Deep Insight
大国も黙る法王の情報網
バチカンとの関係強化を
本社コメンテーター 秋田浩之
ローマ法王フランシスコが11月下旬に来日することが決まった。天皇陛下と会見するほか、被爆地である長崎、広島を訪れる。
ローマ法王の来日はアジアへの関与を深める路線の一環で、ヨハネ・パウロ2世以来、実に38年ぶりだ。法王は約13億人のカトリック信徒を束ねるとともに、独立国、バチカン市国の国家元首でもある。核廃絶や人権でどんなメッセージを発するか、国内外の関心が高まっている。
ただ、日本はこうした視点からさらに踏み込み、バチカンとの外交協力を強める機会にすべきだと思う。なぜなら、バチカンは国際政治上、大国が一目置くほどの影響力を持っているからだ。
国の大きさからは、それは想像もつかない。ローマ中心部にあるバチカンは世界の最小国であり、面積は日本の皇居の3分の1強にすぎない。法王が執務するバチカン宮殿がある国境内に入ると、まるで和やかな公園のようだ。
だが、今年の初夏、取材で訪れた際に強く感じたのはバチカンの外交力の大きさである。
後にふれるように、バチカンが世界に張りめぐらせた情報網は圧巻だ。そのインテリジェンス力に加えて、領土などの野心を持たないことがかえって影響力につながり、紛争や危機の解決に少なからぬ役割を果たしてきた。
たとえば、先の2度の世界大戦で終戦工作に深くかかわったほか、1962年のキューバ危機では米ソの首脳を仲介し、核戦争を防ぐのを助けた。
米ソ冷戦末期には、法王が数回にわたって共産圏のポーランドを訪れ、民主化運動を精神面から支えた。それが「ベルリンの壁」崩壊のきっかけにもなった。
法王はソ連から天敵として恐れられた。1981年には、暗殺未遂事件にも遭った。現法王になってからも次のような例がある。
▼オバマ米大統領(当時)とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長を橋渡しし、2015年の国交正常化につなげた。
▼今年2月、内紛が続くベネズエラのマドゥロ大統領が、対立するグアイド国会議長との仲介を法王に要請。法王はグアイド氏とも会談した。
▼同月、イスラム発祥の地、アラビア半島を法王として初訪問し、宗教間の融和を進めた。
なぜ、これほど熱心に外交を進めるのか。バチカンのポール・リチャード・ギャラガー外務長官(外相に相当)にたずねると、次のような答えが返ってきた。
「外交に取り組むのは各国や主な国際機関と協力し、人類の幸福を促すためだ。それに加えて、福音の価値を広めるという、教会の神聖な使命もある」
きれいごととは言い切れない。バチカンが最も大切にする「信教の自由」が保証され、信徒の安全が守られるには、各国の平和が大前提になるからだ。だからこそ、紛争や危機を防ぐため、法王は仲介にも力を入れているのだ。
ではなぜ、バチカンはそこまで大きな影響力を振るえるのか。ローマのバチカン専門家らに聞くと、こぞって指摘するのが大国も顔負けの情報収集力である。
バチカンは世界に広がるカトリック教会の頂点に立ち、各国の司教らを任命している。教会のネットワークは世界の隅々にわたり、時には大国が知らない情報も入ってくるという。バチカンは約180カ国と外交があり、主要国に大使館も置いている。
意外にも、この実力に最も着目している国が、キリスト教国とは水と油の関係にみえるイランだ。内情に詳しい現地の関係者に取材すると、イランの外交官はバチカンの行事にひんぱんに現れ、人脈づくりに熱心だとの評価が聞こえてきた。現に多くの情報を集めるため、バチカンには最大級の外交団を送り込んでいるという。
バチカンの第2の強みは、長い伝統と経験に裏打ちされた外交官の能力の高さだ。バチカンはいわば、世界最古の外交機関であり、約500年の歴史をもつとされる。外交官は4年かけて鍛え上げ、外国語は少なくとも2つ以上を習得させる。機密の保全も徹底しており、重要な情報が漏れることはまずないといわれる。
こうしたバチカンとの協力は、日本の外交にとっても大きな意味がある。バチカンの情報網は、日本が手薄になりがちな中南米や東欧、中東にも広がる。軍事力に頼らず、外交で平和を追求するという点でも、互いに協力できる余地は大きいだろう。
むろん、バチカン外交は称賛ばかり集めているわけではない。ウクライナ紛争では中立的な立場をとり、米欧からはロシアに甘いとの批判が出た。昨年9月、司教の任命権問題で中国と暫定合意を交わし、和解に踏み出したことにも反対論がくすぶる。
このうち後者の行方は、アジアの地政図に少なからぬ影響を及ぼす。バチカンは1951年、無神論の立場をとる中国と断交し、台湾と国交を保ってきた。中国に乗り換えれば、台湾の孤立は決定的となり、中台の力学は激変する。バチカン政府内からは「すぐに中国と国交を結ぶとは考えづらいが、非公式の接触は増えるかもしれない」との声も聞かれる。
カトリック信徒が人口の0.5%にも満たない日本にとり、バチカンは遠い存在に映る。その距離が縮まれば、日本を取り巻くアジアへの恩恵は計り知れない。法王の来日はまたとない好機である。