米社会 偽りの能力主義
エドワード・ルース 北米 FT FT commentators
「上達するまでは何事も楽しくはならない」と米エール大法科大学院のエイミー・チュア教授は自著「タイガー・マザー」(邦題)で書いた。2人の娘に自国、中国流の厳格なスパルタ教育を施したという自らの回顧録が全米で賛否両論を巻き起こしてから8年。チュア氏は今も猛烈な教育ママぶりを発揮、注目を集めている。
11日、同氏の娘ソフィア・チュア・ルーベンフェルド氏がブレット・カバノー最高裁判事に書記官として採用されたことが明らかになった。カバノー氏は昨年、トランプ大統領に判事に指名された後、高校時代の性的暴行疑惑が浮上したため、その承認を巡り議会の公聴会は荒れた。だがチュア氏が米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)にカバノー氏が若手女性弁護士の指導者としていかに素晴らしいかという評論を寄稿したことも影響し、最終的には承認された。
アジア系米国人がハーバード大を相手に「誰でも平等に教育を受ける権利」を求めて起こした集団訴訟の行方が注目を集めている=ロイター チュア氏は抜け目のないやり手だ。若い弁護士にとって最高裁の書記官としてスタートすることは、弁護士としてその将来をほぼ保証されたようなものだ。
本人が世間の注目を集めていることをどう思っているかは分からないが、同母娘は一夜にして、米国の能力主義がいかに信頼できないものかを象徴する存在となった。
チュア氏が影響力のある人にすり寄るのは意外ではない。同氏はリベラル派の学者と見られていたが、大手メディアの紙面という公的な場を使い保守派判事のカバノー氏を称賛するという信じがたい行動を取った。エール大の卒業生を誰もが望む最高裁書記官として送り込む学内委員会を率いる立場でWSJに寄稿したことは、カバノー氏の信用度を大いに高めた。
■見返り期待の称賛は合法
この見返りを期待した見え透いた行為に何ら違法性はない。一方、米俳優ロリ・ロックリンとフェリシティ・ハフマン両氏は、我が子を一流大学に入学させるため、虚偽の内容を大学に郵送したとして今年3月に起訴された。
米人気ドラマ「フルハウス」に出演したロックリン氏は娘2人を南カリフォルニア大学に入学させるため、50万ドル(約5400万円)を業者に支払い、高校時代にやってもいなかったスポーツの実績をでっち上げ入学申請書を作成した疑いが持たれている。ハフマン氏は1万5千ドルを支払い、娘の大学進学適性試験(SAT)の点数を水増しさせたと認めている。 米連邦捜査局(FBI)が「バーシティー・ブルース作戦」と名付けたこの多数の著名人による大学不正入学事件により、このハリウッド俳優2人と、ロックリン氏の夫は懲役刑を受ける可能性もある。
米国人がチュア氏の寄稿や大学不正入学事件を巡り、どこまでやると問題なのか、もはや分からなくなっているのも無理もない。
単純計算では、平均的米国人が一流大学に入学できる可能性は、恵まれた家庭に生まれない限りわずかしかない。これまでの研究では、低所得家庭出身で数学の成績が上位25%に入る8年生(14歳)は、高所得家庭出身で成績が下位25%の子どもより卒業できる確率が低い。
能力主義のあるべき姿と正反対になっているのが今の実態だ。アイビーリーグ(東海岸の有名私立大学)の学生数をみても、所得が上位1%の富裕層の出身者の方が、下位60%の家庭の出身者より多い。チュア氏の娘のように社会的に大成功し教育熱心な両親のもとに生まれれば、向かうところ敵なしだ。
世の中にはこういう面もあるが、米国の大学に入るにはさらに3つの障壁がある。
■卒業生の子どもや孫を優先
第1は「レガシー制度」だ。他の多くの民主主義国と違い、米一流大学は両親や祖父母を卒業生に持つ受験生を優遇する。
「世襲優先」と呼ぶ方がふさわしいこの制度は、米国が掲げる理念とは対極にある。アイビーリーグでも、学生の約6人に1人は卒業生の子弟だ。
そのしわ寄せで、優秀なのに恵まれない家庭出身の子どもが入学できる可能性はひどく狭められている。
第2は積極的差別是正措置(アファーマティブ・アクション)だ。米裁判所が近く、アジア系米国人がハーバード大学を相手に起こした集団訴訟の判決を下す。同大は人種差別と見なされないように、かなりの入学枠をヒスパニック系とアフリカ系米国人に割り当てている。だが、原告のアジア系受験生らはその分、自分たちの入学を認められず差別されていると主張している。ヒスパニック系やアフリカ系受験生の中には、卒業生の子供もいるという事実も二重の意味で皮肉だ。
裁判でどんな判決が出ても、この裁判は最高裁まで争われるだろう。そうなればエール大で「レガシー」学生だったカバノー氏が、アファーマティブ・アクションの存続に関してキャスチングボートを握る可能性があり、それもまた皮肉に満ちた話だ。
第3は莫大な富が持つ容赦ない力だ。もし図書館や医学研究所を寄付する人が出てきたら、大学は万難を排してその子女を入学させて報いるだろう。典型例がトランプ大統領の娘婿ジャレッド・クシュナー氏だ。SATの点数が低かった同氏がハーバード大に入学できたのは、クシュナー氏の父が同大に250万ドルを寄付したからだと批判する人も多い。
■賄賂まがいの寄付も課税控除対象に
しかも、米国の税制では、こうした大学への賄賂まがいの寄付でも課税控除対象となる。
米一流大学の側にも問題がある。今や大学が受け取る寄付額はいくつかの国の経済規模より大きい。
例えば、ハーバード大が集めた380億ドルに上る寄付総額はエルサルバドルとニカラグアの国内総生産の合計より多い。それでも大学の野心は止まることがない。
一連の大学不正入学事件で起訴された著名人で最も悪質なのが米投資ファンドTPGの元パートナー、ウィリアム・マクグラシャン氏だ。同氏は息子を一流大学に入れるため、25万ドルを不正に使ったとされる。同氏はTPGで「資本主義を生かし社会貢献度の高い投資をしよう」というファンドの責任者だった。
「社会的に善いことをし、かつ自分も利益を得られる」。これが同ファンドのうたい文句だった。チュア氏の話に戻れば、エリートにとって最も強い自制心は羞恥心ではなかろうか。恥ずかしいという概念がなければ、何をしても構わなくなる。
米国人なら誰でも大学入試が不正に操作されていると気付いているだろう。何が違うかといえば、法に触れない範囲で不正をするのか、法を犯してまで不正をするのかという違いがあるだけだ。