経済教室

 

成長の源泉はどこに(中)

 

雇用と企業の流動性重要 

 

向山敏彦 ジョージタウン大学教授 

ポイント 

○ GDPは不完全だが幸福の良い代理変数

○ 労働者・企業の高齢化、再配分にマイナス 

○ 政府、取引・資本市場のルール整備優先を

 

 マクロ経済学で最も重要な指標は国内総生産(GDP)だ。GDPとは国内で生産されて市場で取引される物やサービスの価値の総和であり、取引された結果は誰かの所得になるから、大まかには国内の総所得と考えてもよい。国ごとの様々な厚生指標(平均寿命、健康、主観的な幸福度など)とGDPは相関している。またGDPが高い好況期には、失業率や自殺率が低下することも知られている。

 換言すると、GDPは国民の厚生(幸福度)の不完全ながらも良い代理変数になっている。私たちの生活はすべて市場での取引に支配されているわけではないから、GDPと厚生の相関は必ずしも自明ではない。ただ、高い所得がより多くの消費を可能にすることに加え、市場での取引が人とのつながりを強めたり自己実現を可能にしたりするといった経済学ではとらえにくい要因も考えられる。

 いずれにせよ「GDPが高いことは良いことだ」という観点からは、持続的な経済成長は大切な課題だ。近年、日本を含む先進国では経済成長率の中期的な低下がみられ、長期にわたる停滞の兆候とみる研究者も多い。本稿では経済成長の源泉について考えたい。

 

◇   ◇

 

 半世紀以上、経済成長について多くの研究がなされた。その成果の一つは、GDP拡大には労働と資本の生産要素が増えることだけでなく、同等かそれ以上に生産性(要素あたりの生産価値)の上昇が大切という結果だ。生産性を高める要因として、先進国ではイノベーション(技術革新)や人的資本の蓄積、途上国では新技術の導入や法制度の整備が挙げられる。最近の研究では、企業経営者の能力も生産性の違いをもたらす要因として強調される。

 並行してここ半世紀、マクロ経済学の研究は、産業・地域・消費者・企業といったミクロ的なレベルでの分析を積極的に取り入れてきた。「マクロ経済学のミクロ的基礎」と呼ばれる手法だ。理論的な基礎づけのみならず、近年はミクロレベルのデータを用いて定量的な分析をすることが研究の主流だ。

 生産性の文脈では、まずマクロの生産性の上昇をミクロレベルの変化と関連付けることが分析の第一歩となる。マクロの生産性を上げるには、各企業の内部で生産性が上昇する(内部効果)か、生産性の高い企業が拡大して生産性の低い企業が縮小する(再配分効果)かのどちらかが必要だ。

 内部効果と再配分効果の相対的な重要性については米国経済を中心に多くの実証研究がなされてきた。産業ごとの違いもあるが、一般的には双方とも重要と考えるのが妥当だろう。

 再配分効果にとって大切なのは、要素市場(特に労働市場)の流動性と企業の自由な参入・退出だ。日本の労働市場の流動性は米国に比べて極端に低く、企業の参入・退出率も低い。既に正規社員の労働者の職の安定性からみるとプラスだが、生産性の高い企業の参入や成長を妨げる要因にもなっていると考えられる。

 以前は職の安定性が企業特殊的な人的資本(他の企業では役に立たないスキル)の蓄積を助けるといった議論もなされたが、現代の企業で企業特殊的な人的資本がどれほど重要なのかは再考の余地がある。

 企業にも労働者と同様にライフサイクルがあり、若い企業と高齢の企業では振る舞いが異なる。若い企業の方が若者を多く雇用する傾向があるから、この2つのライフサイクルは無関係ではない。国際比較では、日本は労働者の高齢化が進んでいるだけでなく、中小企業も高齢だ(図参照)。若者の方が企業間を移動しやすく、また若い企業が新しい雇用を作り出す原動力という事実と合わせると、労働者と企業の高齢化も企業間の再配分を減少させる効果を持つと考えられる。

 

 内部効果には様々な要因が影響するが、ここではイノベーションについて考えよう。偶然の発明や発見も含まれるが、現代企業のイノベーションのエンジンは主に研究開発(R&D)投資だ。企業によりR&D投資の内容、イノベーションの性質、投資に影響を与える誘因は異なるから、マクロでの総額の動きをみるだけでなく、ミクロレベルでの分析がより重要になる。

 例えば市場競争は、イノベーションの成功により競争相手から市場を奪えるためR&D投資を促進する効果と、市場を独占できる期間が短くなると投資収益が少なくなるため減退させる効果をもたらす。どちらの効果が強いかは産業の状況により異なる。筆者の理論的な研究は、新規参入が難しく集中度が高い産業では前者の効果が大きくなりやすいことを示唆している。

 労働市場の流動性はR&D投資にも影響を及ぼす。筆者の最近の共同研究は、労働市場の流動性が損なわれると新規企業の参入が減るだけでなく、既存企業のR&D投資も影響を受けることを理論的に示した。

 既存企業にとっての競争環境は新規参入の度合いで変わるため、R&D投資の誘因も変化する。また労働市場の流動性が少ないとイノベーションに合わせた雇用拡大も難しくなり、R&D投資の収益も減る。一方、解雇が難しく過剰な労働者を抱え込む企業は、労働者の活用先を作り出すためのイノベーションに力を入れる誘因を強く持つ。

 

◇   ◇

 

 企業や産業レベルの研究から、政府の役割について何が学べるだろうか。一つは、政府が補助金や規制を使い産業や企業レベルの活動に影響を及ぼしたいならば、多くの複雑な要因を考えねばならないということだ。産業や企業の特性を見極めるのは難しく、産業ごとに政策効果のばらつきも大きいため、ミクロレベルでの政策は意図しない副作用をもたらすことが多い。

 例えば成長が見込まれる産業でも、既存の企業に補助金を出すと新規参入や市場競争を減退させ、生産性向上の誘因をそぐ結果になるかもしれない。また政策により新しい利害関係者を作り出すことで生産的でない活動に多くの資源が割かれる可能性もある。政府の知識の限界を考えれば、知的財産・契約を含む取引のルールや資本市場のルールを整備し、良いアイデアを持つ企業が成長する環境を作ることの方が意義のある結果につながるだろう。

 もちろん、生産性の上昇は政策目標の一つにすぎない。政策のデザインは国民が望む社会のあり方を反映すべきであり、国によっては生産性を犠牲にしてでも職の安定性を優先するといった選択があってもよい。GDPはあくまでも国民の幸福度の不完全な代理変数にすぎないのだから、GDPの数字を常に追いかける必要はない。ただしその一方で、成長することで所得の再分配や社会保障、公共財の供給のための財源が増やせることもまた事実だ。

 マクロ経済学者の役割は政策のトレードオフ(相反)を理論研究と実証研究の双方から明らかにすることで国民の選択の手助けをすることにある。その前提として、多様性のある専門家の育成や統計の整備が重要なのは言うまでもない。

 

むこうやま・としひこ 73年生まれ。ロチェスター大博士(経済学)。専門は経済成長、景気循環、労働市場 むこうやま・としひこ 73年生まれ。ロチェスター大博士(経済学)。専門は経済成長、景気循環、労働市場

 

 

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