過剰債務の破局 どう防ぐ 

 

マーティン・ウルフ FT FT commentators 

 

 本稿は「世界が低インフレの訳」(10日付)の後編である。 「世界は火に包まれて終わるとある人は言い、氷に覆われて終わるとある人は言う」。これは、米国の詩人ロバート・フロストの美しい詩の一節だが、世界経済の展望にもののみごとに当てはまりそうだ。

 

 債務水準が極めて高くインフレ率が極めて低い現在の世界は、インフレの炎に包まれて終わると警告する人がいる。その一方で、デフレの氷に覆われて終わると懸念する人もいる。前編に登場したレイ・ダリオ氏のように楽観的で、経済は燃えもしなければ凍りもしないと言う人もいる。少なくともいつでも自由に増発できる通貨で借りられる幸運とそれを生かす知恵を持ち合わせた国の経済は、熱すぎず冷たすぎずの状態に導ける、と主張する。

 国際決済銀行の元チーフエコノミスト、ウィリアム・ホワイト氏は2007〜09年の金融危機を的確に予見した人物だが、そのホワイト氏が昨年、次の危機を予言した。彼が問題視するのは、高所得国の非金融部門、特に政府部門の債務と、高所得国および新興国の企業債務が膨張し続けている点だ。中でも危険なのは、債務の大半が外貨建ての新興国だという。バランスシート上で通貨のミスマッチが生じるからだ。この状況下で、金融政策はリスクテークを促し、金融規制はそれを阻もうとしている。これでは経済の不安定化を招くことは必定だ。 

 

■低インフレでも需要急増すれば一気にインフレに 

 インフレの炎から始めよう。今起きている多くは、1970年代前半を想起させる。反道徳的な大統領(リチャード・ニクソン)が大統領再選を確実にしたいとの思惑から、連邦準備理事会(FRB)議長(アーサー・バーンズ)に景気を刺激するよう圧力をかけた。同時に、ドル安誘導と保護主義を介して貿易戦争を仕掛けた。かくして10年にわたり世界経済は混乱することになる。何やら聞き覚えのある話ではないか。

 70年代のインフレを予想した人は、60年代後半にはほとんどいなかった。同様に今も、安定した低インフレが長く続いたため、失業率が低いにもかかわらず(米国の失業率は69年以来の低い水準にある)インフレ高進への懸念は薄らいでいる。中には、失業率が低くてもインフレ率が上がらない現状を踏まえ、フィリップス曲線は死んだと言う人もいるほどだ。恐らくインフレは休眠中なのだろう。今のところインフレ期待が上がる気配はないが、需要が急増すればインフレ率が一気に高まる可能性は大いにある。

 インフレ率の上昇はある意味、経済にとって恵みだ。巨額の公的債務を目減りさせる効果があるからだ。70年代のインフレがまさにそうだった。それに中央銀行はインフレ高進への対処法をわきまえている。ただ、一段のインフレが見込まれる状況では長期名目金利の上昇にもつながるので、実質債務負担の前倒しが起きがちだ。

 また80年代前半の例からすると、短期金利も上昇し、投資家心理の悪化度合いを示すリスクプレミアムも押し上げられるはずだ。割高となっていた株価は急落しかねず、労使関係も政治も対立が激化するだろう。

 こうした混乱は当然ながらすべての国に一様には起きないため、通貨相場も動揺するにちがいない。そうなれば、中央銀行をはじめ政府機関への信頼は大きく損なわれる。最終的には80年代のようにスタグフレーションが起き、それが深刻な景気後退に移行する危険性が高い。 

 

■デフレに対処する手段は今や限られる 

 次に、デフレの氷に移ろう。デフレは経済への何らかのショックから始まると考えられる。例えば貿易戦争の激化、中東での戦争勃発、民間部門または公的部門に端を発する金融危機(中央銀行の政策自由度が低いユーロ圏が危ない)などだ。そうしたショックは深刻な景気後退、さらにはデフレを引き起こす可能性がある。そしてデフレが過剰債務にとって痛手であることは言うまでもない。

 ここで重大な問題は、金利が既にこれほど低く、伝統的金融政策(短期金利の引き下げ)も、今ではすっかりおなじみになった非伝統的金融政策(資産購入)も不十分だと判明した状況で、どうデフレに対処するのか、ということだ。

 他に政策がないわけではない。中央銀行によるマイナス金利の導入、中央銀行の当座預金金利を下回る金利での市中銀行への貸し出し、外国通貨建て資産を含むより広範な資産の購入、国債のマネタイゼーション(財政ファイナンス)、国民に直接お金を供給するヘリコプターマネーなどが考えられる。こうした政策のほとんどは技術的または政治的に問題が多いし、中央銀行と政府が緊密に連携する必要がある。だからといって政府が手をこまぬいていたり対応が遅すぎたりすれば、30年代の大恐慌のように、連鎖的な倒産と債務デフレを通じて不況を引き起こすことになりかねない。2008年の金融危機では経営不振に陥った企業(金融機関)は倒産させればいいなどと多くの愚か者が提案した。 

 

■まず債務比率の高い経済の健全化が不可欠 

 とはいえインフレの炎にせよデフレの氷にせよ不可避なわけではない。むしろいずれも正しい選択をしなかったがゆえに招いてしまう悲劇と言うべきだろう。なぜならダリオ氏の言うように、両極端を避けることは可能だからだ。

 そのためには、財政政策と金融政策を組み合わせてインフレなき成長を創出する必要がある。まず債務比率の高い経済を健全化させる方向にインセンティブを修正する。また今の借金頼みの資産バブルへの依存を減らすべく、個人消費を高められるような政策に転換する。さらに金融機関の抱える債務を家計のバランスシートに移転させる。

 仮に実質金利が上昇しても、生産性は伸びているだろうから、インフレなき健全な成長が債務負担におよぼす影響は、まず間違いなく金利上昇の影響を打ち消しておつりが来るはずだ。こうしてかねて懸案である「長期停滞」を脱し、少しましな状態に移行できると考えられる。微妙なさじ加減が必要だが、炎や氷よりはるかにましだ。 

 1930年代や70年代の失敗を繰り返す必要はない。だが私たちは既に十分失敗を犯してきたうえ、まさに今、全体としてはさらに失敗を重ねており、炎か氷、あるいはその両方を招きかねない。

 世界の経済的、政治的秩序の崩壊は大いにあり得る。そのことがここまでの債務を抱えるに至った今の世界経済と、緊迫の度合いを深める国際政治に与える影響は全く予想がつかない。

 しかし、極めて深刻なものになり得る。予想外に早く事態が悪化しても、国家主義に傾きがちな政治指導者たちが互いに協調した行動を取ることはできまい。それが、現在の状況で最も心配なことである。

 

 

 

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