プロらしさとは? 権藤・野茂両氏が対談(前編) 

 

 

NOMOベースボールクラブを率い、独自の挑戦を続ける野茂英雄氏と、独特の視点の評論を展開する権藤博氏に、理想の監督像など、プロ野球や社会人野球への思いを語り合ってもらった。

 

権藤 プロ野球も開幕するけれど、実は開幕投手はやったことがないんだ。1年目に35勝して、2年目は開幕かなと思ったら、肩が引っかかる感じになって、春先全然だめだった。3年目、さすがに今度は開幕投手だろう、と思ったら監督が代わってね。いつも開幕第2戦だった。

野茂 若いころは、自分よりもチームのリーダー格の人が先発してくれればいいなと思っていたし、そこまでこだわってはいなかったです。

権藤 性格的に、野茂は開幕で勝とうと何しようと、トータルで結果が残せるかどうかが大事だと考えているんだね。開幕戦でもどこでも、いつも同じように投球できる強さがあるから、あれだけの成績を残せたんだ。

野茂 プロに入って2年目以降はどこ(何番目)のローテーションでも、とにかく休まずに投げたかった。それだけですね。

 

■「一番大事なのは開幕3戦目」

権藤 監督になって思ったのは一番大事なのは開幕3戦目ということ。監督ってのは一番悪いことしか考えないから、もし2連敗したら、と思うんだよね。3連敗は絶対できん。だったら3戦目に一番しっかりした先発を、と思うんだ。横浜(現DeNA)で優勝した1998年の開幕は3戦目に一番しぶとい野村弘樹を当てたんだ。そうしたら3つとも勝って、波に乗れた。

野茂 権藤さんが現役のときの監督は誰でした?

権藤 濃人(渉)さん。鬼みたいな人でね。

野茂 その監督も、もし3連敗したら、と考えて権藤さんを2戦目と考えたのではないですか。

権藤 いやあ、そうじゃないんだ。新人の年の開幕戦。後楽園球場の巨人戦で与那嶺(要)さんのソロで、九回に1点勝ち越した。そしたら「権藤、ブルペンに行け」って。第1戦から抑えですよ。

野茂 「権藤、権藤、雨、権藤」ですもんね。最初からそんな感じだったんですね。

権藤 何しろ、真夏でも真っ昼間に試合をするノンプロを経験してるからね。プロはお天道様の下でやるわけじゃなくて、電灯の下(ナイター)でやるんだから、毎日でも投げられると思っていたんだ。当時の九州地区はブリヂストンタイヤも強いけれど、日鉄二瀬とか炭鉱チームが強かった。八幡製鉄もあったし、ノンプロが盛り上がっていたよね。4連戦、5連戦、毎日投げても最後に負けて、都市対抗に出られない。でもあの厳しい戦いで鍛えられた。当時は社会人がプロへの登竜門になってたんだけれど、最近社会人のチーム自体が減ったし、レベル的にはどうなのかな。

野茂 金属バットから木製バットになったことで、魅力が半減してるのかな、とも思っているんです。投手は木のバットになったら楽です。アマチュアのレベルでは木で打っても飛ばないですから。金属だったころはガンガン本塁打が出ていましたもん。それでも点を取られないように投げなきゃいけなかった。また、企業チームは減りましたが、クラブチームが増えたこともあって、当たり前のように企業チームが勝ち上がるわけです。何か面白いアイデアがほしい。

権藤 うち(ブリヂストンタイヤ)は午後2時まで仕事をしていたけれど、日鉄二瀬なんかは仕事は午前中だけで、午後はずっと野球だもんね。社会人といってもセミプロだからね。だから野茂のクラブをみたとき、これが本当の社会人、アマチュア野球だと思ったよね。みんな働きながら野球をしている。野球も教えてはいるんだけれど、魂を訓練しているんだね。

野茂 ここ(NOMOベースボールクラブ)は年齢的に若い子が入ってきます。こちらが選んでとっているわけではないので、入る前には性格もわかりません。ですから、まずは教育っていったら、言い方が硬いですけれど、どんどん人間として成長させる方がメインです。僕も人間が成長するにつれて、野球のレベルも上がっていったので、それを期待したいんです。

 

■「面白い野球をした方が勝つ」

権藤 面白い野球という点で、メジャーで感じたことは?

野茂 うーん、単純にゲームの面白さ、という点でみたら米国の方が面白いですね。

権藤 日本はバントとか、チマチマやって。バントなんて、アマチュアでもできる。プロでしかできないこと、三振もするけれど、とんでもないホームランを打つのがプロ。だから自分が監督になったときに思ったのは人がやらんことをやらにゃあ、プロじゃない、と。勝つか負けるかは知らんけれど、それでも最終的には面白い野球をした方が勝つ、と思ってやっていたからね。

野茂 メジャーはチームに1人はスター選手がいます。そいつにチャンスで回ってきたら、お客さんもすごく期待をする。(他の打者も)そこに合わせることしか考えていないので、バントなんかしてアウトカウントを増やす必要もないんです。今の自分は見る側の立場ですけれど、見る側になっても向こうの野球の方が面白い。

権藤 日本の野球でも野茂と清原(和博氏=西武など)の対決は「真っすぐしか投げん」なんて言って、すごく沸いたけれどね。そういえば、おれ、ダイエー時代に近鉄と対戦したとき、野茂に「8番バッターにフォークボールなんか放るもんじゃない」ってヤジを飛ばしたことがあったよね。8番打者にカウント2ボール1ストライクからフォークを投げるなんて大エースのすることじゃない、と。そしたら、野茂もニコっとしてさ。あれは今考えたら、違うんだよな。野茂は三振を取るのもフォークだけれど、ストライクを取るのもフォークだったんだよな。下位打者にムキになっていたわけじゃない。

野茂 言い方は悪いですけれど、(下位打者には)気を使わないっていうか。なんでもストライク投げときゃええかっていう……。これが清原さんや秋山幸二さん(西武など)となると、ちょっとでもミスったらだめですから。(ボールが)指にかかんなきゃだめだし、秋山さんのときもフォークを投げるときは絶対にストライクゾーンからボールになるようにしなきゃいけない。でも8番バッターだったら、そこそこでいいか、と。

権藤 野茂がメジャーに行くときに、みんな四球が多いから通用しないと言っていたけれど、おれは絶対通用するって言っていた。メジャーの打者は積極的に振ってくるから、四球は日本の半分以下に減る。通用するという根拠はそこだった。

野茂 覚えています。権藤さんと稲尾(和久)さんがいつも声かけてくれて。稲尾さんも(メジャーで)できると言ってくれてましたね。

権藤 それに四球を出すのは、場合によっては悪いことじゃない。2017年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のとき、各チームがすごいバッターをそろえてきた。いつもなら「四球でいいなら俺でも投げられるぞ」って投手にハッパをかけるんだけれど、あのときだけは「四球を出す勇気を持ちなさい」と言ったんだ。1個出したって走者一塁、連続四球でも一、二塁。4つ出してやっと1点だからね。そのうちボール球を振ってくるんだから、四球を出す勇気を持ちなさい、と。だから、本当は野茂もコントロールがよかったんじゃないかって思い始めたんだ。

野茂 いいえ、コントロール悪いです(笑い)。

権藤 四球を出してもいいって、計算してやっとるなって思っていた。

野茂 計算してやり出したのはもう(現役の)最後の方です。打者と自分の力量を比べて、こいつの方が断然上と思ったら、まともに勝負にいっても絶対無理です。ここは(ボール球を)振ってくれたらOKとか、四球が多いといわれてもいいや、という感じでやってました。

権藤 野茂は1試合の四球の記録(16個=1994年)を持っているよね。

野茂 西武戦ですね。その試合、完投勝ちしたんです。

権藤 四球を出してもいい、と思っている投手はいくら出してもへばらない。逆に四球を出したらいかん、と思って投げている投手は四球を出すとへばっちゃう。そこは意識の問題で、たとえば投げ込みにしたって、昔の人は自分で投げ込みたいと思ってやっていたから平気なんだけれど、コーチに言われて200球も300球も投げさせられたら、きついよ。自分の意志じゃないんだから。野茂の場合、あれだけ四球を出しても、次のやつを抑えればいいと思っているから疲れなかったんだ。

 

■「自由にやらせてもらえるのが一番」

野茂 そうですね。そこは社会人野球から学んだことでもあるんです。四球の走者であれ、失策の走者であれ、とにかく都市対抗ではかえしてはいけないわけです。とにかく次の打者を抑えるんだ、と思っていました。

権藤 点をやったら終わりだもんね。

野茂 気を抜いたら終わりです。四球を気にした揚げ句に、スコーンとホームランを打たれたら、これほど会社の人たちに申し訳ないことはありません。せっかくみんなで応援して、盛り上げてくれているんですから。

権藤 日米でやってみて、監督の理想像とは。

野茂 僕は、どちらかというと自由にさせてもらい、任せてもらった方が、よかったですね。細かいことを言ったり、結果で変わったりする監督はやりづらかった。

権藤 米国にもそんな監督がいた?

野茂 米国って「あがり」(登板のない日にベンチから外れること)がないですよね。ずっとベンチで見ていなきゃいけない。それはいいんですが、それをわざわざルールで決める人がいるんです。ときにはこの打者は映像的に後ろから、あるいは前から見たいとか、あるわけです。苦手な打者を他の投手がどうやって抑えているか、違う角度から見たいときもあるわけですよ。それを絶対だめっていう監督はいややな、と。ほんま窮屈でした。

権藤 おれが監督だったら、後ろで寝てようが何してようがいいんだけれどな。

野茂 ボストン(レッドソックス)に行って感じたことなんですけれど、あそこは本当に自由でした。選手が王様なんです。「あなたたちがいないと(野球が)成り立たへんし、ファンはあなたたちを見にきてくれてるんだから、何をしてもいいんだよ」という感じでした。

権藤 普通はそうでなきゃおかしいんだよ。だからおれが監督だったときもね、おれは何もせん、選手がやってナンボなんだからって言っていた。別に謙遜してるわけじゃなくて、本当にそうなんだから。

野茂 先発投手が責任を果たして降りたあと、七回くらいで「ああ、もう勝ちや」って感じで、パーっとビールを飲んでいる。アイシングしながら。

権藤 さすがにおれのときは試合の途中でビールを飲むやつはいなかったけれど、もう一回監督させてもらったら、ビールを置いておいて、あがったやつは飲んでいいぞ、その代わり運転だけはだめだぞって。

野茂 メジャーでも本当にいろいろな監督がいましたけれど、僕は自由にやらせてもらえるのが一番よかったです。

 

 

 

 


 

 

なぜ個性派消えた? 権藤・野茂両氏が対談(後編)

 

 

権藤 メジャーに挑戦した野茂が、教えてくれたことの一つが「自己管理」の大切さだった。メジャーはあまり練習しないようにみえるけれど、それは選手が自己管理を徹底しているからで、陰でやっている努力がすごいんだ、と。何もしていないようにみえても162試合を戦える、練習しなくてもこれだけできるんだっていうところに、プライドを感じたね。自己管理でいえば、思い出すのが佐々木(主浩)大魔神の話。日本にいたころ、オフにはゴルフをするくらいで何にもしなかったんだ。それで、メジャーで1年目を終えて帰ってきたときに「ゆっくり休んで、また来年頑張ってくれ」って言ったら「権藤さん、ゆっくり休んでなんかいられませんよ」って。あの佐々木がオフの間も練習をやるようになった。大魔神の口からあんな言葉が出るとはね。

野茂 それだけ体力が要るっていうのがありますよね。あとは責任感です。投手には初戦から162試合目まで登板機会があって、1年間、最後まで抑え切らないといけない。加えてプレーオフ(ポストシーズン)も、となったら、もっと抑え切らないといけない。それが選手にとってのプレッシャーみたいなものになるんです。(だれにいわれなくても)練習するようになります。

 

■「あこがれていたタフさ」

権藤 確かに162試合戦い続けるのは大変だものね。

野茂 僕らのときを代表するグレッグ・マダックス(ブレーブスなど)やランディ・ジョンソン(マリナーズなど)はシーズン260イニングくらい投げていました。ワールドシリーズまでいったら、そんなイニング数になります。そんなの、僕はやったことない。だからあこがれていたんです。タフさ、男としてのタフさですね。もし中6日で投げたら、260イニングなんか絶対いかないんです。彼らは中4日で、しかも七、八回まで投げる。年間35試合くらいに先発して、プレーオフまで投げ切る。それをまた何年も続けるわけでしょう。それって、男として断然格好いいですし、魅力ですよね。

権藤 日本は中6日だもんねえ。「権藤、権藤、雨、権藤」をやれってわけじゃないけれど。

野茂 高いパフォーマンスを備えて、人気もあり、そこに加えてタフであることが、アスリートとしてどんなにすばらしいことか。野手でも毎試合出て、毎試合全力プレーでやっている選手を見ると「ああ、ええ選手やな」と思うし、そこのタフさはだれにもまねできないものだと思います。

権藤 メジャーは基本的に自己管理だけれど、米国に行った当初は練習が思ったより長い、とこぼしていたこともあったよね。

野茂 思っていたより全体練習が長くて、午前中いっぱい、バント処理だったり、けん制の練習だったり、基本プレーやサインプレーの繰り返しです。最初はその意味がわからなかった。でもデトロイト(メジャー4球団目のタイガース)、ボストン(レッドソックス)と行くにつれて、ようやくわかってきたんです。ああいう基本プレーはメジャーでなくても、たとえば日本の少年野球でも、欧州で野球をやっている子でも、だれでもできることでしょう。それをメジャーなのにできないとしたらおかしいし、ましてや一番注目されるワールドシリーズなんかでミスが出たら、最悪です。野球をやっている子どもならだれでもできるようなプレーをできずに、失点してしまう。これはやっぱりプロじゃない。そういうふうに考えたときに、あの練習の意味がわかった。だから、メジャーでああいう練習をさせるんやなって。

権藤 メジャーには引き分けがなくて、日付をまたいで午前3時ぐらいまでやっていることがある。最後まで残っていたお客に、シーズンチケットをあげたとか。しゃれているよね。反対に、日本は引き分けがあるから、時間稼ぎとか、規定のイニングをみながら野球をやる。引き分け制度についてはどう思う?

 

■「バント、日本の野球の課題」

野茂 基本的に、引き分け試合は球場にきてくれているお客さんに失礼です。みんな、勝ち試合を見にきているんですから。ただ、引き分けには試合時間を短くするということもあるでしょう。時間短縮は五輪種目になるための課題で、3時間以内に終わらせようと、いろいろな制度を試しているわけですね。でも、そこからみると、日本の野球で一番考えなくてはいけないのはバントです。五回までバント禁止とか、それくらい思いきったルールをつくってほしいと僕は思っています。初回からランナーが出てバントして、スコアリングポジションに行く。するとどうしても初球はボールから入るとか、球数が増えて、どんどん試合が長くなります。(時間短縮の方法は)いろいろあると思うけれど、それが一番かな、と思います。五回まで1時間ちょっとでいければ、3時間以内で終わる可能性も出てくるし、テンポがいいので見ている方にとってもいいと思います。

権藤 おれもバントが嫌いだった。バントしてくれたら守っている方は助かるもんね。こっちは常に、どうやって27個のアウトを取ろうかと思ってるわけ。そこで1試合に3回バントしてくれたら、それだけで3アウト。そうしたら九回がなくて、八回までの勝負を考えればよくなる。バントを禁止したら、日本の野球も面白くなるかもね。それから、最近は野茂みたいな個性のある選手が減ってしまったねえ。

野茂 それは野球の上手な選手が多いからじゃないでしょうか。今、野球がうまくなりたいと思うと、いろんな情報が入ってくるわけですね。たとえば大谷君(翔平=エンゼルス)の(投球時の)左腕の使い方が上手だとか、ダルビッシュ君(有=カブス)の下半身の使い方が上手だとか、誰々の変化球はこうやって投げますよ、という情報がみんな入ってくる。うまくなろうと思ったら、その情報に従って投げればいいわけです。それが一番効率のいいやり方なんですから。そうなると、みんなそうなっていきますよね。

野茂 世界のプロゴルファーでとんでもない格好で打つ人はいませんよね。一番効率よくて一番コンスタントな打ち方ということになると、みんなほぼ似てくるわけです。そうしないと勝てない時代なんです。個性があったら勝てるかというと、そうじゃないし。(理想のモデルに近づくよう)究極にやらないと、飛び抜けた選手にはなれない。だからみんな目指す方向が同じになっていくんじゃないでしょうか。それでも個性的な選手が出てくるかもしれないですけれど、バッターだって王(貞治)さんみたいなフォームで全員打てるかといえば、そうじゃないですからね。

権藤 バッターは画一化されてもいい選手が出てくると思うけれど、ピッチャーは中6日で、1週間に1回投げるといったことではものすごい選手なんて出てこないですよ。せいぜい昨年、菅野(智之=巨人)が頑張って、年間8完封してるけれど、彼に続くピッチャーが出てこないもんね。

権藤 クライマックスシリーズ(CS)についてはどうかな。10ゲーム以上も離したチームが日本シリーズに出られない。こんなばかな制度はありえないと思っているんだ。

 

■「もっとうまく動かせる仕組み必要」

野茂 そこは詳しくわかんないですけれど、興行としていろいろ考えることがありますよね。日本野球機構も、もっと野球を広めたいとか、少年にもっとやってもらうために何かをやりたいと思っているはずです。でも各球団の試合の売り上げが基本的には球団に入るようになっていて、日本野球機構にお金が入るのは日本シリーズ、オールスター、侍ジャパンの試合といったところでしょう。それしか稼ぐ手段がないんです。

野茂 もし、もっと稼ぐ手段があれば、そのお金をたとえば社会人野球で使ってくださいとか、少年野球の代表チームで使いましょう、ということができる。そうすれば、子どもたちも社会人も「じゃあ俺たちも、それぞれの年代の侍ジャパンに入るのを目指そうか」と活気づくんじゃないでしょうか。米国がこうだから、というわけじゃないんですけれど、メジャーでは優秀な弁護士が選手会について、その指導の下で強くなった。米国では一つ権利があるとすると、それが球団、大リーグ機構、選手会に3等分されるんです。日本ももっと(野球界全体を)うまく動かせるような仕組みづくりができればなあ、と思います。そうなれば、球団も増やせるかもしれない。

権藤 CSなんかやめて、各球団が年間1試合分でいいから、収益を全部コミッショナーにあげればいいんだよな。青少年の育成や野球発展のためのお金なんだから。

 

 

ごんどう・ひろし 1938年佐賀県生まれ。61年にブリヂストンタイヤから中日に入団し、35勝で最多勝、新人王に。翌年も30勝を挙げた。98年横浜(現DeNA)の監督に就任、38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた。2017年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で投手コーチを務める。今年、野球殿堂入りが決まった。

 

 のも・ひでお 1968年大阪府生まれ。8球団が競合するドラフトの末、90年、新日鉄堺から近鉄入団。豪快なトルネード投法でデビューから4年連続最多勝、奪三振王に。95年に米移籍、「ノモマニア」という言葉が生まれるほどの熱狂を巻き起こし、2度の無安打無得点をマークした。日米通算201勝。2014年野球殿堂入り。

 

 

 

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