アスリート事業家の冒険(3) 

 

為末大が率いる「スポーツ起業家のトキワ荘」 

 

 

若者の街、東京・渋谷に起業家やスポーツビジネス関係者、アスリート、研究者ら多彩な人材が集うシェアオフィスがある。元陸上選手の為末大が代表を務める「デポルターレ・パートナーズ」が運営、東急不動産が所有するビルの6階フロア約300平方メートルのスペースを、40歳になった為末自身の会社を含む7つのスタートアップ企業が活動拠点としている。

シェアオフィスの名は「デポルターレ・コンプレックス」。デポルターレとはスポーツの語源となったとされるラテン語だ。「気晴らし」や「遊び」といった意味がある。2018年10月、為末はオフィスのオープンに際して「この場所にさまざまなものが集まるカオス(混沌)をつくりたい。そこでの新たな出会いから新しいものが生まれる。それが人間の可能性を広げることにつながると考えています」と語った。

 

■スポーツで社会をよりよいものに

スポーツが媒介となって、別々に存在した人や技術、情報、アイデア、感性が結びつく。それによって新たな価値が創造され、社会を発展させていく。そんなイメージを思い描いている。「スポーツそのものより、スポーツをどう活用するかが僕の関心事。スポーツで社会をよくしたい」。特に意識しているのがスポーツとテクノロジーの融合だという。

シェアオフィスに入居するノーニューフォークスタジオ(nnf、菊川裕也社長)は、モーションセンサーと通信機能を備えたスマートシューズの開発を進めている。シューズを履いて走ったり歩いたりするだけで、速度や歩幅はもちろん、着地の際の角度やスピード、位置などがすべてデータとして記録、蓄積される。

社長の菊川は、ダンスなどの動きに応じてソールが光ったり音を奏でたりするスマートフットウェア「オルフェ」を考案、29歳で起業した。発光ダイオード(LED)とセンサーや無線機能を組みこんだチップを靴底に搭載。足の動きに反応する仕組みで、AKB48グループのステージにも利用されている。

これをスポーツや医療の分野で使えないかと相談した相手が為末だった。「為末さんが足が速くなる靴をつくりたいと発言しているのを聞いて、面白がってもらえると思った」と菊川。為末の反応も上々で「子どもたちに走り方を教えるのでも、着地がうまくできたときに音が出たり光ったりすれば、やりやすい。いいですね」と、出資や製品開発への協力という形で菊川を応援するようになる。

 

■「シューズの履歴」は宝の山

足の動きというデータの用途は、機能性の高いシューズの開発にとどまらず、広範囲な分野に広がる。nnfがアシックスと開発する試作シューズに注目したのが三菱UFJ信託銀行。18年、個人データを資産として運用する情報銀行の実証実験を、このシューズを使って行った。歩行、走行の変化から認知症や糖尿病の予兆をつかみ、予防する研究も進んでいる。個人が暮らしのなかで、いつ、どこで、どんな足跡を残したかという「シューズの履歴」は、新たなビジネスを加熱させうる宝の山だ。菊川に手をさしのべた為末も、イノベーションの一助になったと先々はいわれるのかもしれない。

シェアオフィスではnnfのほか、電子トレーディングカード売買サービス「whooop!」を展開する「ventus」(小林泰社長)も活動する。現役東大生たちが中心になって立ち上げた企業で、スポーツ選手のトレカをオンライン上で発行、ファンに購入してもらってチームやアスリートに資金援助する。サッカーのJリーグやバスケットボールのBリーグのチーム、日本フェンシング協会などと提携し、着々と事業を拡大している。

「ここをスポーツベンチャーのトキワ荘にしたい」。為末はシェアオフィスを、かつて手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫ら著名な漫画家が若手時代に居住したアパートになぞらえる。その管理人に自分がなろうと思い立つまでには、どんないきさつがあったのか。

 

■「外柔内剛」の侍ハードラー

広島市出身の為末は、日本陸上史に屹立(きつりつ)する障害短距離走者。侍ハードラーと呼ばれた。3度出場した五輪ではメダルに届かなかったが、法政大学を留年して5年生で迎えた01年カナダ・エドモントン世界陸上の400メートル障害で47秒89の日本記録をマークして銅メダルを獲得。五輪、世界選手権を通じて、日本人は不向きとみられてきた陸上男子短距離種目で初めて表彰台に立った。05年ヘルシンキ世界陸上でも再び銅メダル。18年前の日本記録はいまも破られていない。

コーチの指導を受けず、強くなるための技術や戦術、トレーニングの仮説を常に自分自身で立てて練習し、試合で実践する独自のスタイルを貫いた。大卒後に大阪ガスに入社したが、03年に退社してプロ選手に。現役時代からアスリートの枠にとどまらない活動で目立っていた。

12年の引退後は、コメンテーターとして頻繁にテレビに登場。講演に会社経営、執筆活動もこなしている。ツイッターのフォロワー数は50万人に迫る。元アスリートで今、最も発信力を持つ1人といえるだろう。

人間心理や社会にまつわる新たな視点を求め、多忙な日々のなかで月に6、7冊の書籍を乱読する。社交的で物腰は柔らかく、相手の立場や年齢を問わず誰の意見にも耳を傾ける。一方できれいごとや建前を嫌い、「努力すれば成功する、は間違っている」などと才能を見極める必要を説いたりする刺激的なツイートがしばしば炎上を招いている。社会に渦巻くねたみや怒りの感情を理解しようとする真剣さに満ちており、この「外柔内剛」が仲間を引きつける。シェアハウスのオープニングパーティーには、「将来はスポーツに関わる仕事をしたい」という高校生たちも参加し、あいさつする為末の横を4歳になる長男が走り回っていた。

 

■クイズ番組の賞金でイベント開催

為末がトラックの外で最初に存在感を発揮したのは07年5月、自ら企画して東京・丸の内のオフィス街で開催した「東京ストリート陸上」だった。都心の公道にトラックを敷いてトップランナーが短距離走やハードル走、棒高跳びなどを披露するという奇想天外なイベントは、メディアにも取り上げられて話題を呼んだ。

当時、国内の陸上大会はいつもスタンドががら空き。仲間うちで満員にしたいねと盛りあがり、「だったら最初から人がいる街中でやればいい」となった。資金がなければそれまでだが、のちに出演したテレビのクイズ番組で賞金1000万円を獲得した。司会者の「ファイナル・アンサー?」が決めゼリフの番組だ。「まさか(賞金を)もらえるとは思わず、クイズ前のインタビューで1000万円をもらったら何に使うかと聞かれて、陸上競技を盛り上げると約束していました」

陸上選手でありながら、企画を実現するプロデュース能力を示せたことは誇らしかった。ただ、ストリート陸上はその後、広島や大阪でも開催されたものの、それで陸上人気が盛り上がったとは、とてもいえない。為末自身は「陸上を盛り上げる目的以上に、こんなことだってできる為末大をアピールしたいという功名心が強かった」と当時の心境を振り返る。

 

■「手を広げすぎて」利益上がらず

スポーツを社会のために役立てたい思いは、選手晩年にはすでに芽生えていた。10年8月、陸上短距離の朝原宣治や卓球の松下浩二らとともに、競技の垣根を越えて選手たちが集まり社会貢献を目指す一般社団法人「アスリートソサエティ」を設立。ただ、それとは別に「自分は陸上だけ、スポーツだけの人間ではない。それを示したい」という自己顕示欲も、まだ根強く残っていた。

物腰は柔和だが、かつては「自分は陸上だけではない」という功名心があった 画像の拡大 物腰は柔和だが、かつては「自分は陸上だけではない」という功名心があった

現役時代に個人的な収入管理のために立ち上げた会社「侍」を通じて、為末は引退後に様々な事業を試みる。子どもたちを指導するランニングクラブの運営に、スポーツ以外の企画やプロモーションも。ソニーコンピュータサイエンス研究所の遠藤謙が起業した「Xiborg(サイボーグ)」の競技用義足の開発に協力して話題を集め、東京ガスや東京建物の支援を受けた新豊洲ブリリアランニングスタジアム(東京・江東)の運営でも注目を浴びた。

ビジネスは順風満帆に見えた。だが「経営自体はうまくいったとはいえません。(コメンテーターなど)僕個人のタレント活動の稼ぎで赤字ではなかったけど」。なぜ利益が上がらないのか。事業の手を広げすぎて、会社の規模に対して人が多すぎるのが原因だった。

為末と同い年で、アスリートソサエティの設立以来、友人として事務局の運営を引き受けている青木崇行は言う。「彼は何かやりたいと思ったらまず行動する。資金の回収など考えずに先行投資してしまう」。経営者としては危なっかしく見えるようだ。

為末も「僕は経営者には向いていない」と、いまは納得している。「組織のマネジメントも苦手。能力があるとすればコーチ、参謀役ではないか」。自分が、自分がという功名心もなくなった。先頭に立って動くのではなく、主役となる人間の相談に乗ったり、サポートしたりするのが楽しくなった。「人を見る目は持っているかもしれない」。そう考えて侍の業務を自身のタレント活動だけに縮小し、代わって18年夏、デポルターレ・パートナーズを設立した。

「これからは手を広げずにやりたいことに注力する。それは有望なスポーツベンチャーを見つけて育て、スポーツ産業を大きくすることです」。その実践の場が渋谷で運営するシェアオフィスというわけだ。

実は「スポーツベンチャー版トキワ荘」にはひな型があった。為末が引退後にオフィスを構えた東京・原宿のマンション「バーダントハイツ」4階の3LDK。もともと為末家の住まいだったものをオフィスにしたが、仕事の広がりとともに、アスリートやスポーツビジネスと関係の深い仲間たちが交流する場になっていった。

 

■自信満々の若き起業家を支援

ここに14年春、転がり込んだのがスポーツ情報を集約して提供するアプリ「Player!」を手掛ける「ookami(オオカミ)」を起業したばかりの尾形太陽だった。為末が最初に支援したスポーツベンチャーだ。現在はアプリの月間利用者が300万人を超え、NTTドコモ・ベンチャーズなどが出資する。

尾形は早大を卒業してソフトバンクに入ったが、「スポーツで社会を元気にする会社をつくりたい」とすぐに退社、大学時代の仲間と起業した。若者だけの会社への信頼を増すため、スポーツ界に影響力のある大物の協力を求めて為末に連絡を取った。ウェブ上で事務所に問い合わせたが反応がない。だめもとで、為末のツイッターに「スポーツをもっと面白くしたい。ぜひ会ってください」と送ったところ、面談が実現したという。

自信家でぐいぐいアピールする尾形。為末は「彼が目指す事業の形はさっぱり分からなかったけど、勢いのある若者だなと思った」。150万円を出資し、3LDKの空きスペースを「使っていいよ」と無償で提供した。オフィスには当時、サイボーグの遠藤や卓球でTリーグ設立を目指していた松下、のちにスポーツファン向けグッズ製造販売の米ファナティクス日本法人代表となる川名正憲らが出入りしていた。

尾形は「為末さんが協力してくれたことで、メディアやスポーツ関係企業の信頼が得られ、スポーツ界の人々のネットワークに入って人脈も広がった。会社の大恩人です」と感謝する。

 

■「投資家にあらず」と見返り求めず

オオカミに限らず、これはと思った企業に投資し、自分の影響力や人脈をフルに使って応援するのが為末のやり方。ただ、投資額は少なく、支援した企業が成長しても大きなリターンはない。稼ぎはもっぱらテレビ出演や講演などタレント業と考える。「僕は投資家ではない。人の可能性が開かれる場所に自分の身を置きたい。ここからたくさんのスポーツベンチャーが羽ばたけばうれしいという感覚です」

オオカミは従業員が40人を超える規模となり、現在は世田谷の一軒家にオフィスを構える。尾形は今春、為末を役員として迎えた。「20代の僕たちがとても見られないはずの景色を為末さんは見せてくれた。今度は僕らがスポーツ界を変えていくのを、一緒に見てもらいたい」。自信満々の尾形の言葉を伝えると、為末は相変わらず生意気だなと言いたげに、柔和な笑みを浮かべた。

 

 

 

もどる