琴を抱えて李白と会う

 

阿辻哲次



 日本でも古くから多くの人々に愛唱される、李白の「山中にて幽人と対酌す」という詩がある。

両人対酌すれば 山花開く

一杯一杯 また一杯

我は酔うて眠らんと欲す 卿は且(しばら)く去れ

明朝意あらば、琴を抱いて来たれ

 (花のもとで友と酒を酌みかわし、一杯一杯と飲むうち、すっかり酔ったのでひと眠りする、明日その気になったら琴をかかえてまたおいで)

 酒を愛した李白らしい作品だが、詩の最後に李白から「明日その気になったら琴をかかえてまたおいで」と誘われた友人は、翌朝もういちど「琴」をかかえて、山中に向かったのだろうか?

 私たちが知っている「琴」という漢字は、長方形の胴の上に張った十三本の弦を琴爪で弾く弦楽器を表している。琴の長さは流派によってちがい、山田流では六尺(約百八十センチ)、生田流の琴には六尺三寸(約百九十センチ)に及ぶものもあるとのこと、そんな二メートル近い楽器をかかえて、山の中まで李白に会いにいくのはさぞかし大変だろう……と心配する必要はまったくない。

 中国の古典に出てくる「琴」は、長さ約一・三メートル、幅二十センチの楽器で、弦を七本張るが琴柱(ことじ)はなく、左手で弦を押さえ、右手で弦をはじいて演奏する。この中国の「琴」も決して小さくはないが、しかし李白と飲めるのだったら、がんばって持って行けるくらいの大きさだとはいえるだろう。

 日本でいう「琴」は、もともと「箏(そう)」という楽器だった。「琴」と「箏」は別の楽器で、どちらも奈良時代に日本に伝わった。唐で作られた「琴」が正倉院に残っているが、その後日本では楽器としての「琴」が消え、漢字だけが残った。

 いっぽう「箏」はその後も日本で弾かれ続けたが、戦後に漢字制限のために作られた「当用漢字表」に「箏」が収録されず、この字が公文書などで使えなくなったので、「箏」の書き換えとして「琴」が使われるようになった。

「箏」をかかえた友がきたら、李白もさぞ驚いたことだろう。

(漢字学者)

 

 

 

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