経済教室
「情報の時代」の未来
データ取引 個人が主体で
意思決定支える仕組みを
高口 鉄平 静岡大学准教授
ポイント
○ デーク取引の実現へ情報銀行などの構想
○ プライバシーの関連コストが取引に影響
○ データの価値認識で個人が誤った判断も
個人の位置情報や購買履歴など「パーソナルデータ」の利活用への期待が高まっている。ビッグデータや人工知能(AI)、あらゆるモノがネットにつながるToTなどの技術の進展で、その主要な材料であるパーソナルデータの価値は一層大きくなっている。政府も2017年5月に「世界最先端IT(情報技術)国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」を閣議決定するなど制度整備を進めている。同月には改正個人情報保護法が全面施行された。
パーソナルデータの重要性は、他の一般的なデータとは一線を画している。人間の行動をダイレクトに把握・予測できるからだ。そして、そのデータを生み出す主体は個人である。従つてパーソナルデータの利活用が促進される前提として、個人がデータを提供するという意思決定が不可欠となる。本稿では個人の意思決定に着目し、パーソナルデータの流通や利活用の課題について考えたい。
近年、「データの取引」が着目されている。これはデー夕のみが取引の対象となり、そのデータへの対価のみを受け取ることを意味する。これまでは、パーソナルデータのみが取引されることは少なかった。例えば、ネット通販を利用する際、サイトは利用者の閲覧や購入の履歴を収集するが、利用者からみれば、ショッピングというサービスを利用する中で履歴を提供しているにすぎない。
パーソナルデータの取引が重要な理由は、その経済的価値が、単独の経済財として成立するほどに高まっているからであり、また、多くのデー夕が集まることで新たなサービス・市場が創出されるからにほかならない。
例えば、多くの人の位置情報が集まれば、混雑状況の案内サービスが可能になり、そこに年齢情報が加われば出店や広告にも有益になる。利用できるデータが増えるほど、サービスや予測の精度は高まる。米グーグルなどの巨大IT企業は、検索などのサービスを通じて収集する圧倒的な量のパーソナルデータが競争力の源泉となっている。
政府もデータの取引の実現に向けた環境整備を進めており、IT総合戦略本部のワーキンググループでは「情報銀行」や「データ取引市場」といった仕組みが提案されている。このうち情報銀行は、個人が自らの意思で自身のデータを蓄積・管理するシステム(PDS)などを活用し、個人の指示などに基づきデータを他の事業者に提供する事業とされる。総務省と経済産業省は6月に民間による認定制度の指針を公表した。
政府だけでない。IT企業のエブリセンスジャパン(東京・港)は、アプリやデバイスから取得される個人のデータに関して、個人と買い手を仲介するサービスを提供している。価格は取引主体間で決定される。データの種類に限りはあるが、取引市場が成立しているといえる。
データ流通のプラットフォーム(基盤)が整備され、データの取引が実現するメリットは大きい。前述のワーキンググループでも指摘されているが、データの取引が実現することで、個人は自身のパーソナルデーダの管理が明確になる。またデータの価値が明示化されるので、価値の享受を実感できる。
ただし、プラットフォームを通じた取引が望ましい帰結をもたらすためには、個人に関する1つの前提が求められる。それは、個人が取引において合理的な意思決定ができる、という前提である。
経済学では、市場取引の望ましい条件の1つとして完全情報(取引する財の品質などの情報を完全に把握すること)が知られているが、これに従えば個人は自身のパーソナルデータに「X円で買い手がいる」という状況に直面した時、それが提供の「コスト」に見合うか否かを適切に判断できなければならない。
プラットフォーム上でのパーソナルデータの取引において、個人はデータという経済財の生産者である。生産者が生産(提供)するか否かは生産コストと価格の比較によって決定されるが、パーソナルデータに生産コストという概念は合わない。生年月日の生産コストなどないし、購入履歴にしてもシステムなどのコストは生じても、少なくとも個人からみれば生産コストはゼロとみなせるだろう。
一方で、パーソナルデータには「プライバシーに関するコスト」という、極めて特殊なコストが発生する。インターネツトを利用する時、自身の情報がどのように使われるかにっいて不安を感じることがあるかもしれない。また、自身の情報が漏洩するかもしれない。このような心理的な(場合によっては実体的な)コストがプライバシーに関するコストである(図参照)。
従って、パーソナルデータの取引で個人がデータの価格と比較する対象はプライバシーに関するコストということになる。しかし実は、個人はプライバシーに関して必ずしも適切に判断や行動をできないことが指摘されている。
以前より「プライバシー・パラドックス(逆説)」という状況が知られている。これは、人間はプライバシーへの不安を示しながら、実際にはそのように行動していないという状況であり、先行研究で示されている。この逆説が存在するとすれば、個人は過剰にデータを提供したり、プライバシーに関するコストに見合わない対価でデータを提供したりするかもしれない。
筆者はこれまで、情報漏洩事故に対して個人が本来的に求める補償額を推計することで、個人のパーソナルデータに対する経済的価値の認識を分析してきた。分析では、@「氏名・住所・メールアドレス」のみが漏洩したケースよりも、Aこれらと共に「動画視聴履歴」が漏洩したケースの方が、求める補償額が「低く」なろという、直感に反する結果も示されている。
さらに筆者の分析では、情報漏洩時に求める補償額は、漏洩した情報の内容のみならず、漏洩時の個人の感情、認知からも影響を受ける可能性も指摘している。
長期的に多種多様なパーソナルデータの円滑な流通を実現し、新たなサービス展開や市場の創出につなげるには、データの提供主体である個人の正しい意思決定が不可欠である。しかし個人のデータへの価値認識がデータの量に比例しなかったり、個人の感情が価値認識に影響を与えたりする状況のまま取引が進展すれば、個人の理解を得られなくなる可能性がある。
パーソナルデータの利活用の促進は、市場の創出、新たなサービスの展開、そして経済成長に不可欠であろう。そして、利活用のためのデータの取引を実現するプラットフォームも整いつつある。しかし、本稿で示したとおり、個人に目を向けると課題や限界があると思われる。
個人の合理的な意思決定を担保することは容易ではない。しかし、それぞれのパーソナルデータが具体的にどのようなサービスにつなろのか、データを利用したサービスがどの程度の価値を生み出したのかといった情報を、政府や情報銀行、あるいは事業者が丁寧に示すことが重要であろう。加えて、望ましいプラットフォームの実現のために、データ取引時の個人の感情と価値認識の関係を解明する必要もあるだろう。
「情報の時代」の恩恵を享受するためにも、個人の意思決定を支える仕組みを早急に構築すべきだ。