古代中国の鵜

阿辻哲次

 

  岐阜の長良川では、毎年5月11日から鵜飼いがはじまるそうだ。私も一度見たことがあるが、かの芭蕉が「面白うて、やがて悲しき」と詠んだ通りの実感で、生まれ変わっても鵜にだけはなりたくないな、と思ったものだった。

 鵜飼いに使われるのはウミウという種類だそうだが、「鵜」はもともとカツオドリ目ウ科に属する鳥の総称で、必ずしも夏の風物詩でおなじみのウミウだけとは限らない。なお「鵜」の音読みはテイで、ウは訓読みである。

 中国最古の詩集である『詩経』にも「鵜」が登場する。「候人」という詩に「維(こ)れ鵜は梁(りょう)に在るに、其(そ)の翼を濡(ぬ)らさず」とあり、伝統的な解釈では、魚を捕るために川をせきとめた「梁」という仕掛けに「鵜」がいながら、翼が濡れていないという異常事態で、人徳のない「小人」が朝廷を牛耳ることとなった社会を批判しているとされる。

 この解釈が正しいかどうかはさておき、ここに出てくる「鵜」は、全国各地で行なわれる鵜飼いで活躍しているあのウではないらしい。

 『詩経』に見える動植物について研究した書物によれば、この「鵜」はミサゴのように大きな水鳥で、一尺(三十センチ足らず)のクチバシをもち、数升もの水が入る「胡」(クチバシの下に垂れている「のど袋」)がある。そして沼地に魚がいれば、何羽かが群れになって沼の水をかいだし、水がなくなってから中の魚を捕食するという。

 長いクチバシの下に大きな袋があるという記述から考えれば、それはどうやらペリカンのようだ。ペリカンは温帯から熱帯にかけての広い地域に生息し、時には日本にも「迷い鳥」としてやってくることがあるから、この詩が作られた黄河流域にペリカンがいても、実はそれほど不思議ではない。

 ペリカンが沼の水をかいだして魚を食べるという話は聞いたことがないが、しかし「クチバシの下に袋がある」鳥についてあれこれ考えた江戸時代の儒学者は、この詩の解説に、アヒルのような鳥を描いている。実際にペリカンを見たら、さぞや驚いたことだろう。

 

 

 

(漢字学者)

 

 

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