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「空」という真実知る対話



浄土真宗本願寺派総長 石上 智康氏


いわがみ・ちこう 1936年生まれ。東京大院修士課程修了。全日本仏教会理事長などを経て現職。武蔵野大と龍谷大の理事長。著書に『生きて死ぬ力』など。



日々の暮らしの中でも口をつく「無常」という言葉。その仏教上の意味にハツと気付いた若き日があった。


 東京大の大学院で印度哲学を学んでいた1960年ごろ。実家である東京の芝の寺へ帰る途中でした。講義で聴いた用語が頭をよぎっていたのです。

 寺に着くと、近所の子らが境内にあった藤の古木の枝に上り、遊んでいました。ふざけて、木を揺する姿に「やめなさい」と注意しようとしたとたん、藤はドサリと崩れたのです。

 あっと驚きが走つたのですが、その時、ひらめきました。

 「なるほど! これが無常、すべて変化しているということか」。同時に身も心も、私という構えというか自意識も、何もかもがすっぽりと抜け落ちました。すべてが一つになり、何の障りもありません。あるがまま、裸のままが、あらわになっていました。

 「座右の書」との対話。それを通じ、仏法2500年の根本を教えられました。すべては原因や条件、縁が関係し合つて起きている「縁起」です。だから固定した実体はない。これが「空」。縁起しているという事実を妨げる執らわれや悪などなにもない、という真実についてです。


全日本仏教会の理事長などとして、宗派を超え、国際的な活動にも携わった。

 最近、米大統領が中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄する意向を示しました。実は、1980年代に核配備で東西の対立が激しかった時分、米の力トリック司教団が教書『The Challenge of Peace;God's Promise and Our Response」を出しています。これを読み西洋と東洋の考え方の違いについて考えさせられました。

 教書は「均衡に基づく抑止は道徳的に容認できる」との趣旨の当時のローマ法王の言葉を引用しています。inalienable(譲ることのできない)権利という単語が主張のキーワードです。

 この言葉は「世界人権宣言」にもあり、さらに、一昨年、当時のオバマ米大統領の広島演説でも使われました。神から与えられた、生命・自由・幸福追求を含む譲ることのできない権利は断固守らねばならないという考え方でしょう。

 力トリックは現実の世界と厳しい格闘をしています。同時に「無常・縁起・空」といった仏教の真理観は、つくりごとがないので、共存の思想のバックボーンや世界平和の創造へ貢献できるとも考えています。



若いころから、文学も愛読してきた。切れ味するどい表現や、愛情に満ちた描写に引かれる。


 司馬遼大郎の「街道をゆく」には次のような指摘があります。

 「すべて救われるという親鸞的な世界には、偽善がないかわりに、敬虔、崇高、高潔といった要素も少ない」

 「禅のさとりというのは、道元のような百万人にひとりといった天才のためのものか」。彼が記者のころ、宗教の取材もしていただけあり、ドキッとする視点ですね。

 志賀直哉の『暗夜行路』は冒頭がいい。屋根の上にいる5歳前後の息子を母親が心底から危ぶむ描写に感動したことを覚えています。母親は無事に地上に降ろされた息子を激しくぶち、泣きだします。本物の愛情が実感として迫ってくる生き生きとした文章です。

 最近の作家では小川洋子さん。

 赤ん坊連れで銭湯に来た母親を補助する「小母さん」が主人公の短編があります。彼女の庇護する腕がなければ「ただそこに転がっているだけだった。にもかかわらず、欠けたものは何一つない十全な生命なのだった」という一行と「ひたすら赤ん坊のためだけに我が身を捧げている」という結びで決まっています。



日本最大級の仏教教団のトップとして組織運営に当たる日々だ。

 政治家として、賛否のある田中角栄ですが、自らが組織の運営をするようになって、彼の言葉の重みが増したように思います。「手柄はすべて連中に与えてやればいい。ド口は当方がかぶる」。官僚との接し方だそうです。共感しているうちに付箋だらけになりました。




【私の読書遍歴】


 《座右の書》


 『ブッダの真理のことば 感興のことば二(中村元訳、岩波文庫)


 『ブッダのことば』(同、同)


 『現代語訳 大乗仏典1 般若経典』(中村元著、東京書籍)


 『親鸞聖人御消息 恵信尼消息 現代語版』(浄土真宗教学伝道研究センター編、本願寺出版社)



 《その他愛読書など》


@「司馬遼太郎全集」(特に57巻、59巻の「街道をゆく」、司馬遼太郎著、文芸春秋)

A『暗夜行路』(志賀直哉著、新潮文庫ほか)

B『口笛の上手な白雪姫j(小川洋子著、幻冬舎)「 ̄小母さん」を主人公とする表題作
 のほか、全8編を収めた短編集。

C『田中角栄 100の言葉』(別冊宝島編集部編、宝島社)

D『ホモ・デウス』(上。下、ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳、河出書房新社)将来の人類のありようを予言している、紙片にメモを取ったり、本に直接、感想や疑問点を書き入れ、読み進めた。

 

 

 

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