時論・創論・複眼
MMTは現実的か 財政万能論の危うさ
(複眼)
S・ケルトン氏/早川英男氏/小林慶一郎氏/小黒一正氏
日本を引き合いに出す米国発の「現代貨幣理論(MMT)」が議論を呼んでいる。提唱者でこのほど来日したニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授はインフレにならない限り、財政支出を増やせるとみる。MMTは現実的な学説なのか、財政や金融の専門家に評価を聞いた。
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■経済底上げへ赤字容認 米ニューヨーク州立大教授 S・ケルトン氏
MMTは財政がどのように機能するかを説明するものだ。予算の均衡を目指すのではなく、経済全体の均衡を考える。政府部門の赤字は非政府部門の黒字ととらえることもできるだろう。財政政策で人々の所得と自信を向上させるべきだ。
政府が支出を考える際、制限となるのは財源ではない。インフレが起きるかどうかだ。誤解があるが、MMTはいくらでも通貨を発行すればよいというのではない。通貨を発行する政府があらゆるレベルの支出を承認できるということだ。
日本が完全にMMTを実践しているわけではないが、MMTが数十年間主張してきたことが正しいと証明しているのが日本だ。財政赤字が自動的な金利上昇につながるわけではないし量的緩和も機能している。
MMTについては、どのようにインフレを避けるのかという批判が強い。ただインフレを生もうと20年間苦心している日本がインフレの回避法を考えるのはおかしなところもある。
何パーセントのインフレなら許容範囲かといった数字の議論に意味はない。賃金や所得の増加率に照らし合わせて考えるべきだ。医療費や住宅価格など価格を押し上げる原因が特定できれば、それに沿った対策を打てばよいのではないか。
仮にインフレとなった場合には増税で歳出を賄えばいい。民主主義のもとでは増税法案を議会で通すなどの対応に時間がかかるとの批判もあるが、何らかの政府支出を決める際、あらかじめ「インフレが深刻になった場合には増税する」などと決めておく。「トリガー条項」だ。「絶対にやる増税」より「もしものときの増税」の方が有権者の理解も得やすいはずだ。
財政赤字の拡大が金利の上昇を招くとの批判もあるが、むしろ逆が正しいと思う。通貨下落への懸念はあるが、それが必ずしも通貨危機とはならない。通貨安にすることで輸出を押し上げ、経済成長を促せるという考え方もある。自国内の財政政策ではなく、外需で経済成長を押し上げるということだ。通貨安の行きすぎがインフレを招くのでバランスも必要になる。
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■国債発行に限界はある 富士通総研エグゼクティブ・フェロー 早川英男氏
日本国内のMMTへの反応は、内容をきちんと精査せずに拒絶する門前払い型が目立つ。MMTを説明した論文や書物は難解なものが多いとはいえ、何を唱えているのか理解した上で反論すべきだろう。
私の理解ではMMTは以前からあるいくつかの経済の理論を取り込んでいる。ひとつが「信用貨幣論」。たとえば銀行が企業におカネを貸したとき、帳簿上は企業が借りたおカネと同額の預金が記されるという発想だ。金融の実務に携わる人は最初に習う考え方であり、常識ともいえる。
この発想を政府の国債発行に置き換えたのがMMT。政府が国債発行の形で借金を重ねても、帳簿上は預金が増えるだけ。だから国債発行は際限なく可能だ、と唱えている。
問題は価格の概念が抜け落ちている点にある。銀行システム全体としては国債発行と同額の預金が生まれるとしても、それをどれだけ国債の購入に充てるかは銀行個別の判断。国債価格の状況や見通しに基づき、銀行はどれだけ国債を買うか決めるということだ。
銀行により多くの国債を買ってもらうためには金利が上がる(国債価格が下がる)必要がある。つまり、国債発行額が増えれば金利は上がる。これが価格のメカニズムであり、金利という価格の制約が国債発行の限界をもたらすはずだ。「国債発行に際限はない」というMMTの考え方はやはり間違っている。
もうひとつの柱が「機能的財政論」だ。国の財政の役割を理解する際、雇用や物価といったマクロ経済への影響に注目しようとする理論だ。国債の残高が十分あっても市場で国債不足が問題になったこともあり、財政の健全性を示す指標を過度に心配すべきでないという主張には一理ある。
だが、この理論は1940年代の論文で唱えられ、物価や金利は上がらないという当時の特殊な状況を色濃く映している。財政がマクロ経済に与える影響として雇用と物価だけを考えるのは、視野が狭すぎる。現代の財政運営には金利や世代間のバランスへの目配りも欠かせない。
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■債務膨張、放置できず 東京財団政策研究所研究主幹 小林慶一郎氏
主流派の経済理論とMMTとの違いは、政府の債務膨張を深刻な問題ととらえるかどうか、にある。主流派は国内総生産(GDP)に対する政府債務の比率が高くなりすぎると、やがて国債価格が暴落し、貨幣価値が下落するハイパーインフレが起きると警戒する。一方、MMT論者は、自国通貨建てで国債を発行する主権国家は決して破綻せず、政府債務を問題にする必要はないと主張する。
私は主流派の理論をもとに政府債務の問題をとらえ、日本の政府債務がこのまま膨張し続ければ、安定した経済環境を維持できなくなると警鐘を鳴らしてきた。MMT論者は財政支出を増やす過程でインフレが起きそうになったら対策を打てばよいというが、政府債務が大きいときに金利を上げたら財政への信認が失われる。それを防ぐために日銀が国債を買えば今度はインフレを抑えられない。
ただ、政府債務残高のGDP比率が何パーセントになると国家が破綻するのか、主流派の間にも実は定説はない。日本の債務残高がこれだけ膨らんでいるにもかかわらず、国債価格が暴落したり、インフレが起きたりしていないのはなぜか。主流派の経済学では説明がつかない現象が起きているのは確かだ。
日本の財政は10年後には破綻するといった議論をずっと聞いてきたが、実際には破綻していない。MMTにくみするつもりはないが、今の状態でも、日本の財政は意外に長持ちするのではないかとの印象を持ち始めている。企業や個人が国債を消化できるだけの金融資産を保有し、経常収支が黒字であるなど、日本の財政がしぶとい原因はいくつかある。国内外の市場関係者も、日本国債や円の信用力を冷静に見極めているのだろう。
しかし、今の状態がいつまでも続くとは限らない。想定外の材料に市場が反応し、国債危機が起きる素地はある。増税や歳出カットが政治的に難しいのは承知しているが、政府債務のGDP比を一定の水準におさえるための政策パッケージを示し、信用不安の芽を摘むしかない。
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■物価の制御、容易ならず 法政大学教授 小黒一正氏
MMTの発想はケインズ派の理論に近い。有効需要が不足するから国債の発行による財政出動で需給をバランスさせようというのがケインズ派。MMTは過剰貯蓄で投資が不足するとき、通貨発行による財政赤字で穴埋めすると唱える。穴埋めの財源が国債か、新たに貨幣を刷る「財政ファイナンス」かの違いだけだ。
MMT登場の背景は理解できる。先進国はそろって低成長だ。低金利で金融政策の選択肢も少なく、労働市場が(正規と非正規とで)二極化する中で、財政への期待が高まっている。問題は財政拡張で制御不可能なインフレが生じた場合。MMTはインフレにならない限り、財政赤字を膨らませていいとするが、歳出削減や増税では物価上昇が止まらない恐れもある。
日本は1970年代に石油危機に伴う狂乱物価を経験した。インフレはいつどんな経路で生じるかわからない。過去の教訓から中央銀行の独立性を高めた歴史もある。インフレを簡単に抑制できると言うなら、物価上昇で苦しむアルゼンチンなどで成果を出してからにしてほしい。
ノーベル経済学賞受賞者のブキャナン氏も指摘したが、拡大した財政赤字の削減は民主主義のもとでは容易でない。物価上昇に賃金が追い付かない場合、予算を削れるかどうか。増税の政治的な困難さも明らか。日本も消費税率を5%から8%にするのに17年要した。
米国と日本の事情も異なる。国内総生産(GDP)比230%超の日本の債務残高の水準は米国より圧倒的に高い。利払い費がインフレや金利上昇から受ける影響は日本の方が大きい。米国は今後も人口が増える見通しで、財政拡張で債務が増えても吸収できる。人口が減る日本は1人当たり債務負担が大きくなる。
日本の成長力低下は政府だけの問題ではない。企業が新しい財・サービスを創造する力も弱まっている。少子高齢化の影響も大きい。貧困高齢者の増加やインフラの途絶といった問題も意外に早く顕在化しよう。砂漠に水をまくような政府支出を改め、本当に支援が必要な人々への再分配強化などを議論すべきだ。
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〈アンカー〉財政政策への過信に危うさ
インフレがいきすぎない限り、財政赤字は問題ではない。過度のインフレが心配な状況になれば財政引き締めで制御できる。
MMT論者の話を聞いていると、財政政策で雇用や物価を自在にコントロールできるという自信がうかがえる。
政府が雇用を保障するプログラムを入れれば、失業者の多い不況期に政府支出は増えるが、好況期には減る。財政の自動調整機能が働くという。ケルトン氏は、インフレ加速の懸念が出たら歳出削減や増税などを実施するようあらかじめ法律に組み込むことも提唱する。
ひんぱんに選挙があり政権も交代する民主主義国家で、果たしてこのような法律を通して実行できるのだろうか。金融政策ですべて解決できるという議論には限界がみえているが、MMTの財政政策への自信も過剰にみえる。