済教室70周年
資本主義の未来D
日本型制度の強み生かせ労働者の柔軟性向上急務
S・ヴォーゲル カリフォルニア大学バークレー校教授
ポイント
○ 規制の削減より適切な市場の設計が重要○ 協調的労使関係や利害関係者重視が強み○ 日本は米国型の株主重視モデルまねるな
安倍政権の経済政策「アベノミクス」に関する通説は、特に外国の報道では、最初の2本の矢、すなわち金融緩和と財政出動には成功したが、3番目の構造改革は政治的な制約により行き詰まっているというものだ。そして日本政府がそうした制約を克服し大幅な規制緩和を実行できるなら、日本経済は活力を取り戻すだろうとも指摘される。
この通説はどちらも間違っている。日本政府は一連の構造改革を実施しており、米国の政治的膠着状態に比べればずっとましだ。だが規制緩和などの構造改革が、生産性と成長に関して期待通りの効果をもたらすとは思えない。
星岳雄・米スタンフォード大教授とアニル・カシャップ米シカゴ大教授の共同研究によると、1995〜2005年に実施された規制緩和と全要素生産性(TFP)の改善の間に相関関係は認められないという。これは現在にも当てはまると筆者は考える。
市場というものは、会社法を筆頭に金融規制、競争政策、知的財産権の保護など本質的にガバナンス(統冶)を必要とする。となれば市場の強化・改善とは、規制の削減や自由化という意味での「規制緩和」でなく、市場のガバナンスを改善することのはずだ。政府が競争の活性化、イノベーション(技術革新)の創出、平等の推進を望むなら、そうした目標を達成できるよう市場を設計する必要がある。
つまり政府の規制を減らすだけでは十分ではない。政府は政策目標を立て、自国の政治・経済制度の長所と弱点を評価したうえで、目標実現に必要な能力が備わるよう改革を設計すべきだ。具体的にどういうことか、構造改革の二本柱である労働市場と企業統治を例にとり説明しよう。
日本は90年代から、企業の自由裁量を増やす雇用者寄りの改革と労働者の保護を強化する被雇用者寄りの改革の両面で労働市場改革に取り組んできた。だが今般の働き方改革で重点は前者から後者に移った。政府は労働コストの抑制を通じて企業を支援するゼロサム改革から、労働者の待遇改善を通じて労働参加率と生産性の向上を目指すプラスサム改革へとかじを切った。
この働き方改革は正しい方向を目指していると言えるだろう。「規制緩和」色の濃かった初期の改革は、結局は格差を拡大し、経済の安定を損ねてしまった。その結果、需要の低迷とマクロ経済の弱体化という副作用を招いた。
一方、企業統治改革は単に規制の廃止や市場の開放ということでなく、法律と企業慣行の見直しに関わってくる。
日本の政府と産業界は大規模な企業統治改革に取り組んできた。だが米国型の株主重視の経営モデルが当の米国で失敗に終わったのに、このモデルを取り入れようとするケースが多い。最近の研究では、このモデルを特徴づける要素(ストックオプション=株式購入権、自社株買い、敵対的買収、社外取締役など)が必ずしも米企業の業績改善につながっていないことが指摘されている。しかも米国型の株主重視モデルは甚だしい経済的不平等を招いてきた。
日本はこうした米国型モデルをまねるべきではない。それでも企業統治改革は必要であり、日本企業は透明性の拡大、説明責任の強化、経営陣のダイバーシティー(多様性)の推進などの改革で得られるものが多いはずだ。
大別して企業統治改革には2つの方向性がある。一つは経営プロセスの改善で長期な成長を目指すもので、もう一つは労働者を犠牲にして資本利益率を高め目先の超過利潤追求(レントシーキング)に走るものだ。図は企業統治改革が後者に偏っていたことを示すようにみえる。過去10年間の傾向は明らかに資本主義的搾取の典型例と一致しており、利益が拡大する一方、労働分配率は下がり、投資は停滞した。
ここから日本型資本主義の長所と弱点が浮かび上がる。筆者のみるところ、有能な官僚組織、官民の強い結びつき、業界の円滑な調整メカニズム(業界団体など)、協調的な労使関係、ステークホルダー(顧客、取引先、従業員など企業活動の利害関係者)重視の経営、よく訓練された規律ある労働力などは長所だ。日本は米国型資本主義を目指し改革してきたが、問題はやや行き過ぎたことや、その過程でせっかくの長所を損ねてしまったことだ。
伝統的なモデルを守っていれば良かったのかと言えば、そうではない。戦後の日本型モデルには、職場での露骨な性差別、一部の業界での談合など重大な欠陥があった。
さらに世界経済は、日本の長所を損ない弱点を深刻化させる方向に向かっている。価値創造の主力は製造部門からサービス部門へ移行し、製造自体がサービスやソフトウエアと密接に結びつくようになった。また製造プロセスはインテグラル(擦り合わせ)方式からモジュール(組み合わせ)方式へ、国内の供給ネツトワークからグローバルなサプライチェーン(供給網)へ、内製からオープンイノベーシヨンヘと変化している。
日本企業はこうした新しい現実に適応しなければならない。デジタル時代に世界に先駆けるにはよりグローバル、よりオープンになることに加えて、物理的なインフラにもっと投資する必要がある。
ただしそのとき、日本型システムの長所を生かすことが大切だ。本来の長所を生かすと同時に、弱点を克服するにはどうすればよいだろうか。
ここで具体例として、再び労働市場と企業統治改革に立ち返り検討することにしよう。
労働力不足は、雇用の安定や協調的な労使関係といった長所を維持しつつ、性差別や労働者にとっての柔軟性の欠如といった日本の雇用システムの主な弱点に取り組むのに良い機会となるはずだ。政府は企業にとっての柔軟性でなく、労働者にとっての柔軟性に重点を置くことで、改革を後押しできるだろう。
労働者にとっての柔軟性としては、例えばテレワークなど働き方の柔軟性、体職への対応などキャリア形成の柔軟性、正規労働者(正社員)と非正規労働者の間に様々なカチコリーを設ける待遇の柔軟性などが考えられる。こうした改革により労働力参加率や生産性が向上すれば、最終的には企業ひいては経済全体にとってプラスになるはずだ。
企業統治改革では、企業と経営陣のレントシーキングを拡大させずに経営を改善することが重要だ。日本は米国型の株主重視モデルをまねるのでなく、よりオープンでより説明責任の明確な独自のステークホルグー重視モデルを目指すべきだ。具体的には@労働者などのステークホルダーを代表する社外取締役を置くA企業の社会的責任などステークホルグーの広範な関心事に対応できるよう取締役の教育研修を実施するB株主のみならずステークホルダーへの直接的な支援活動に取り組む――ことなどが考えられる。
より一般的に言えば、日本はデジタル時代の課題に取り組むために政府の強い指導力と官民の協力を必要とする。この取り組みには主要技術の開発、政府・企業・学校へのIT(情報技術ブソステムの普及推進、ソフトウエア関連産業・サービス産業に欠かせないスキルを備えた人材育成への大規模な投資も必要だ。日本型システムの長所はデジタル時代でも陳腐化していないどころか、むしろ以前より重みを増しているのである。