福度をはかるのが常でした。しかし、これからは「どう満足しながら死ねるか」が、幸福度をはかるうえで大きな比重を占める時代に入ると思います。
戦後の第1次ベビーブームで生まれた「団塊の世代」(出生時約800万人)は、2025年までに後期高齢者になります。その結果、日本は75歳以上が2180万人、国民の17・8%を占める「超高齢化社会」を迎えます。
日本はすでに毎年130万人以上が死んでいる「多死社会」です。気力も体力も次第に落ちて病気がちとなり、ゆっくりと死に近づいていくケースが増えるでしょう。だれもがこの「長くて緩慢な死」を歩む自分に向き合わなくてはなりません。そのとき、穏やかな気持ちでいられるかどうかは、大きな問題です。
戦後の日本で死は忌避すべきタブーとされ、「死は無価値」という考え方が支配的になりました。過剰に精神的な要素が色濃い死生観が、生を軽視し死を賛美する戦争イデオロギーを蔓延(まんえん)させたことへの反発があったからです。
高度成長期の物質主義的な幸福感の時代に育った「団塊の世代」には、こうした「死は無価値」という考え方の人が多い。彼らが次第に自分の心身を思うように制御できなくなり、スピリチュアルペイン(自分の存在が肯定できない状態から生じる魂の苦痛)を抱え込んでいくとき、死を否定するだけでは前向きに生きていけないでしょう。
最近の日本には、自分の死後も「何か」が残ると信じたい人が増えているようです。実際、08年の国際比較調査によると、「生まれ変わり(輪廻〈りんね〉転生)はあると思うか」の問いに、日本では「絶対」と「たぶん」を足すと「ある」が43%います。興味深いのは、世界的に「生まれ変わり」を信じる人のほうが幸福度が高いという結果も出ているということです。
ノンフィクション作家の柳田邦男さんが「死後生」と表現している死生観があります。人が死んで肉体が滅びたあとも親しかった人の心の中で生き続けることが出来るという考え方です。誰かの記憶の中に生きると信じながら、友人や仲間にみとられるエンディングこそが「望ましい死」ではないでしょうか。
今後の日本の幸福感を考えるうえで、QOL(生活の質)に加え、QOD(死の質)がますます重要な要素になるでしょう。令和は、自分の人生に満足して穏やかに死ぬ「幸福死」をめざす社会になってほしいと思います。
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ふじかずひこ 1960年生まれ。エネルギー分野や高齢化社会の影響を研究。著書に「日本発 母性資本主義のすすめ」。