ファミコン、PS、セガサターン…ハード、ソフト保存に奮闘 

 

ゲーム文化をいかに残すか 

細井浩一 

 

 ソフト1万点超、ハード約100点、攻略本や 雑誌など関連資料4千点。私が代表を務める立命館大学の「ゲームアーカイブプロジェクト」が、20年かけて集めたものだ。図書館の資料の保存法なども参考に、大学の保管庫に室温24度、湿度50%の環境をつくった。ソフトは専用の保管箱に入れて保存している。

 始まりは、学生たちの希望だった。私は大学、大学院と立命館で学び、名古屋の大学に経営学の教員職を得た。1994年、立命館大が政策科学部を立ち上げ、そこへ移籍することに。既存の経営学部もある中、新学部で何を研究したものか。

 

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 経理におもちゃ扱い 

 新学部1期生のゼミ生に何を研究したいか聞くと、口をそろえてゲームという。彼らが入学した94年はプレイステーションとセガサターンが発売された年。83年発売のファミリーコンピューター(ファミコン)の洗礼を小学生で受けた世代だ。

 研究には資料と、土台となる統計やデータベースが欠かせない。ゲーム機やソフトを買い研究室に持ち込んだ。領収書を経理に出すと「先生、研究費でおもちゃを買ってはいけませんよ」。当時、ゲームを「文化」と考える人はごく一部。押し返せないのが悔しかった。 

 ならばと、同じ京都にある任天堂に資料としての貸与をお願いしたが、研究とは何をするのかと逆に質問され、うまく答えられなかった。 

 そんな状況を変えてくれた恩人が、京都府の課長だった山下是正さん。ゲームは映画に続く京都の宝、と考える山下さんが間に入って任天堂との話し合いが始まった。 任天堂で対応いただいたのが、ファミコンとスーパーファミコンの開発責任者を務めた「ファミコンの父」上村雅之さん。だが山内溥社長(当時)の「前しか向くな」という考えが浸透する同社では過去のソフトや資料を保管していないという。

  諦めきれず、上村さんを何度も訪ねた。しばらくして電話をもらった。「個人の整理用に過去のソフトを一通り持っている。それでよければ」「是非お願いします!」

 山下さんの力添えもあり、創業支援施設に部屋を用意できプロジェクトが始動した。お借りした1800本弱のソフトで学生とデータベースづくりに励んだ。当時使っていたプラスチックケースが保管によくないと知ったのは後のことだ。

 

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任天堂と正式契約 

 当初、プロジェクトは98年9月までの半年限定だった。上村さんや山下さんらと集まり話し合った。「まだまだやるべきことはある」。99年、任天堂と立命館大で資料寄託契約を結び、産学官連携のアーカイブプロジェクトが正式に発足した。

 

 その後はセガなどからも寄贈を受け、アーカイブを充実させてきた。研究者と業界関係者が集まるイベントを開き、ゲームに関する著作権を研究し、と大きなプロジェクトに育った。立命館大には映像学部やゲーム研究センターが設置され、文化庁「メディア芸術データベース」のゲーム分野のデータ作成なども担当させてもらっている。

 

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海外機関とも連携

 上村さんは04年に任天堂を退職、立命館大でゲーム研究を続けている。プレーヤーがゲームする様子とその画面、コントローラー操作の3つを組み合わせ、1つの映像でゲームを記録する手法は上村さんのアイデアだ。山下さんは京都府副知事になられ、ゲームを含むコンテンツ分野の振興政策をけん引している。

 私は4年ほど前から、ゲーム保存に取り組む海外機関との連携にも力を入れている。米ストロング遊戯博物館などに足を運ぶと、子供にゲームの面白さを伝える素晴らしい展示に圧倒される。我々は所蔵が主な活動で、展示などへの利用はほぼできていない。日本が誇る文化を後世に残すためやるべきことはまだまだ多い。 

(ほそい・こういち=立命館大学教授)

 

 

 

 

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