五木寛之氏、ポスト平成をよむ
新たな激動の時代到来
貧富や世代対立あらわに
30年間続いた平成の時代はあと4ヵ月で終わり、5月からポスト平成の時代が始まろうとしている。平成とはどんな時代だったのか。そして、この後にどんな変化が訪れ、我々はどう生きてゆけばいいのだろうか。半世紀に及ぶ作家活動で昭和の青春を描き、時代の風を読み続けてきた五木寛之さん(86)に聞いた。
――平成とはどんな時代だったと考えるか。
「平成の30年間には、大きな事件が繰り返しあったのに、昭和に比べると、どこか希薄な感じのする時代だった。昭和には、米ソや左右の陣営が激しく対立し、労使の対立も激化して、大きな労働争議やゼネストが時代を揺るがした。それに比べると平成には、両者の強烈な対立がなくなり、曖昧な時代になった」
――危機は遠ざかったのか。
「相対的には雪解けの時代だったが、安心はできない。近年の異常な気候変動を見ても、地球温暖化の問題は、深刻に進みつつあるし、原発の問題も長く尾を引くだろう。さらに現在73億人を超える世界の人口は、30年余りで100億人近くになるといわれている。しかも先進国では若者の人口が減って高齢層が増え続けている。瞬発的な大激動はそれはどなくても、重い長患いが続いている時代ではないか」
――大きな病巣があるということか。
「ダムに水がたまって強烈な圧力がかかっている。次の時代は何かの形で、その結果が顕在化してくるはずだ」
――というのは。
「露骨な時代になる。曖昧にしていた本質が、あらわになって、改めて激しい対立や激動が起こると思う。貧富の格差にしても、若者と高齢者の対立にしても、米口など大国間の対立も、とれまでより大きくなるだうう」
――なぜ、そう感じるのか。
「平成の時代、国は負債がいくら膨らんでも、減らそうとはしなかった。様々なつけを後に回してきた。平成とは、問題をなし崩しに先送りしている中での相対的な安定期だっだのではないか。様々な病患を抱えながら、その場その場の鎮痛剤で済ましてきた」
――国際的には移民が、大きな問題になっているが。
「今は、難民の時代でもある。移民や難民が押し寄せて、それをどう扱うかで国民国家の存立が問われている。その影響で、米国でも欧州でも新たなナショナリズムが台頭している」
――欧米ともにポピュリズムの政治家が人気を得て、排外的なムードが高まっている。
「人間と誰そんなに利口ではないな、とつくづく思うことがある。第1次世界大戦で1千万人以上もの人が死んだというのに、またすぐに第2次世界大戦を起こすというのは、どう考えても納得がいかない。人間は決して理性的な存在ではなく、情念とか衝動に流されやすい生き物だと思うはかない」
――では日本にも戦争の時代が、近づいてきているのか。
「僕は、戦争は1日にしてはならず、と言っている。僕らは子供のとき『今日も学校へ行けるのは 兵隊さんのおかげです』といった歌や童謡をいつも歌っていた。徹底的に歌い込んで、心の中に染み込んでしまっている。実際、12歳の敗戦前には、『特攻隊に人って、敵の航空母艦に体当たりして玉砕したい』といろようなことを、日記に書いている。今でも教育勅語や軍人勅諭を全部言え。自分でもいやなんだが、ここまで骨がらみになるまで軍国教育を受けてきた。今の若い人に、そんなことをできますか。『戦争は自衛隊がやるもんでしょう』と彼らは言うだるう。人心を戦争の空気に染めるには、50年から70年はかかる。営々とした教育が必要で、そう簡単には戦前とはならない」
――ポスト平成の大きな問題は。
人生100年時代といわれへ希望があるようにいう人もいるが、全体としてみたら、必ずしも明るい時代ではない。50歳以上の世代が世の中にあふれてくるのだから。若者と高齢者の間の緊張感は募るだろう。だからいつまでも成長の時代、登山の意識だけでは、いられない。いかに上手に下山をするのか。どのように下山に楽しみを見つけるかが大切だ」
――そのためには、何が必要か。
人口が減る50歳以下の世代は大変だ。高齢者は、身の回りのことは、できるだけ自分でやり、自分で養生をすることが大切。自分としては、過去に執着するつもりはない。むしろ、新たに起こるだうう激動を見てみたいという好奇心が強い。米国の覇権はこの後どうなるのか、資本主義は、どう変容するのか。その新たな変化へ、老いたる胸をときめかしている」
いつき・ひろゆき 1932年福岡県生まれ。戦後、朝鮮半島から引き揚げ。早大ロシア文学科申退。 67年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞。代表作に「朱鷺の墓」「親鸞」三部作、「下山の思想」ほか。ライフワーク「青春の門 第九部 漂流篇」(講談社)が、この春刊行される。