複眼

 

大学発医薬特許 どう生かす

 

 

 がん免疫治療薬「オプジーボ」のもとになる研究成果をめぐり、ノーベル賞受賞者の本庶佑・京都大学特別教授が小野薬品工業に対し、共有特許の使用対価(ロイヤルティー)が少なすぎると不満を表明している。問題の背景と回避策を、産学連携や知的財産ビジネスの担い手に聞いた。

 

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■投資は企業にとって賭け

 

 知的財産戦略ネットワーク社長 秋元浩氏

あきもと・ひろし 東大で薬学博士取得後、武田薬品工業入社。創薬に従事後、常務として知的財産戦略を統括した。2009年に起業し現職。77歳。 

 生命科学分野の研究開発は時間とカネがかかり、失敗のリスクが大きい。初期の共同研究は企業が1000万円程度を出してスタートする場合が多いが、成果はそう簡単には製品にならない。このため企業は大学とマイルストーン契約を結ぶのが一般的だ。

 たとえば共同研究で新薬候補物質がみつかり、大学が特許を得たとする。この物質で臨床試験を実施する場合、少人数で安全性を確かめる第1相、被験者を増やして有効性もみる第2相、そして多人数で試す第3相と段階が進むごとに企業から大学に報酬を支払う。この合計が通常、数十億円規模だ。さらに、審査当局の承認を得て製品化したら売り上げの一定比率をロイヤルティーとして支払う。

 米国のハーバード大学やスタンフォード大学も、こうした方式をとっている。ロイヤルティーの比率はケース・バイ・ケースで、だいたい3〜10%だ。(オプジーボのもとになっているような)生体高分子では高い傾向がある。

 いま手掛けている研究がどう発展するか、ヒット商品が生まれるのかなんて誰にもわからない。本庶佑氏の場合も普通なら気付かないような素晴らしい発明だった。逆に言えば、だからこそ画期的な新薬になった。京都大学の知的財産部門を責めるわけにはいかない。武田薬品工業も、そのすごさがわからず本庶氏と組まなかったのだから。

 日本に比べて、米欧の企業の方がハイリスクな研究に賭けてみようとする傾向があるのは確かだ。まったく新しいアイデアや発見を大切にする。日本はすぐに「わからない」「これでは全然だめだ」と言いたがる。ベンチャーキャピタル(VC)の投資基準も厳しい。3、4年で企業価値が4倍以上になると判断しない限り投資しない。

 新薬は特許出願後、製品化まで10年程度かかることも多く、この基準では投資対象になりにくい。海外に持っていった方が物事が早く進む。米欧のVCや大手製薬企業などは、新しい薬の作用メカニズムなどの優れた研究がないか世界の大学などに目を光らせており、早い段階から協力関係を構築しようとする。

 日本は伝統的に工業分野の特許がわかる人は結構いるが、生命科学系は少ない。武田のような大手でも知的財産部門は数十人どまりで、電機業界より1桁少ない。これで医薬品の世界最大市場である米国で勝負するのは大変だ。大学の側にも特許交渉をしっかりできる人材が必要だ。

 大学発の成果を海外の企業にライセンスするお手伝いをしているが、交渉は厳しい。ロイヤルティーを受け取る場合は、「これくらいで妥当」と思われる率の10倍をふっかける。すると相手が10分の1程度を提案し、最終的にこちらのもくろんでいた水準に落ち着くということもある。

  先端生命科学を理解し、なおかつ企業と厳しい交渉ができる人材を育てる必要性はずっといわれているが、実現していない。自前で一から育成しようとしたら10年はかかるだろう。海外の企業から引き抜くなどしてそろえることも考えてよい。

 

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■研究者もニーズ把握を 

 

東京大学TLO副社長 本田圭子氏

ほんだ・けいこ 明治薬科大院修士修了後、東大で医学博士取得。特許事務所を経て東大TLO(当時は別名称)入社。2018年副社長。弁理士。54歳。 

 大学が2004年に独立行政法人化して以降、先生方の意識はずいぶん変わった。かつては知的財産の話をしようとすると「俗っぽいことを言うな」と制止されたが、今では特許の取り方を向こうから聞いてくる。大学の技術移転機関(TLO)の草分け、東京大学TLOでは年間500件以上の発明届けがあり、5〜6割が特許出願に結びつく。

 もちろん、こちらからも働きかける。社員には「営業マンになれ」と言っている。たとえば生命科学の先生に「この研究を患者さんの治療に使えるといいですね」と持ちかければ、皆その通りだと言う。世の中に何が必要なのか、何をどう変えたいのかを議論しながら特許にすべきものがあるか判断する。

 企業ニーズの把握も大切だ。この仕事を始めたばかりの頃は単に「すごい」「新しい」と思えるものを企業に紹介していた。しかし、分子の振るまいや溶液の濃度などについて突っ込んだ質問を受け返答に窮した。企業が技術を評価する基準を経験を通して学び、研究者に伝えることで技術移転がしやすくなった。目利きの力がついたというよりも、研究や技術に関する「物語」を先生とともに考えられるようになった。 

 企業の担当者からは「本当はこんなデータが欲しい、と思っても先生に直接は申し上げにくい」という話を聞く。先生の側も「お金をこれだけ出してほしい」とは言いづらい。今後の関係を考えて互いに遠慮してしまう。だからこそ仲介役が必要になる。

 特許化やライセンス契約を考えるタイミングは、大学と企業とでは必ずしも一致しない。いったん企業に共同開発を断られ出願も絞り込んだのに、数年後に「特許はどうなっているか」と聞かれて戸惑ったこともある。特許化を見送った技術が後で大ヒットし、悔やんだこともある。

 かつては先生の論文発表前に慌てて出願しようとしたものだが、最近は多少遅れてもデータをしっかり集め、技術の質を高めたうえで、企業との交渉や特許化に臨むようになった。ノウハウは他のTLOとも共有し、米国の例も研究して交渉力をつけようとしている。

 産学共同研究の進め方は日本と米国などではかなり異なる。日本企業はまず現場レベルであまり目立たない形で始め、特許契約も結ばない。ある程度進み、うまくいきそうなら初めて事業プロジェクトに格上げされる。一方、米国などは全社レベルのプロジェクトがまずあり、そこにうまくはまり込むと判断されれば共同研究を始める。事業化を前提に契約し、ロイヤルティーなども決める。

 このところ日本でもバイオベンチャー企業(VB)が増えてきた。大学の技術を直接大手製薬企業に移すのではなく、まずバイオ企業で育て、臨床試験に近づいたあたりで大手につなぐルートができつつあり期待がもてる。本庶佑氏の成果も米VBのメダレックスが関心をもったことが、新薬開発に結びついた。同社はのちに米大手ブリストル・マイヤーズスクイブ(BMS)に買収された。バイオVBの役割は重要だ。

 

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■特許制度に改善余地

 

 政策研究大学院大教授 隅蔵康一氏

すみくら・こういち 東大院修了、工学博士。東大助手、文科省の政策研究所などを経て2016年現職。知的財産、イノベーション政策に詳しい。48歳。 

 小野薬品工業は本庶佑氏と特許に関する契約を結び、それに基づいてロイヤルティーを支払っているので法的に間違ったことをしているわけではない。根拠なく追加の支払いをすれば、経営陣が株主に訴えられるおそれもある。

 両者の対立を見て思うのは、特許制度に問題があるのではないかということだ。特許権の共有について定める特許法73条によると、産学で共有する特許をどちらかが第三者にライセンス許諾しようとする場合、もう一方の共有者の同意が必要だ。共有者の一方が自分の持ち分を第三者に譲渡する場合も、同じように同意を得なくてはならない。

 このため、大学が企業と共有する特許をどこか別の企業にライセンスしたい場合、共同研究相手の企業はそれを拒否できる。逆もありうるが、大学は権利を行使しない代わりに、企業からある種の補償金を受け取る場合が多い。最初に共同研究契約を結ぶ際に、そうした取り決めをする。

  本庶氏のケースは同氏個人と企業の契約で補償金の話も出ておらず、あてはまらないかもしれない。しかし、現行制度では企業が自由に特許を使える一方、大学にはそれができないという構図ができあがりやすいのは確かだ。補償金に法的根拠はなく、企業は大学との「お付き合い」を続けるための費用ととらえている向きもある。大学に実績や交渉力がないと、金額はかなり低いようだ。

 米国では共有特許のライセンスや譲渡に際して、共有者の同意を義務付けていない。日本では大学が管理する特許のほぼ半数を企業と共有している。しかし、米国では共有せず、共同研究の成果であっても大学が単独で特許を得るのが一般的だ。そのうえで、企業は特許の独占的な使用権を得る契約を結ぶ。企業が大学の特許をまるごと買い取ることもある。

 小野薬品に限らず、企業は当然ながら自社に不利な契約は結ばない。発明内容をもとにコストをかけて製品化し、マーケティング活動をして売り上げを立てる。それに見合った対価を得ようとする。だが、大学とは長期的に良好な関係も保ちたいので、ひどい行動には出ないものだ。

 大学は企業の狙いを見定めて、対等に交渉できる力をつけなければならない。大学の産学連携本部や技術移転機関(TLO)は増え、広域をカバーする関西TLOなどもある。研究者はこれらを最大限活用するとよい。京都大学などには、かつては企業と結びつくのをよしとしない文化もあった。政策的に産学連携が推進されても、しばらくはその影響が残っていたようだ。

 日本の大学が出願する特許の権利範囲は狭く「成立したらもうけもの」という感覚の場合が多い。弁理士にも「手数料さえ取れればいい」と考える人たちがいる。しかし、礎となるべき特許が貧弱だと企業は投資を決めづらい。大学は出願段階から企業が使いやすい特許を工夫すべきだ。大学、企業、投資家の間でお金も人もうまく循環し地域活性化にもつながる「イノベーションのエコシステム(生態系)」を築くことが大切だ。

 

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<アンカー>

外資との交渉力も必要に 

 「眉唾物」ともいわれていたがん免疫治療への投資に不安だった小野薬品工業。特許交渉のノウハウが不足していた本庶佑氏。大学発の知的財産の保護や活用の仕組みが不十分ななかで、ボタンの掛け違いは起きた。小野薬品は22日、特許対価の上乗せを否定し、両者の主張は平行線をたどる。

 今、同じような発明があったらどうだろうか。日本の製薬企業は世界の中では小粒で思い切ったリスクをとりにくい。技術移転機関(TLO)は多数あるが、順調なのはまれだ。結局、似たようなトラブルを繰り返すかもしれない。

 日本の大学には新薬の種がまだかなりあるといわれ、米欧の大手企業が食指を動かしている。製品化で海外勢と組む選択肢もあってよいが、戦略的に交渉できる態勢を整えないと失うものは大きいだろう。

 

 

 

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