経済教室70周年


資本主義の未来A

 


健全な可動性の確保必須


「無国境企業」、税負担相応に

 

渡辺 博史 国際通貨研究所理事長


ポイント


⚪ 10年代は国際化の揺り戻しの動き顕在化


⚪ 若年層への就業機会の提供は国家の責務


⚪ 日本は外国人受け入れの態勢づくり急け

 



 グローバリゼーションというのは、広義の「可動性」拡充のプロセスであった。モノ、カネ、ヒト、情報の各面で、それぞれが自由かつ広範、迅速、安価、そして大量に動くことが可能になり、しかもその移動がそれまでの最大のバリアー(障壁)だった国境を越えてまで容易に行われることになる動きと考えられる。



 貿易の世界でモノが動くことから始まり、次にはカネが貿易の決済手段として取引されるだけでなく、ポートフォリオの範囲で取引され、その取引額は膨大になっている。そして情報の移動範囲拡大や速度向上と相まって、カネの国際取引のコスト低減、迅速性という見地から「暗号資産」なるバーチャルな媒介手段まで登場するに至っている。

 ヒトの移動量や移動範囲も、交通機関の発展・拡充や運賃の低廉化、さらに欧州連合(EU)での国境管理のない「シェンゲン協定」という理念的実験、中国での都市と農村の出身者を区分する「戸籍制度」の見直しという事実追認などの制度的変化という要因にも助けられ、著しく拡大した。その結果、極端な表現では「労働市場の世界単一化」まで生起したと言われる。

 情報については、40年前でも国際通信ではアルファベッ卜しか使えないため、ローマ字表記で送られてきた文章を「漢字カナ交じり文」に直す専門官が日本には存在していた。今や各言語、文字での通信のみならず、画像、音声、動画のほとんどすべてが送受信可能になるほど、遠隔地との情報交換の量、質、コストが著しく変化している。

 そしてこれが発信手段の普遍化を通じて広く拡散するだけでなく、ある場合には発信者の意図と関係なく、収集、解読、解析、展開されるようになり、新しいプライバシー概念の構築まで迫られかねない状況になっている。



 2010年代は、これらの国際化の動きに対する逆行というか、揺り戻しの動きが顕在化した時代と言える。

 モノの動きでは、世界貿易機関(WTO)体制の打破をうたう米大統領が関税を武器とする攻撃を各国に仕掛け、モノの円滑な貿易を阻害し始めている。特定国の貿易赤字の大きさを関税制度や他国の為替制度で説明するのは誤りだと言っても、首脳が耳を傾けてくれないと経済学者が嘆く米国のみならず、多くの国で貿易障壁を築こうという主張が増えている。

 生産自体で部品供給などの国際分業が進んでいる中で、そのやり取りにまで介入、于渉をし始めればコストが増大する。世界全体の福利への挑戦とまでは言わないが、当該国の国民にとって不利益な状況を招くことがほぼ自明なのに、この動きは止まらない。

 一方、生産を担う企業行動も大きく変化している。多国籍企業という言葉は既に一般化したが、これからは「無国境企業」といった概念が必要になろう。多国籍企業の場合、どこかの国に本拠があり、それがミニレプリカのような子会社を各国に設置して世界ネットワークをつくるという印象がある。だが今や「本拠」という物理的中核組織は、法人の所在登記の場所としてはまだ残つているものの、機能上は存在しなくなっている。

 さらにデジタル化した商品は消費地の認定はできても、どこでつくられ、どこで売られたかという認定をほとんど不能にするというか、無意味にさせる。米国の消費課税が多段階型でなく単段階の小売り課税だったことが、米国内のこれらの商品への適正な課税を不可能にした。世界市場でも同様の事態が発生しており、その構造自体がこの問題克服を理念としているEUに大きな負荷をかけている。

 企業行動をいかに把握するかだけでなく、それらの企業による公共への奉仕・還元である税負担をどう考えるかも新たな課題となる。現状の多国籍企業、無国籍企業の場合、相応の税負担を負っていない。公的部間が引き続き中核として提供するサービスの原資を得るため、これらの企業に適正な税負担を求めるべく、世界的課税関係を構築する必要がある。

 ヒトの世界では、経済拡大の恩恵を一部の者のみが享受し、大多数が相対的に貧困化していく現況では、所得再分配の方策を策定し、かつ実効的に実施することが必要だ。加えて一定の就業機会を若年層に提供し続けることは国家の不可欠な責務だ。これが保障される中で初めて、一国の中に存在する所得階層で上方遷移という移動が可能となり、所得・資産のヒエラルキーの上での流動性が確保される。これは全世界的な視野でも同様に考えるべきものだ。

 サービスの分野は、今後IT(情報技術)化が加速度的に進行し、組み立て型製造業での就業機会が大きく減少する中で、まだ相当期間、人間のインプット(投入)が求められる。サービス分野への投下資金の源泉を確保するためにも、多国籍企業、無国境企業の納税は必要だ。



 ヒトの水平的移動である移民について、日本も労働力の補完という形での受け入れにかじを切つた。国内反対派への説得というか言い訳として「日本経済が沈滞した場合には受け入れ人員は抑制する」といった説明をしている。だが20世紀末のドイツとトルコの間のトラブルの種が、好景気の間は労働力不足解消のために多人数を招いたものの、。いったん景気が沈滞化するといわば追い返す形で受け入れ労働者を排斥した歴史にあったことを忘れてはならない。

 現行案では受け入れ形態は基本的に有期契約であり、「移民」とは全く異なる外国人労心力の確保策でしかない。今回の措置が数十万人単位でなく、数百万人単位の不足が予測される近未来への対応という「先行試行」であれば、景気沈滞期でも新規受け入れ数を抑制するのはともかく、任期更新を拒否してストックの人数を削減してはならない。

 日本の外国人受け入れ態勢が他の先進国に大きく劣後しているという指摘は多い。実態としては、日本と同様に少子高齢化を迎えている近隣の韓国、中国の態勢づくりにも大きく後れを取っている。

 結論を先延ばししてある時切羽詰まって決断するというよくあるパターンの道を本件もたどりかねない。そうなれば、いつの日か「わが国に貴国の人材を」と依頼した時には、多くの国から「わが国にはもう日本に送り出す人的余力はない」という返事を受ける可能性が高いことを認識、覚悟しておくことが必要だ。

 カネの世界では希少性の転換がみられる。もちろん誰もが無尽蔵にカネを使える状況にはならないが、これまでのように需要に比べて供給が極めて少ないという状況は大きく転換し、世界全体として所得水準が上昇する中で比較的潤沢に資金が供給されよう。

 そこでの問題は、短い資金は潤沢・過剰なのに、長期の資金は引き続き過少という構成の不整合をいかに調整できるかという点だ。もう一つは、持続する低金利の中で起きかねない債務膨張をいかにチェックするかという点だ。

 そして情報の分野での展開については、多くは他の有識者に委ねるが、人間の労働力への需要を減らす蓋然性が極めて高いということ効な卒後教育を与えることはかなり難しいこと、そして情報集積に起因するプライバシー概念の変容が必至であることを、われわれは十二分に認識しなければいけない。

 次の10年、改めて不毛な固定化を避け、健全な可動性の確保に努めねばならない。

 

 

 

 

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